クリュッグのシャンパーニュに、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーがストラディヴァリウス(ヴァイオリン7挺、ヴィオラ2挺、チェロ2挺の合計11挺!)で演奏する曲をペアリングするという、驚きの豪華イベントに、参加させてもらった。

フラッグシップ=最高級とは限らないシャンパーニュ業界

シャンパーニュにおいて「ノンヴィンテージのブリュット」というカテゴリのシャンパーニュは、もっともたくさん造られるシャンパーニュであり、ゆえに、価格はもっとも手頃だ。そして、それが、シャンパーニュの造り手=メゾンのフラッグシップである。

これ、ワイン業界に入って、不思議におもったことだった。

「フラッグシップ」と言われると、高級品を想像するものではないだろうか?  実際、Wikipediaにもフラッグシップモデルというのは「通常はメーカーの最高価格や最高級の製品が多い」と書かれている。

でも、シャンパーニュの場合、高級品はプレステージなどと呼ばれ、また別の枠組みに入り、最高級品をして「これが私のフラッグシップシャンパーニュだ」と言う造り手には、あまり出会わない。彼らは自分たちの名刺代わりの作品、もっともひと目に触れるワインこそがフラッグシップである、と言う。

それでいうと、クリュッグは一般の感覚とのズレが少ない。

なにせクリュッグの「ノンヴィンテージのブリュット」であり「フラッグシップ」に相当する作品『クリュッグ グランド・キュヴェ』は4万円以上する超高級シャンパーニュだからだ。

収束する理想の一点

『クリュッグ グランド・キュヴェ』がなんでこんなに高級なのかは飲めばわかる。これだけ壮大なワインが安々と造れるわけがない、と納得する。とはいえ、野暮を承知で言葉にしてみれば──

創業時にリリースしたシャンパーニュを「1stエディション」として、現在「170 エディション」まで毎年造られている『クリュッグ グランド・キュヴェ』は、最新の「170 エディション」でいうと、ブドウの収穫年、品種や栽培地、ワインの醸造手法の違いで種類分けされた120種類以上のワインのブレンドで造られている。

バランスのとれた一杯のシャンパーニュでありながら、そのなかに120以上の異なるワインがある。その構成要素の多さからくる、とてつもない情報量。それが『クリュッグ グランド・キュヴェ』の特徴だ。

クリュッグがこういうことをしているのは、クリュッグが「フラッグシップ」であるところの「ノンヴィンテージのブリュット」は、毎年造られる最高のシャンパーニュであるべきだと考えているからだ。これは、創業者 ヨーゼフ・クリュッグが170年前に決めた、クリュッグの理想であり約束。

そしてクリュッグにとってのシャンパーニュの理想形というのは、あるときはすごく甘くて、あるときはすごく酸っぱく、あるときはすごく苦い、などとブレブレであるはずもなく、ゆえに、並べてじっくり比べでもしない限り、これは「170 エディション」、こっちは「164」、などと正確に言い当てるのはほとんど不可能なほど、エディション間の差異が小さな範囲に収まる。たしかに、数字の若いエディションは、より熟成感があるし、ワインを分解していけば、その材料はエディションによって大きく違うので、寸分違わず全エディション同じ、ということはないけれど、他のワインが、毎年違うほどに『クリュッグ グランド・キュヴェ』が違うことはない。

2008年という特別な年

一方で、ワインにはブドウの収穫年による差異、その年の個性をワインで表現することを尊ぶ、という文化がある。ヨーゼフ・クリュッグにとってもそれは尊ぶべきものだったようで、クリュッグには、メゾンがこれは特別な年だ、と考える年には、その収穫年を表現したシャンパーニュを造る、という文化が存在していて、その最新作が『クリュッグ 2008』。その名の通り、2008年に収穫されたブドウから造られたワインのみで構成されたシャンパーニュで、最新と言ってもいまから15年も前に収穫されたブドウということになるのだけれど、これが日本で初披露されたのは2021年末のことだった。

このとき、千住明さんが『Classic Beauty』という曲を捧げている。その曲は、最初はライブで演奏されて、いまはクリュッグの公式サイトで聞ける。
https://www.krug.com/jp/krug-stories/les-creations-de-2008-akira-senju

そして、2022年の末には、坂本龍一さんが、3楽章からなる曲の2楽章目を『クリュッグ 2008』に捧げた。その曲はニューヨークで坂本龍一さんがお披露目したもので、いまでも以下で聞ける。
https://www.krug.com/jp/krug-x-ryuichi-sakamoto

それで、2023年の5月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーが、このおなじ『クリュッグ 2008』に、ヴィヴァルディの「四季」の「春」を合わせた演奏を聞かせてくれた。

とても有名なヴァイオリン協奏曲だから、旋律が頭に浮かぶ人もおおいとおもうけれど、『クリュッグ 2008』を味わいながら、この演奏を聞いていて、序盤のドラマチックなところで、筆者は、千住明さんの曲を思い出した。そこから第2楽章で、坂本龍一さんの曲が頭をよぎると、もう、ダメだった。

これまで、ワインに大きく心を揺さぶられたことはあるし、食とワインとの相性に度肝を抜かれたこともある。けれども、ワインを飲んでいて、言語化できない感情と涙が自分から溢れ出る、なんていう経験はしたことがなかった。

音楽とクリュッグは合うのだ、と、現当主 オリヴィエ・クリュッグはいつも言っているけれど、こんなに心を揺さぶられるなんて……

現当主オリヴィエ・クリュッグは6代目。日本とは何かと縁があり、このときも来日していた

いまではなかなか手に入らない『クリュッグ 2008』だけれど、それを味わう機会がある幸運な人は、偉大な音楽家の楽曲と合わせてほしい。

また、クリュッグの各シャンパーニュには「ミュージックペアリング」として、合う音楽が用意されていて、その音楽はクリュッグの公式ページのシャンパーニュの詳細から聞くことができる。ワインに合うものが食事だけではないことが、きっとわかるはずだ。

最後に、ベルリン・フィルハーモニーがクリュッグに合わせた「セットリスト」をここに記しておく。

クリュッグ グランド・キュヴェ 170 エディションと
J.S.バッハ『2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043から 第1楽章、第3楽章』

クリュッグ 2008と
ヴィヴァルディ『ヴァイオリン協奏曲集「和音と創意の試み」より 「四季」作品8から”春”』

クリュッグ グランド・キュヴェ 164 エディションと
チャイコフスキー『弦楽のためのセレナーデ ハ長調 作品48から第1楽章』