1812年創業の老舗シャンパーニュ メゾン「ローラン・ペリエ」の現当主、アレクサンドラ ペレイル ドゥ ノナンクールさんが4年ぶりに来日した。彼女の名前「アレクサンドラ」がついたロゼ シャンパーニュ『アレクサンドラ ロゼ』の最新作、2012年ヴィンテージを紹介するために。この1本80,000円超(正確には木箱なしで参考税別価格86,000円)の特別なワインに込められたメッセージとは?

古くて若いメゾン

1812年創業ってよく考えると不思議だな、とおもう。

シャンパーニュ地方は、5世紀末、遅くとも9世紀にはワインで知られた地方だったそうだ。

でも、現在まで続くシャンパーニュの造り手=シャンパーニュ メゾンの創業年は、それよりずっと後で、シャンパーニュ メゾンはその創業年で、いくつかのグループに分けられるとおもっている。

筆者がおもいつくなかで、もっとも古いのが1600年代創業のグループ。まだ、資本主義経済もないような時代だ。スパークリングワイン造りの技術では、発泡するしないが安定していないころ。この年代を創業年と定めているメゾンは、小規模で職人的な造り手が多い。これを筆者の勝手な言い方で第0世代とすると……

次のグループが、第1世代ともいうべきグループで、ルイ15世がシャンパーニュをボトルで流通することを許した1730年付近にルーツを定めるメゾンたち。フランスの新感覚ドリンクとして王様もプロモートしたこの時期を創業とするメゾンには、現在のシャンパーニュのリーディングメゾンが少なくない。

これに続く第2世代だとおもうのが、フランスの国内情勢が安定し、資本主義経済が発展していった7月王政期(1830年から1848年)から、バブル景気に沸いたナポレオン三世の時代(1870年まで)に立ち上がったメゾンたち。

そして、そう世代分けして考えた場合、今回、話題にしたい「ローラン・ペリエ」というシャンパーニュ メゾンの創業年は、第1世代と第2世代の間で、フランスが落ち着いていなさそうな、フランス革命(1789年)後からナポレオン帝政が終わるまで(1815年)の間なのだ。しかも1812年というのは、ナポレオンがロシアに戦いを仕掛けて負けて、ナポレオン時代が崩壊に向かっていった、国情的にはなかなか厳しそうな年。

「ローラン・ペリエ」の前身となったのは、元樽職人のアルフォンソ・ピエルという人物が立ち上げたネゴシアンだそうで、そのあとを継いだ醸造責任者が、自分の姓と妻の姓を組み合わせて「ローラン・ペリエ」と名付けたのだそうだ。現在の、規模・知名度と比べると、かなりこぢんまりした造り手で、特に時代の衰勢に影響されてのスタートでもなかったのだろう。実際、創業から第二次世界大戦ごろまでは、そんなにパっとしたメゾンでもなかった、とのことだ。そうはいっても、シャンパーニュブランドとしては100位くらいの評価だったそうだから、十分、上位ではあるのだけれど……

ローラン・ペリエのロゴ。1812年 トゥール=シュール=マルヌ創業と記されている

ちなみに、他の有名メゾンだと、「ペリエ ジュエ」が1811年創業で近い。考えてみると、そちらもそちらでやや浮世離れ感がある誕生のストーリーをもっている。

話を「ローラン・ペリエ」に戻すと、このメゾンが現在のような名声を手にしたのは第二次世界大戦後だ。

そもそも、ナポレオン三世時代が終わってから20世紀の中盤くらいまではシャンパーニュはわりと災難続きで、農業面ではフィロキセラという害虫による壊滅的被害に見舞われ、それも原因のひとつになってシャンパーニュ革命とも呼ばれる内部抗争が起きた。その直後の第一次世界大戦ではシャンパーニュ会戦という大規模な戦闘の舞台になる。それで、立ち直れるか?というところに第二次世界大戦。

だから、シャンパーニュというワイン自体、第二次世界大戦が終わってから、再構築された、と考えてもいいようにおもう。

1939年にノナンクール家という一族がオーナーになった「ローラン・ペリエ」は、1948年、このノナンクール家のベルナールが、メゾンの再起に挑んだことで、現在に続く歴史を歩み始めた。

「ローラン・ペリエは古くて若いメゾン」

現当主であり、ベルナールの娘、アレクサンドラ ペレイル ドゥ ノナンクールさんがそう言うのは、そんな理由からだ。

ローラン・ペリエを躍進させた理念

ベルナール ロナンクールは「ローラン・ペリエ」を再起動するにあたり「ローラン・ペリエ」は「革新的である」と定めたそうだ。

そして3つのキーワードを設定したという。それは

ピュア:ブドウを尊重し、その潜在能力を最大限に引き出すこと。そのために樽を使わず、ステンレスタンクを使って醸造すること

フレッシュ:特にシャルドネをとおしてシャンパーニュのテロワールを表現すること

エレガンス:ブレンドのバランス、味わいの繊細さ、美しい発泡のための長期熟成

美しく立ち並ぶステンレスタンク

この理念をもって、メゾンの名声をシャンパーニュ界で5指の1本に入るほどにまで高め、家族経営のシャンパーニュ メゾンとしては販売規模トップへと導いた。英国王室御用達にもなっている。ドザージュ0のシャンパーニュを世に問うた先駆者であり、プレステージ キュヴェの『グラン シエクル』はシャンパーニュ界最高品質の高級品として必ず名前の挙がる存在だ。

こちらはスイス、ジュネーブで開催された時計の祭典「WATCHES & WONDERS 2023」の会場風景。ご覧の通り、会場で振る舞われているシャンパーニュが「ローラン・ペリエ」のスタンダード『ローラン・ペリエ ラ キュベ』だった

そのベルナールが1987年、結果的に、この人物の最後の革新的作品として披露したのが『アレクサンドラ ロゼ』だった。

このシャンパーニュは、娘、アレクサンドラさんの結婚式で、父から娘へのメッセージ、スピーチの代わりに、お披露目されたという。

この時に使われたブドウは、1982年に収穫されたグラン クリュ(特級畑)の、ピノ・ノワールとシャルドネで、1982年は、ピノ・ノワールとシャルドネが同タイミングで収穫期を迎えたのだそうだ。ベルナールは、白ワインに赤ワインを混ぜてロゼを造る、シャンパーニュならではの「ブレンド法」に対してあまり好意的ではないので、同一収穫年かつグラン クリュのロゼを造るとなると、ピノ・ノワールとシャルドネが同タイミングで収穫期を迎えた年以外、造れないのだ。それが、初めて、これならやってみてもいいな、とおもえたのが1982年だったようだ。

シャンパーニュなのでブドウは手で収穫する。房が低い位置にあるのも、シャンパーニュらしい

そして、5年後、娘が結婚する、というタイミングで、これに『アレクサンドラ ロゼ』という名を付けた。

このワインに感動したアレクサンドラさんは「ローラン・ペリエ」を継ぐことを決意。そして、ピノ・ノワールとシャルドネが同時によい状態で収穫できた年にだけ、思い出のワインの最新作を造っている。この程、お披露目された最新作は2012年に収穫されたブドウを使った『アレクサンドラ ロゼ』だった。

アレクサンドラ ペレイル ドゥ ノナンクールさん

アレクサンドラ ロゼに込められたメッセージ

アレクサンドラ ペレイル ドゥ ノナンクールさんが来日したのは、この『アレクサンドラ ロゼ』をお披露目するため。使われたブドウは2012年のものだけれど、リリースは2023年の12月中旬を予定している、という、10年以上の長期熟成。そして、これが『アレクサンドラ ロゼ』としては史上10作品目だそうだ。最初が1982年のブドウ、最新作が2012年のブドウ、創業は1812年、と末尾が2で揃っているのが偶然の一致とはいえ、運命めいている。

価格は、あくまでオープン価格で参考までの値段とはいえ80,000円を超える特別なワインだ。今回は、2004年ヴィンテージの同作とともにテイスティングの機会が設けられた。

2004年と2012年の『アレクサンドラ ロゼ』

2012年ヴィンテージと2004年ヴィンテージを並べると、色の違いにまず目が行く。2012年ヴィンテージのほうが色がずっと濃い。熟成によってロゼ・シャンパーニュは徐々に色素が弱まっていくのがよく分かる。いずれにしても、かなり赤いロゼ。しかし、見た目に反して、赤ワイン感はずっと控え目で、構成の80%がピノ・ノワールであるにもかかわらず、全般的に酸味とともに支配的な苦味と余韻の旨味にピノ・ノワールの存在感が表れる。印象としては100%ピノ・ノワールの白シャンパーニュ、ブラン・ド・ノワールとブレンド法のロゼ・シャンパーニュの間にあって、ブラン・ド・ノワールよりのキャラクターだとおもう。

2012年よりも暑く乾燥した年だった2004年のそれは、長期の熟成もあって、その個性がよりハッキリと感じられる。酸味、苦味、そして塩味を感じさせる旨味のバランスは、2012年と共通だ。目立った差異といえば、長期熟成されたトップクラスのロゼ・シャンパーニュらしい香ばしい香りと、やや塩味を強めに感じるところだけれど、塩味に関しては、熟成期間の長さにかなり起因しているようにおもわれる。

いずれも、まさにアレクサンドラさんが「ローラン・ペリエ」の理念として挙げたピュア・フレッシュ・エレガントを地で行っている。これほどの高級シャンパーニュになれば、重厚で、言い方によっては回りくどいスタイルになりがちなもの。それに対して、この、割り切った、若く冒険的な雰囲気は、ユニークだし、これを「ローラン・ペリエ」という、いまや押しも押されもせぬ大ブランドの特別品として置くのは、筆者には大胆におもえる。

そして、2004年ヴィンテージと2012年ヴィンテージの近接した印象から、おそらく、今はなきベルナール ロナンクールが、娘へのメッセージに代えたシャンパーニュも、これとよく似たものだったのだろう。

であれば、果たしてそこに父が込めた娘へのメッセージとはなんだったのだろう、と考えてしまう。アレクサンドラさんは、お披露目のテイスティングの際、それを問われても明確には答えなかったので、勝手に推測すると、型破りでいい、ということなのではないだろうか?

大ブランドだからといって、あるいは、そうだからこそ、守ってばかりではいけない。自分たちの理念は貫きながらも、冒険は恐れるな、そんなことを、言いたかったのではないだろうか? そうおもって、筆者はアレクサンドラさんも、次世代へのメッセージになるシャンパーニュを造らないのかな?と興味が湧いたのだった。