ヴーヴ・クリコ ラ・グランダム 2015
29,370円(税込)

あなたがヴーヴ・クリコを!?

正直言って、結構驚いたものだった。

2018年ごろから、シャンパーニュの有名メゾンのセラーマスター(最高醸造責任者)の異動が相次いだ。異動と言っても、大手グループ傘下のメゾンのキーパーソンが、別の大手グループ傘下のメゾンのキーパーソンになり、その空席をまた、別メゾンの醸造家が埋めるような話だったので、滅多やたらと起こらないことで、それが、2020年(見方によっては2021年)まで連鎖的に起きた。

2019年には、今回話題にしたい「ヴーヴ・クリコ」にも変化があった。2009年から10代目最高醸造責任者を務めていた、ドミニク・ドゥマルヴィルさんがヴーヴ・クリコを離れ、その後任にディディエ・マリオッティさんが就任したのだ。

就任の報が流れるまで、マリオッティさんは、どこに行ったんだろう?とおもっていた。

2018年7月に「G.H.マム」のシェフ・ド・カーヴを離れて以降の動向を筆者は知らなかったからだ。言われてみれば、G.H.マムでのポジションも、ドゥマルヴィルさんの後任として継いだものだったから、そこを知るワイン業界のベテランからすれば、今回のヴーヴ・クリコのセラーマスター就任も、先輩から後輩への違和感のない流れだったようだ。

とはいえ、正直言って、結構驚いた。

筆者からすると、ドゥマルヴィルさんは柔和で温厚なイメージで、マリオッティさんはもっとエネルギッシュなイメージだったし、なんとなくヴーヴ・クリコに抱いていたイメージとキャラが違うように感じたのだ。

実際どうなんだろう? 本人に聞いてみたい。しかし、世の中はパンデミックで「ヴーヴ・クリコのマリオッティさん」に出会う機会はなかなか、やってこない。だから、2023年になってやっと、マリオッティさんが来日して、メディアの前にあらわれると聞いて、胸を踊らせてイベントに参加した。

ディディエ・マリオッティ
祖父はコルシカにブドウ畑をもち、祖母はブルゴーニュの「ドメーヌ・アルマン・ルソー」のルソー家に出自があるという、ワインの子。学生時代に食品・飲料のエリート教育を受け、モエ・エ・シャンドンからプロフェッショナルキャリアをスタートした。以降「ニコラ・フィアット」「G.H.マム」にて重責を担い、2019年9月から「ヴーヴ・クリコ」の11代目最高醸造責任者。 ちなみに、この日の腕時計はパネライ『ルミノール』だ

それで、どんなイベントなのか、きちんと確認していなかった。イベント会場である、オートグラフでも取材させてもらった「フレンチ キッチン」の席についたら、グラスがいっぱい並んでいて不審におもう。『ラ・グランダム 2015』のリリース記念イベントですよね? なんでこんなにたくさんグラスが?

聞けばシャンパーニュの原酒のテイスティングをやる、というではないか!

えー!いいの!?

シャンパーニュの原酒はフランスの宝である

シャンパーニュの原酒はシャンパーニュメゾンの宝であり、シャンパーニュはフランスの宝であるから、シャンパーニュの原酒はフランスの宝である。

シャンパーニュは複数のワインをブレンドして造るワインであり、ゆえにブレンドするための材料である原酒なくしてシャンパーニュは存在しえない。そして豊富な原酒を取り揃えているか否かは、そのメゾンの実力、潜在能力の指標になる。よく言われる表現を借りれば「絵の具がたくさんあったほうが描きたい絵が描ける」からだ。

畑やブドウ品種、収穫年など、条件が違うブドウの果汁をワインにして保存したものである原酒は、絵画における「絵の具」のようである、ということで、言いかえれば、畑の個性、造り手の理想、愛する人への感謝、なんでもいいけれど、造り手がワインで表現したいことを表現するための道具であり、文章ならボキャブラリー、工作ならばマテリアルにあたる。樹一本分しか材料がないのに、宮殿を建てるのは無理ってものだろう。

そして、ヴーヴ・クリコの原酒のライブラリーはヴーヴ・クリコ関係者がおしなべて「すごい」と賛辞を惜しまないものなのだ。

なにせ、歴史が違う。250年前のヴーヴ・クリコの実質的創始者、マダム・クリコがこれと見定めた、現在では、みんな喉から手が出るほど欲しい、特別な畑に始まって、その魂を受け継いだ目利きたちが揃えた畑は、自社畑でも、良好な関係にある畑でも名畑揃い。さらに、ヴーヴ・クリコはそれらを細かく区分けして管理し、個性に応じてそれぞれワインにして保管しているから、そのワインライブラリーは膨大かつ色とりどり……なのだそうだ。

来日したマリオッティさんが語ったのもまずはそこ。ここまでとは想像以上だった、と感動を隠さない。マリオッティさんはシャンパーニュの名だたるメゾンで重責を担ったベテラン。その人物が言うのだから、やっぱりすごいのだろう。

しかも、マリオッティさんは今回、そのブレンド前の原酒を、色々と複雑な手順を踏んで日本までもってきたから飲んでみてくれ、というのだった!

それがこちら。実際は原酒だが、ワインのルールに従うとシャンパーニュ地方の非発泡ワイン「コトー・シャンプノワ」になる。マリオッティさんが持ち込んだのは写真の6種類

スパークリングワインの原酒なんて、現地のワイナリーに行っても、おいそれと飲ませてもらえるものではない。ワイン業界で尊敬を集める先輩には、しっかり味わったことがある人もいるのだけれど、筆者などは、その話に「羨ましいなぁ」と指をくわえているだけ。シャンパーニュのそれはほぼ未経験だし、他産地でもほんのちょっと舐める程度にしか味わったことがない。

それがどうだ!名門ヴーヴ・クリコの2022年収穫のブドウから造った、造りたてのワインが、3種、目の前の立派なグラスに入っている。この感動、あなたに伝わろうか。筆者もついにここまで来た……

絵面的にはただの試飲会風景のようですが、特別なワインです

しかし、問題がある。これらはあくまで将来的にヴーヴ・クリコのなんらかのワインになるものではあるけれど、絵で言えば絵の具、ビルで言えば建てる前に柱を見ているみたいなもの。数少ない経験から言って、ブレンド前のワインは、単体で飲んでも、ピンと来こないのだ……

分かることにおどろく

マリオッティさんが、せっかくだから、どこの畑のどの品種か当ててみて、と笑顔で言う。色から言って、やや緑がかった白ワインがシャルドネ、やや赤みがかった白ワイン2種はピノ・ノワールだろう。実質、それ以外が出てくる理由がないから。「分かるのはその程度さ」と、気負わず味わってみると、分かった……そして分かることにおどろいた。

流石に村レベルの細かいところまではわからなかったけれど(同席者にはそこまで当てた人もいた)最初のシャルドネ(1)はコート・デ・ブランのクラマン、アヴィーズ、オジェのどこかだろう。軽快感、旨味、そしてなによりシャンパーニュらしいミネラル感が決め手だ。次のピノ・ノワール2種はいずれも、酸味と、塩味(えんみ)などと呼ばれる、一種、塩をおもわせるミネラル感からモンターニュ・ド・ランスに違いない。片方(2)は輪郭のはっきりした印象、旨味の強さからいって南の方、もう一方(3)はよりさっぱりして、味わいは奥ゆかしいけれどピリッとしたスパイシーさと余韻に旨味のある苦味があるから、北の方か? とここまでは分かった。

そして実際、1)オジェの西の方、2)ブジー、3)ヴェルジ―とのことで、それは正解だったのだ。

ビックリした。筆者程度の知識・経験でも分かるレベルでハッキリと土地の個性がワインに出ているのだ。その栽培・醸造技術のレベルの高さよ。しかも、この時点で十分、ワインとして美味しい……

感動しているとさらに3種類の原酒がグラスに注がれる。

これも画像で何かがわかるわけではないのだけれど……

今度はやや難易度が上がって、3種のリザーブワインだという。つまり、過去に収穫され、ワインとして保存されていたものだ。品種はすべてピノ・ノワール。熟成期間が1から3年の若いもの、4から10年の熟成したもの、10年以上熟成したものの3分類ができるかな? とのこと。

4は程よい熟成感で美味しいが、先程の新酒に一番印象が近い。5はちょっと炒った穀物のような旨味があるけれど、酸も結構ハッキリしている。6は謎めいている。酸味が強く、若い印象もあるのだけれど、一方で、長いことボトルのなかに閉じ込められて、ちょっと窒息気味だったワインのような印象もある。

で、正解は4が2019年、5が2014年、6は2008年だった。こちらは、産地の差と、年々の気候条件の差、醸造法のちょっとした差も関わってくるので、詳しくは専門的になりすぎるけれど(詳しく知りたい方は筆者までご連絡ください)、言われて、ああ、なるほど。やっぱり、その年、その年の個性がよく表れている。

こんなワインを「さぁ、キミが自由に使ってくれ!」と言われたら、醸造家はさぞ興奮するだろうなぁとマリオッティさんのニコニコ顔に納得しつつ

「でも、こんなに良いワインを自分の代で使い切ってしまうこともあるでしょう? それに気後れすることはないんですか?」とたずねてみると

「ない。リザーブワインのない苦しみも、いつ使うべきかも心得ている。喜びしか感じない」とのことだった。

それはそうか。ディディエ・マリオッティのこれまでの経験をおもえば、彼ほどリザーブワインの酸いも甘いも噛み分けているシャンパーニュ醸造家はそうそうおるまい。

ワインの水平と垂直

それから、面白い話が聞けた。いくらマリオッティさんがヴーヴ・クリコの膨大なワインライブラリーと特別な畑のブドウを使ってのワイン造りのトップを任されたといっても、それは、マリオッティさんが好きなワインを何でも造っていい、という話ではない。

マダム・クリコというシャンパーニュの偉人が今、生きていたら、これぞ我が子、という作品を造ることを任されているのだ。これに関しては、どうなんですか?と聞かれると

「最初、ヴーヴ・クリコの人々がストラクチャーとテクスチャ―という2つの評価軸でワインを語ることが私にはよくわからなかった」

と言うのだった。

「それを私なりに言えば、ストラクチャーとは垂直性、テクスチャ―は水平性であると理解したんです」

マリオッティさんがその後してくれた詳細な解説を筆者なりにさらに噛み砕くなら、垂直性とはワインの時間軸方向への伸び。香り、口の中にいれて、飲み込んで、それの余韻、という味わっている最中の変化量や長さもそうだし、ボトルをあけてからの時間経過や温度での変化、熟成による変化もそう。ワインがぐったりしないインナーマッスルの強さみたいなもの、ワインの縦方向。ピンとしたワイン、緊張感があるワイン、というのは垂直傾向と分類されるだろう。

一方、水平性というのは、広がり。複雑な香りや、口のなかで液体がほどけて広がる味わいの重層的な印象などは水平性だ。ワインの横方向の広がり。瞬間、瞬間の情報量の多さだ。

この両者を高度に達成することが、ヴーヴ・クリコのワインの理想形である、というのだった。

そして、ここまで理解した上で、ヴーヴ・クリコの最高峰にして最新の『ラ・グランダム』、『ラ・グランダム 2015』を味わいましょう、とイベントは進行していった。

ラ・グランダム 2015

『ラ・グランダム』は、ヴーヴ・クリコのなかでも別格だ。メゾン創業200年を記念して、1972年に発表されたこの作品は、マダム・クリコが自らが買い付けた8つの特級畑のブドウ、とりわけ「私たちの黒ブドウこそが、最高の白ワインを生み出す」と語ったというマダム・クリコの哲学にならって、ピノ・ノワールが中核で、しかも、優れたピノ・ノワールが収穫されたときにしか造られないから、この50年で、今回が24作目だ。2008年からはピノ・ノワールを90%以上使うと定め、前々作の2008年は90%、前作の2012年は92%、今回の2015年ヴィンテージは90%がピノ・ノワール。ほぼ、ピノ・ノワールだ。

ゆえに、一種ピノ・ノワールの赤ワインにも通じる深い旨味が特徴なのだけれど、これだけしっかり予習した上で味わうと、理解の深さも違う。「2015年は歌を歌い、チャーミングな、ソーラーヴィンテージだ」とマリオッティさんが言うように、その基本的な性格は鋭利でシリアスで線が細いというよりは、朗らかで明るい。

ラ・グランダムは前作、2012が、ラベルやパッケージで草間彌生とコラボしたことでも話題を呼んだ。2015はイタリア出身の現代アーティスト、パオラ・パロネットがデザインした100%リサイクル可能な素材を用いた、色鮮やかな6色のギフトボックスが用意されている。2015のキャラクターをよく表している

これはどちらかといえば水平方向の広がりの良さによく表れている。

とはいえ当然、緊張感がないなんてことはない。『ラ・グランダム』はピノ・ノワールのブレンドで全体を完成に導いているところが大なため、必要な緊張感、垂直方向の伸びは、その、それなりの部分をシャルドネではなく、ピノ・ノワールが担保している。ゆえに、北方の産地、ヴェルジ―やヴェルズネで育ったピノ・ノワールがもつ、酸味や苦味が重要になるのだけれど、それらピノ・ノワールが、いかにラ・グランダムの緊張感、垂直方向の伸びを生み出しているかも、事前の原酒での予習からよく理解できた。

「ワインによって、グラスを変えるのはよく、やられることだけれど、同じワインでもグラスを変える価値はある」

とマリオッティさんは言い、ラ・グランダム 2015を細身のグラスと大ぶりのグラスとで味わわせてもくれた。おもわず笑ってしまったけれど、細身のグラスだと垂直性が、大ぶりのグラスだと水平性が強調される。

ようやく画像でも分かる話が! 同じラ・グランダム 2015でもグラスの差で受ける印象は大いに異なる。前菜に細いグラス、メインで大ぶりなグラスというのもアリ

『ラ・グランダム』を体験させてもらったのはこれが初めてではないけれど、こんなにわかりやすく感じたのは初めてだった。

雄弁なるリーダー

ヴーヴ・クリコのような世界的に知られたワイナリーのセラーマスターというのは、醸造家のトップとして人並み外れた経験や技術が求められるだけなく、そのワイナリーの顔、スポークスパーソンであることも求められる。

萎縮することのない大胆と精密で理想主義的なワイン造り。マダム・クリコの理想を、11代目はこれからどう表現すのだろうか? 

それが『ラ・グランダム 2015』という、水平方向の広がりを実感しやすい作品だったことにも、理由の一端はあるのかもしれないけれど、マリオッティさんはヴーヴ・クリコを、より広く、より遠くまで、伝えるのではないか? そんな期待感があった。

高級で、生産本数も少ない『ラ・グランダム』。とはいえ、2015年ヴィンテージのそれは、まだ登場したばかり。早速、ペアリングイベントも開催されるようだし、そのあとも体験するチャンスは十分にあるだろう。

筆者としては、同じ程度に高級で、シャルドネが主体のスパークリングワインと比較してみると、すごく多くの発見があるんじゃないか、とおもう。