ちょっと前の話になってしまって恐縮なのだけれど、俳優であり歌手の山下智久さんがモエ・エ・シャンドンのフレンズ オブ ザ ハウスに就任したと報じられた。

実はその少し後のタイミングで、僕は、山下さんと、モエ・エ・シャンドンの最高醸造責任者ブノワ・ゴエズさんと、ちょっとご一緒した。

モエ・エ・シャンドンの地下セラー

「山下さんがいらっしゃいますよ」

モエ・エ・シャンドンからそんな風にお誘いをうけて「え? どの山下さん?」 とボケた返事をしたのはおそらく僕くらいなもので、言わずと知れた山下智久さんと僕は会えることになった。その会場には最高醸造責任者 ブノワ・ゴエズさんも来るという。実に4年ぶりの来日だ。おめかししてでかけなくては!

というわけで当日を迎え、ワインジャーナリストの面々と一緒に、想像していたよりもずっと控えめに席に座っている山下智久さんに出会う。フレンズ オブ ザ ハウスの一員となったことでシャンパーニュ地方の中心地、エペルネのモエ・エ・シャンドン本拠地に初めて赴いたというので

「モエ・エ・シャンドンで印象的だったことは?」

とジャーナリストたちはお父さん、お母さんみたいな視線で問いかける。山下さんはそれでちょっと恥ずかしそうに

「地下セラーが、歴史を感じて圧倒されました」

実際はワインを保護するために赤い光で照らされている地下セラー。シャンパーニュ地方ならではの白い石灰質の層に穿たれたトンネルだ

モエ・エ・シャンドンの地下セラーはシャンパーニュ地方でも最大級のもので、地下10mから30mに総延長28kmにわたって続く巨大トンネルだ。歴史はというと1743年にモエ・エ・シャンドンの創業者 クロード・モエがつくったものを端緒としていて、その後、拡張されていった。

クロード・モエはシャンパーニュをフランスの新時代の飲料として普及させようとしたルイ15世が頼りにした人物だから、ルイ15世はもちろんのこと、その公妾として名高いポンパドゥール夫人とも縁がある。さらに国外にもコネクションがあり、ドイツ、スペイン、ベルギー、ロシアと、ヨーロッパの王侯貴族にシャンパーニュを広めていった。エペルネの本拠地に残されているモエ・エ・シャンドンの受注リストは、この時代だけでも錚々た面々が名を連ねている。

山下さんがいるのがモエ・エ・シャンドンがゲストを迎える施設の一つ「シャトー ・ ド ・ サラン」の一室。 この地下にあるセラーとともにユネスコの世界遺産だ

地下セラーはといえば、皇帝ナポレオン・ボナパルトが訪れたこと、彼に捧げられたカスク(大樽)が今も残っていることでも知られている。

当時、皇帝を出迎えたのは三代目のジャン・レミー・モエで、この人物は現在まで続くシャンパーニュの優れたブドウ畑の開墾を先導した人物でもある。

シャンパーニュのひとつのメゾンとしては最大級の約1,150ヘクタールものブドウ畑をモエ・エ・シャンドンが持つのには、そんな歴史的背景もあるのだ。その畑は、最近では生物多様性プログラム「Natura Nostra(ナチュラ ノストラ)」 の実践が報じられているけれど、その前から手入れが行き届いていて美しい。畑に立っているだけで「ラグジュアリーブランド」を感じるのだ。

山下さんはどうおもったのか聞いてみると

「僕も、モエ・エ・シャンドンの畑も行かせてもらいました。畑にいると、自分も自然の一部なんだと感じて、雑念が飛んで、自然のなかに没入していくような感覚をおぼえました」

なんと表現が美しいことか……

モエ アンペリアルのすごさ

この動画にもあるように、東京では『モエ アンペリアル』について、山下さんはブノワさんと会話をしてる。いまから150年以上前に生み出されたモエ・アンペリアルは、おそらく僕たちがモエと言ったときにまっさきにおもいつく、もっともモエ・エ・シャンドンらしいシャンパーニュだ。山下さんも、注意深く味わいながら、ミネラル感、香りを称賛しているのだけれど、このシャンパーニュのスゴイところは「どんな気候、どんなブドウの品質でも、同じスタイルのシャンパーニュ」であり、かつ、それが「いつ飲んでも美味しい」ということだ。

モエ アンペリアルは世界中で手に入る。つまりたくさん造られている。1,150haに、いったい何本のブドウ樹があるか知らないけれど、そこで育つブドウは、実際はそれぞれ違う味や香りをもっているはずだ。ところが、モエ アンペリアルはいつ飲んでも、世界のどこで飲んでも、いつものモエ アンペリアルなのだ。

僕は以前、ブノワさんに、なんでそんなことができるのか質問したことがあるのだけれど、ブノワさんはそのためにブレンドは年に3回、変化をつけているのだと言っていた。それは、数ヶ月の熟成(モエ アンペリアルはリリースまでに最短2年、前述のセラーで熟成されているけれど)によってもバランスが変わるから、という理由によるとのことだった。

「熟成感、厚みが出すぎてしまっては、モエ アンペリアルらしくないですよね?」

とはいえ、じゃあモエ アンペリアルはこの150年間、何も変わっていないのか?といえばそんなことはない。たとえば、20世紀にはドザージュが長らく11g/Lだったものを2005年に9gに、2017年からは7gにまで減らし、一方でリザーブワインは25年前は全体の15から20%くらいだったのを、いまは30から40%に増やしている。

気候、ブドウの変化、そして、飲み手である我々の味覚は、時代とともに変わっている。にも関わらず、モエ アンペリアルが常にモエ アンペリアルだと感じられるのは、醸造家による細かなチューニングの結果なのだ。

グラン ヴィンテージ 2015

それがあらためて、スゴイことだとおもわせてくれたのが、このとき僕たちが山下さんとともに味わった『グラン ヴィンテージ 2015』だった。

モエ・エ・シャンドン『グラン ヴィンテージ 2015』(12,800円・税込)、『グラン ヴィンテージ ロゼ 2015』(14,500円・税込)

ここからはちょっとワイン好き向けの内容になるけれど(山下智久さんもこの時は、真面目な顔で「先生」ことブノワさんの言葉を聞いていた)ブノワさんの今回の来日の目的の一つが『グラン ヴィンテージ 2015』のお披露目だった。

ブノワさんはグラン ヴィンテージがリリースされる年の11月頃には必ず日本に来て、それを直接、ファンやワイン業界のひとたちと味わうのだけれど、グラン ヴィンテージ 2015がリリースされた2022年はパンデミックの影響もあって来日できていなかった。だから今回はそのやり直しだったのだ。

グラン ヴィンテージ 2015を味わってすぐにおもうのが「酸っぱくない」ということ。グラン ヴィンテージはシャンパーニュのカテゴリー的にはしばらく前からエクストラ ブリュットにあたる。だから、穏やかな液体の粒がはじけてあらわれる鮮烈な酸味は、その特徴のひとつなのだけれど、2015はその酸味がすーっとしていて、細く長い線のような印象なのだ。むしろ苦味やさまざまな香ばしい印象が強く感じられる。これはちょっと意外なスタイルだ。

なぜこうなのかといえば、2015年は温かい年だったからだ。

「2015年は1961年以来の、暑く、ドライな年でした。シャンパーニュらしい天候ではなかったのです」

温暖化だけが問題、とは言い切れないかもしれないけれど、かつてブドウ栽培の北限といわれたシャンパーニュ地方は、21世紀になって、シャンパーニュらしからぬ暑い年が来ることが多くなったのは事実だ。

「私が気候の変化を意識するようになったのは2003年です。そしてはじめて最高醸造責任者としてグラン ヴィンテージを手掛けた2006年も、やはり温暖な年でした。温暖であれば、ブドウは早く熟して甘くなる。フレーバーも、フェノールも強くなる。一方で、酸は弱くなります」

となれば、シャンパーニュもヘヴィーになる……とは必ずしも言えないのだ、というのが今回、ブノワさんが言いたいことだった。

「私は2006年の頃にはすでに温暖化にどう対応するかを考え始めていました。だから、2015年のブドウのスタイルが通常のシャンパーニュらしからぬものだったとしても、優れたシャンパーニュを造れるという自信がありました」

2015年のグラン ヴィンテージは、その証明だ。酸にこだわる必要はないのだ、とブノワさんは言う。

「問題は、シャンパーニュらしいフレッシュネスや長期熟成をどう担保するかです。それは酸味だけの問題ではなく、バランスの問題なのです。私は、しばらく前から苦味に注目しています。ワインの苦味は、タンニンやフェノール。それが、野菜っぽい、青臭いものとしてではなく、ワインに深みと味わいの持続性を与えるように、シトラスといってもレモンではなくグレープフルーツのような風味に感じられるようにすれば、シャンパーニュらしいフレッシュネスは担保できます。これは新しいシャンパーニュのテリトリーです」

その新しさはモエ アンペリアルとの対比でよりハッキリする。モエ アンペリアルはいつものシャンパーニュ。一方、グラン ヴィンテージ 2015は明らかにそれとは異なるスタイルだ。

「伝統的に、ブドウの酸度や糖度にばかり注目しすぎていたのかもしれません。でもそれは、人間を身長や体重で評価するようなものです。畑でブドウを食べてみて、そのブドウがいま、どういう個性を持っているかを知ること。今後、ますます畑で時間を使うことが大切になってくるでしょう」

ブドウ果汁の酸化に対しても考え方は変わってきているという。極度に酸化を恐れるのではなく、あえて早い段階で酸素に触れさせることで酸化のネガを早期に出し、質のいいフェノールを残すようにする、といったことを実践しているという。酸味を含む果汁の複雑味がタンニンに包み込まれているような状態にする、という発想だそうだ。

実は似たようなテクニックの話は、シャンパーニュ地方よりも暑いスパークリングワインの産地、南アフリカやイタリアで、僕は聞いたことがある。そして、シャンパーニュでもそういうことをするようになるかもしれないな、などとおもっていたのだけれど、2015年の時点でもう、ブノワさんはそういうことはやっていたのか。

恐れ入ったとグラン ヴィンテージ 2015を味わい直していると、テーブルの向こう側で「モエ・エ・シャンドンのフレンズ オブ ハウスになって、どんなことを伝えていきたいですか?」という質問が山下さんに投げかけられていた。

山下さんはそれに、難しい質問ですね……としばらく考え込んだあと

「エペルネを訪れて、色々と体験して、妥協せず、高みを追求する信念に感銘を受けました。僕も、そういう風に生きていきたいです」

あ、そうそう、それそれ! この人、やっぱり表現が美しい。天は二物を与える。なんか、ちょっと悔しい。