イタリアワインのいくつかある最高峰のひとつ、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノの中でも頂点と称されるジャンフランコ・ソルデラ氏が興したワイナリー「カーゼ・バッセ」。2018年に亡くなったジャンフランコ氏を継いだ息子のマウロ氏と娘のモニカ氏が初来日し、ジャンフランコ氏の遺作となったワインをはじめいくつかの作品をテイスティングさせてくれた。果たしてこのワインはどうスゴいのか!?

来日したマウロ氏とモニカ氏

1本10万円でも売り切れるスーパー・モンタルチーノ

私はワインに入っている酸化防止剤などについて良いとか悪いとか言いたい派閥ではない。ただ、体は一種のナチュラルワインセンサーのようで、ナチュラルなワインであればあるほど、飲んでも短い時間で体がスッキリする。

「カーゼ・バッセ・ディ・ジャンフランコ・ソルデラ」というワインと出会ってから、すでに結構な月日が経過してしまったのだけれど、このワインの体験はそんなナチュラルなワインのなかでも特別中の特別だった。体がスッキリするどころか、なんだか飲む前より健康になったような気がしたし、それだけでなく、非常に個性的で心に残るワインだった。

「カーゼ・バッセ・ディ・ジャンフランコ・ソルデラ」はワイナリー名であり、実質的にワイン名でもある。というのもこのワイナリーは1年に一種類のワインを15,000本程度しか造ってないからワイナリー名とワイン名を区別する意味があまりないのだ。そしてそれは、それでやっていけるほど、このワインは高価であり、かつ、それでも売れるということを意味してもいる。日本では新作が入ってくると1本10万円くらいで買える。現在は2019年ヴィンテージをエノテカが販売中だ。

評判はめちゃくちゃいい。世界中のプロもアマチュアも絶賛している。地域的、品種的に言えば、イタリアのブルネッロ・ディ・モンタルチーノに属するワインだけれど、現在、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノを名乗っておらず、トスカーナというだいぶ広域の原産地呼称でワインを出している。通常、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノのようなブランド化した産地呼称がつけられる可能性があるなら、名乗っておいたほうがビジネス的に有利なはずなのだけれど、このワイナリーの創始者ジャンフランコ・ソルデラ氏が、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノを名乗る際に100%使用しなくてはいけないサンジョベーゼ・グロッソというブドウにこだわりが強すぎて協会を脱退している、という風変わりな経緯があるのだ。一部のブルネッロ・ディ・モンタルチーノの生産者がメルロをブレンドしているんじゃないか?という疑惑が噴出した際に、協会的にもサンジョベーゼ・グロッソにそこまでこだわらなくてもいいんじゃないか?派がいたそうで、それにがっかりして2013年に協会を脱退したとのこと。

ジャンフランコ・ソルデラ氏

が、むしろ、そういう姿勢もジャンフランコ氏の評価を高め、そのワインを「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノの頂点」などと称するのに一役買っているらしいので、ワインの世界というのは、職人のこだわりがビジネスの成功につながる美しい世界と言えるのかもしれない。

どこがスゴいのか?

先述の通り最新作は2019年ヴィンテージで、これも素晴らしく評価が高いのだけれど、私が味わったのは少し前の話なので、2018年、2016年、2013年だった。

ボトルのルックスも年号以外は同一

ジャンフランコ氏は2019年に亡くなっていて、2018年はその遺作。現在は長女のモニカ氏とその弟のマウロ氏がワイナリーを引き継いでいる。ソルデラ一家のワインを味わうのは、私はこのときが初体験だったのだけれど、個人的には、これをブルネッロ・ディ・モンタルチーノという枠でくくってしまうのは、ちょっと違う気がした。そのくらい、このワインからは固有の価値を感じた。

私は、サンジョベーゼにメルロをブレンドするのは結構いいアイデアだとおもっている。ブルネッロ・ディ・モンタルチーノで使われるサンジョベーゼ・グロッソというブドウは、ことと次第によってはクセが強いと感じているからだ。酸っぱい、渋い、プラム的な甘みがある、総じて濃厚。そういうサンジョベーゼ・グロッソの一種の過激さをメルロは和らげてくれて、かつ、年月が経ってサンジョヴェーゼが丸くなってきたときには、そのサンジョベーゼの良さを引き立ててくれる、とおもうのだ。

だから、まず驚いたのがカーゼ・バッセのワインは、そういう荒々しいサンジョベーゼ感が全然ないことだった。むしろ、軽くて弱い、とすら言いたくなるほど細い印象。味わいは年によって違い、例えば旨味は2018年は海的な、2016年は動物的な印象があり、2013年だと植物的というかブドウならではのタンニンの旨味をより感じた。ミントのフレーバーはいずれの収穫年のワインからも感じられたけれど、2013年は奥の方に、2016年は後味に、2018年は香りの時点で感じやすいといった差があった。これは熟成による差なのかもしれない。いずれにしても、触れたら崩壊してしまうガラス細工のようにこのワインは繊細だとおもった。

そこから、もっとも驚いたのは、こんな繊細なワインが、とても安定していることだった。10年経過した2013年でも、まったく若々しく、今後さらに熟成していくことを予想させ、かつ、現時点でも、今後の月日についても、品質への懸念は一切感じられなかった。この盤石な高品位感は、大規模な造り手ワインと比較してもまったく引けをとらないようにおもう。家族、というよりも個人の才能・趣向に重きを置いているであろうクラフツマンシップと品質の両立。評価が高い理由として、もっとも納得させられたのはこの点だった。

どう造られているのか?

創業者のジャンフランコ・ソルデラ氏は、ヴェネト州の農家の生まれ。一家は第二次世界大戦の際にファシズムを嫌ってミラノに移住しており、ジャンフランコ氏はここでバローロの愛好家に育ったそうだ。やがて自分のワインを造りたい、という情熱に駆られ、手に入れたのが現在のモンタルチーノ南西部、標高320mの土地だという。モンタルチーノの町より標高が200mほど低いことから畑に向かないとして放置されていたというから、世の中何が起こるかわからない。ブドウ樹を植えたのは1972年から1973年。処女作は1975年のブドウで造った赤ワインで、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノと呼べるワインは1977年のブドウで造ったものが初。1982年に発売され、これで一躍、有名人になった。

カーゼ・バッセはカーゼが家、バッセが低いなので、低いところにある家、という意味で、その敷地はおおよそ23から24ha。うち、サンジョベーゼが栽培されているのはおおよそ10haほどで、その他は森。ジャンフランコ氏の妻・グラツィエッラ氏がつくっている見事な植物園が2ha程度あるという。

植物園には約1,500種類のバラが育てられているという

ワイン造りは創業時から一貫してハンズオフ、つまり人の手による操作を好まないスタイル。畑は南西を向き、土壌は水はけの良い火山由来。北からの寒風が土地の起伏や森に遮られ、冷涼ながらも日照に恵まれているという。創業時に植えられたブドウ樹は、近所の農家からもらったものだというけれど、基本的に植え代えはせず、いまもその半数が生き延びているそうだ。栽培管理は徹底していて、除草剤の使用などは創業当初から一切なし。周辺の森の環境も含めての生物多様性と樹の自力に任せ、忍耐づよく果実の生育を待つ。結果、収穫量は非常に少なく、1haあたり2.5から4.5トンの果汁。ブドウ樹1本あたりおよそ2‐3房しか適うブドウがとれないという。

自然なり、と言っても整然としたブドウ樹とワイルドな周囲の植物相は明確なコントラストをなす

醸造も言ってしまえば自然任せ。円錐台形状のスラヴォニアンオークの発酵槽で自然に発酵が進み、マロラクティック反応も1カ月程度経つと自然に始まって3週間程度で自然に終了するのだそうだ。

自然を尊重するというのは、自然以外の要素の介入を極力排除する、という意味でもある。収穫から醸造まで手作業で進むカーゼ・バッセのワイン造りは、清潔な環境で精密に管理されている

とはいえ、発酵時の果汁の状態は常時モニタリングして、発酵槽の下にたまる濃い液体を汲み上げて発酵槽上部に注ぐポンピングオーバーという作業を行うタイミングは見定めているという。

現在マウロ氏は

「人なしでワインはできない。発酵も完全に自然に任せたらヴィネガーができるだけ」

と注意する。

というわけで、適切なタイミングでワインになった果汁は、またもスラヴォニアンオーク製の、今度は熟成用の大樽に導かれる。フィルタリング等はしない。この熟成用大樽は地下14mにあるセラーに安置されていて、ワインはここで3から4年、テイスティングと大学も協力しての化学・生物学的な検査を受けながら過ごす。

その後ボトリングされるのだけれど、清澄・フィルタリングといったことはここでもしない。6カ月程度の瓶内熟成を経て、ここまでで品質に問題なければ出荷となるとのことだ。

ボトルはいわゆるボルドー型で無濾過ゆえに澱が溜まりやすいので、瓶底の凹みが大きくなっている。遮光のために色は暗く、ネックは短い。コルクはこのネックに合わせた特別品。保管はボトルを立てて12から16℃、湿度70%以上、サーブ時の温度は17から18℃が推奨されている。

飲み頃は……正直に言って私にはわからなかった。冒頭に言ったように今飲んでも問題ないとおもう。繊細でエレガントで奥ゆかしく、飲んだあとは世界が一段階明るくなったように晴れやかなワインだ。ただ、マウロ氏によれば、コルクは30年から40年は耐えるようなものを選んでいるそうだ。ということは、いま2019年のブドウで造られた最新作を手に入れたとして、10年後は2034年、30年後なら2054年。私もそろそろ生存が危ぶまれる頃合いだ。

ワインは人が造るけれど、そこに流れる時は人のそれとはちがう。優れたワインは、その香りや味わいによって人をたのしませるだけでなく、いつか飲もうと待つ年月、自らが愛するワインを次世代に残そうとする行為も喜びに変える。そして、ワインそのものは飲みきってしまったとしても、そこに込められた人間の生きた証のようなものは、世代を越えて受け継がれると私はおもっている。ジャンフランコ氏の大作が、その死後、私を感動させ、その熱は子どもたちに受け継がれているように。

それは、人の善意の継承のように感じてしまう。それで、もしも深い穴を手に入れることがあったら、私がそこにこのワインを遺しておきたいなとおもった。