シャンパーニュ業界最高峰と称して異論が出ない造り手のひとつ「ルイ・ロデレール」から、当主のフレデリック・ルゾーさんと副社長兼醸造責任者のジャン・バティスト・レカイヨンさんが来日し、同社の最上級ブランド『クリスタル』の一角にして、今年、誕生から50周年を迎えた『クリスタル・ロゼ』を紹介した。
ルイ・ロデレールとヴーヴ・クリコ
シャンパーニュ業界最高峰にして、おそらくシャンパーニュで最も尊敬されている造り手のひとつが『クリスタル』を生み出すルイ・ロデレールだ。
創業1776年。老舗で知られるヴーヴ・クリコ(1772年創業)とほぼ同い年。この両社から話を始めるのは、両社からは嫌がられるかもしれないけれど、今回の話をするのにちょうどよいようにおもっている。
ヴーヴ・クリコは現在約390ヘクタールの畑を所有している、大きくはLVMHグループに属するメゾンで、ランスというシャンパーニュの中心地に拠点がある(もうひとつの中心地はエペルネでモエ・エ・シャンドンの本拠地がある)。一方、ルイ・ロデレールは約210ヘクタールの畑を所有している家族経営のメゾンで、やはりランスが拠点。いずれも上から数えた方が早い大規模生産者だけれど、農家と醸造家は別々になるのが一般的なシャンパーニュで、この両社は自社所有の畑が多く、ワンストップでワイン造りができることと、長い歴史があるからこそ所有できている唯一無二の畑を持つところが強み、という類似性がある。
両社ともロシアと縁が深いのも共通。特に19世紀のロシアの上流階級はこの両社の重要な取引相手だった。今回話題にしたい『クリスタル』も、そもそもは1876年にロシア皇帝アレクサンドル2世が特注したシャンパーニュという出自を持つ。
そしてなにより、業界をリードするイノベーティブな存在、というところが注目すべき両社の共通点だと私は考える。今回、話題にしたいのはロゼ・シャンパーニュなのだけれど、この分野でも両社はイノベーターだ。にも関わらず、そのスタイルが明確に異なっているのが面白い。
シャンパーニュは、白ワインに赤ワインをブレンドし、これを瓶内二次発酵で発泡酒にするブレンド法というロゼの造り方が例外的に許された地域なのだけれど、そもそもこの手法は18世紀にヴーヴ・クリコが生み出したもの。わざわざロゼ・シャンパーニュのために赤ワインを造り、それを白ワインと組み合わせながらも破綻させず、それどころか白にはない力強さ、旨味、複雑性を表現するのがブレンド法の理想形。赤ワインと白ワインのアウフヘーベンである。ヴーヴ・クリコはこの手法の生みの親としてこの手法に誇りを持っており、ロゼ・シャンパーニュにて、自社が誇る優れたブドウの豊かなラインナップと高い技術力を遺憾なく発揮する。
ただ、歴史的に言うと「混ぜものをしていない白のシャンパーニュこそが格式ある真のシャンパーニュ」としてロゼは格下扱いされていたという。事実、ロゼ・シャンパーニュを多くの造り手が手掛けるようになったのは20世紀に入ってから。もっと言うと世界大戦の影響が落ち着き、色々なものがグローバル化していった1970年頃になってからと最近なのだ。
ルイ・ロデレールが自社の最高峰ブランド 『クリスタル』にロゼを加えたのも1974年。ただし、これを「流行りに乗って」みたいに解釈するのは最高に尊敬されるシャンパーニュメゾンに対しては不敬だ。ルイ・ロデレールの『クリスタル・ロゼ』は、こちらもまたイノベーティブなワインなのだ。それをあらためて紹介するべく『クリスタル・ロゼ』誕生50周年となった今年、ルイ・ロデレールの当主フレデリック・ルゾーさんと副社長兼醸造責任者のジャン・バティスト・レカイヨンさんは日本にやってきた。
インフュージョン
フレデリック・ルゾーさんの父親にあたる6代目当主 ジャン・クロード・ルゾーさんは醸造家であり農学者でもあった。彼は、寒く湿度の高いシャンパーニュ地方では、黒ブドウのフェノールは赤ワインの名品を生み出すブルゴーニュのようには成熟せず、シャンパーニュに赤ワインをブレンドしてしまうのは、その中途半端に青臭いフェノールでせっかくのシャンパーニュを悪くしてしまう行為だ、という当時の一般的な考え方に反対はしなかっただろう、とジャン・クロードさんの後継者、レカイヨンさんは言う。
ただし、この話はもしもシャンパーニュにもブルゴーニュの最良の畑のようなものがあれば別であり、そういう畑があったのだ、という話につながる。
その畑はアイ村(シャンパーニュ最良のピノ・ノワール産地とされるエリア)のなかのBonottes(ボノット)というエリアにあり、レカイヨンさんはそこを「シャンパーニュのミュジニー」(ミュジニーはブルゴーニュの最良の畑で気品ある繊細なピノ・ノワールの赤ワインで知られる)と表現する。 ジャン・クロードさんはこのピノ・ノワールでなら『クリスタル』に値するロゼが造れる、と考えたそうだ。
とはいえ、それでじゃあ赤ワインを造ろう、とはならない。ジャン・クロードさんはそのピノ・ノワールを果汁の段階でシャルドネの果汁とブレンドし、その混ざりあった果汁をアルコール発酵させるという手法を採用した。大別するとこれはおそらく、マセレーション法というブレンド法じゃない方のロゼ・シャンパーニュの造り方に分類されるはずだけれど、ルイ・ロデレールは「インフュージョン」と呼んで区別する。フランス語だと「アンフュジオン」という発音の方が近くて、一般的には茶葉やハーブを煎じることを指す言葉だ。ルイ・ロデレールはピノ・ノワールを発酵させずに果皮の色と香りを含んだフリーランジュースを得ることをインフュージョンと呼ぶ。
「ジャン・クロード氏は別々のワインをブレンドするのではなく、最初から統合されているものをワインにする手法が最善だと考えた」
とレカイヨンさんは言う。これがルイ・ロデレールのイノベーションであり、ルイ・ロデレールはこの手法に誇りを持っている。
クリスタル・ロゼの原点
今回、レカイヨンさんが紹介した3種類の『クリスタル・ロゼ』のうち、1996年のものは、このインフュージョン法の最初期の造り方の最後にあたるクリスタル・ロゼであり、かつ、レカイヨンさんの最初のクリスタル・ロゼでもあるという。
「クリスタルは20年、ロゼは30年経過してからがとりわけ美しい」
とレカイヨンさんが言うマグナムボトルで保管されていた『クリスタル・ロゼ 1996』は、グラスに注がれると直後に、約30年間、瓶の中に閉じ込められていたものが解放され、そういうワインらしい香りを纏うのがひとつの魅力なのだけれど、スゴいのはそこから先で、驚くほど活き活きとエネルギッシュなのだ。これ、12g/リットルという、今だとかなり高いドザージュだというのに、甘ったるい感じは全然ない。
まさにフレッシュ!と感じていたら、レカイヨンさんはそこに注釈を入れた。
「フレッシュというと、ワイン好きのかたは酸味を考えますよね。しかし、酸味は極論すればpHに過ぎません。重要なのは、カルシウムやカリウムといったミネラル、乳酸やグルタミン酸といった酸、それらの相互作用によって感じられるフレッシュ感です」
言われてみればその通りで、ただ酸っぱければいいなら、未熟なブドウや粗末なブドウでもいいのだ。
「山登りをしているときを想像してください。眼の前に清水が湧き出していて、手に取ると冷たい。それで顔を洗う。この感覚がフレッシュ感です」
実際この『クリスタル・ロゼ』は澄み切った清水のように爽やかな透明感がある液体だった。しかし、じゃあ水のように味気ないかと言えば、まったくそんなことはなく、充足感に満ちていた。言葉にすると矛盾しているような要素が、ひとつの総体となっていた。
クリスタル・ロゼの旅
『クリスタル・ロゼ』はここから次のフェーズに入る。インフュージョン法はそのままに、それを構成するあらゆる要素を改善し、かつ、将来にわたってそれが続けられるようにしていったのだ。
まずワイン産地全体の環境変化として温暖化があり、ルイ・ロデレールのピノ・ノワールも1990年代後半になってくると、成熟度、凝縮度を高めていったという。そうなってくると25~30℃の温度で1~2日間をかけて行っていたそれまでのインフュージョンでは、成分と色が強く出過ぎるようになった。そこで、レカイヨンさんは、ブドウをより低い温度で、より長い日数をかけてインフュージョンするようになる。当然、普通にそれをやると今度は果汁が空気と接触する時間が増え、酸化して風味が変質するのだけれど、そこはぬかりなくCO2で果汁を酸化から守る、という手法をとるようになったという。
さらに、ブドウ樹と畑にも手を入れる。ルイ・ロデレールはブドウ樹の選抜に「マサル・セレクション」と呼ばれる畑のなかでも望ましいブドウ樹群を、別のところに植えて増やす手法を伝統的に使っているのだけれど、『クリスタル・ロゼ』に向いたピノ・ノワールを選抜してこれを増やし、その適作地をあらためて探していったのだそうだ。そして再生農法、有機栽培への移行も開始。これについては、そもそもルイ・ロデレールはかなりナチュラルな栽培を実践していたのだけれど、それを徹底した。
このアップデートがひとまずの完了を見るまでが『クリスタル・ロゼ』の第2フェーズ。
そして、ここで完成した形式をさらに磨いていったのが第3フェーズなのだけれど、この第3フェーズが始まった直後、シャンパーニュ地方は絶好の一年を迎えた。それが2008年だ。
唯一無二の体験
2008年のクリスタル・ロゼをレカイヨンさんは「最高」と言い切る。
実際、この最高の『クリスタル・ロゼ』の体験は忘れることができないものだった。
基本的な性格は1996年によく似ている。澄み切っていて充足感がある。ワインの場合、複雑性という言葉を褒め言葉として使うけれど、こうまで静謐な液体に、騒々しい印象もある複雑という言葉は使いたくない。クリーミーな泡の舌触り、驚異的に上品で溌剌とした酸味の骨格に、塩の印象を伴うミネラル感があり、力強いピノ・ノワールを見つけ出すこともできれば、苦味や旨味を感じることもできる。しかし、全体の印象はあくまで軽快だ。
体験としては、めくるめく夢幻が眼の前に表れる竪穴に落ちてゆくような幻惑的な感覚と、清々しい朝にスッキリと目覚めたような爽快な感覚、物思いにふける秋の午後のような夢想的な感覚を同時に感じるようだった。
これを言うのが良いことなのかどうかは分からないけれど、私はこの日、昼間にグラスいっぱい程度の『クリスタル・ロゼ』を味わったことで、このワインがもたらした多幸感と思考がシャープに連続していくような覚醒感、そして沈思黙考感とでも言いたくなるものに支配され、ほとんど睡眠を必要とせずに一日を過ごした。当然、それを翌日になって後悔するようなこともなく。本当に、魔法にかかったようだった。
なお、50周年記念のヴィンテージである2014年は、やや分が悪い。これはもう、1996年と2008年の『クリスタル・ロゼ』と同時に飲んだことが2014年の不運としか言いようがない。『クリスタル・ロゼ』は独特で、似たようなワインはない。もしも同じ『クリスタル・ロゼ』が、しかもその偉大な先輩が横に立たなければ、魔法使いは2014年の『クリスタル・ロゼ』だったはずだ。
世代を超えるイノベーション
「この造り方だと、ブドウの時点でワインはほとんど決まってしまい、以降、操作できるところはほとんどない」
インフュージョンを説明しながら、レカイヨンさんはそう言った。『クリスタル・ロゼ』は果汁の段階でブレンドが完了していて、後からブレンドができない。最初に決めた果汁で、最後まで行くしかない。醸造技術よりもありのままのブドウを尊重するスタイルを指して「畑でワインを造る」という言葉があるけれど、まさにこれだ。
そして、そもそもルイ・ロデレールは「畑でワインを造る」タイプの生産者。現在、その畑は約半分が有機認証を獲得しており、シャンパーニュ最大の有機栽培畑保有者。クリスタルに使われるブドウに関しては有機栽培といってもビオディナミだったはず。当然のことながら、この歩みは現在も継続しており、優良なブドウ樹、再植樹等による優れた畑の探求、栽培方法の追求をもってクリスタルの、というよりもルイ・ロデレール全体のアップデートと持続化は進行中だ。『クリスタル・ロゼ』についていえば、今、第4のフェーズらしい。
「家族経営の強みはここにある」
当主のフレデリック・ルゾーさんは言う。
「世代を越えて、同じ哲学で、ものづくりを高めてゆける。時間をかける自由が私たちにはある。ブドウの木を植えて、それが前代未聞のワインになる日をワクワクしながら30年でも40年でも待つことができる。これがエモーショナルなワインが造りたいという情熱に駆られている私たちの創造性だ」
そもそも『クリスタル・ロゼ』は優良年にしか造られないけれど、いつか優良年中の優良年が来たとき、彼らはまた、魔法のような、誰もまだ知らない液体を生み出すだろう。それはイノベーションにほかならない。