サステナビリティの話をしないメーカーの方が少ない現在、職人のものづくりの世界であり、農業に深く関わるワイン産業がサステナビリティの話をするのは至極当然のことだ。でも、そういえば、クリュッグからそういう話を聞いたことがないような……今回は、クリュッグの現当主、オリヴィエ・クリュッグに、事の真相をたずねてみた。

予言者めいた一族

暑かったり寒かったり、雨が降ったり風が吹いたり……世界中のワイン産地が不安定な天候に振り回されているいま『クリュッグ グランド・キュヴェ 171 エディション』を口にすると、盤石、という言葉が頭に浮かんでしまう。

KRUG GRANDE CUVÉE 171 EDITION

180年前、このメゾンの創業者ヨーゼフ・クリュッグは、こんな時代を予期していたのだろうか?

年ごとの天候に左右されず、常に一貫した、最高のシャンパーニュ。そんな風に紹介される『クリュッグ グランド・キュヴェ』は180年間、毎年、実際にそういうシャンパーニュとして造られつづけてきたという。僕はこの10年くらいのことしか知らないけれど、登場したての171回目、171 エディションを味わってみても、171年目でついうっかり、などということはない。

そういうどっしりとした土台の上に、クリュッグはブドウに特筆すべき個性が宿った年には、別途、その年のブドウだけで造る『クリュッグ ヴィンテージ』というお楽しみ要素も用意してくれている。これもヨーゼフ・クリュッグのアイデアだ。

シャンパーニュの歴史に名を残している偉人は、すでにこの世にいないにもかかわらず、どこか化け物じみた凄みを感じさせるけれど、ヨーゼフ・クリュッグはその一人だとおもわざるを得ない。

「こんにちは、今日はよろしく」と日本語で挨拶してくるオリヴィエ・クリュッグという、ころんと可愛らしい笑顔のおじさんに、どこか近寄りがたいものを僕が感じてしまうのは、この人物が、そのヨーゼフから数えて6代目にあたるクリュッグの当主だ、と知っているからなのか……

オリヴィエ・クリュッグ氏。手にしている肖像画はヨーゼフ・クリュッグ

さて、この人物がなぜ日本語を話すのかには、ちゃんとした理由がある。オリヴィエ・クリュッグさんは23歳の時に日本に来て、2年と少し日本に住んでいたのだ。1990年ごろの話だ。これはワイン業界では有名な話なのだけれど、あらためて本人に聞いてみたかった。当時、日本はまだ、ワインという酒を発見して間もないころ。それでなんでわざわざシャンパーニュ人、しかも偉大なるクリュッグの跡継ぎが日本に?

「父が私を、現場を知るべし、と修行に出したんですよ。私は色々とうるさいから声が聞こえないほど遠くにやりたかったんじゃないですかね。自分も年をとると、そういう気持ち、ちょっとわかります」

ハハハと笑う。

「まぁそれは半分くらいは冗談です。私が日本に行く少し前に、父と私は日本のお客様をお迎えする機会が何度かありました。その時のお客様との会話、お客様からの質問には、はっとさせられるものがあったんです。当時、日本はシャンパーニュの市場としてはとてもとても小さかったのですが、やがて重要なパートナーになるとおもわせるほどに」

やはりクリュッグ一族には予言者めいた力があるのか……日本はいまやシャンパーニュ第3位の輸出国であり、クリュッグはといえば、あまたあるシャンパーニュのなかで、飲食店がこぞって欲しがる逸品になっている。特に、寿司店をはじめ和食店もクリュッグを選ぶところには独自性がある。

「クリュッグのシャンパーニュは懐深く、さまざまな味覚と寄り添えますから、和食と相性が良くても驚くことはありません。とはいえ、日本でそういう状況をつくったのは私です、と言いたいところですね」

日本に住んでいた頃、オリヴィエさんは1店、1店、ひとり、ひとり、とクリュッグを紹介してまわった。そういう地道な活動が、日本にクリュッグを根づかせた。オリヴィエさんはいまも、日本のソムリエ、料理人、ファンと良好な関係を保ち、クリュッグを紹介しつづけている。

「クリュッグにとって日本は最重要市場であり、私にとっては家族です」

という言葉に嘘偽りはないだろう。実際このときも、特にメディアに向けての大きなイベントなどはないのに来日していた。日本の友と旧交を温め、あたらしい友をつくるために違いない。

クリュッグの畑

そのオリヴィエさんとお話ができることになったので、今回は、普段、疑問におもっていたことを質問してみた。

疑問というのは畑のことだ。クリュッグは、たとえば『グランド・キュヴェ』を造るにあたっては、膨大なワインのなかから、120種類以上のワイン、10年以上の異なる収穫年のブドウを選び、これらを精密に組み合わせると語る。

醸造を統括するジュリー・カヴィルを筆頭とするクリュッグのテイスティングチームは、今回はこの131種類を使った、この作品では195種類をブレンドしたと、クリュッグのシャンパーニュが、どれほどたくさんのワインから構成されているのかを紹介する。僕たちにはきっとわからないくらいの僅かな差を感じとって判断をしているのであろうことはスゴイけれど、そもそも、そういう達人にとっての有意な差を生み出せる畑もスゴイのではないか? 凡人にとっては10万円のバイオリンもストラディバリウスも、大して変わらないけれど、一流のバイオリニストにとってはそこに圧倒的な差がある、というように……なのにクリュッグは『クロ・デュ・メニル』、『クロ・ダンボネ』を除けば、畑の話をほとんどしないような……

クロ・デュ・メニル。メニル・シュール・オジェの中心部に位置し、クリュッグ5代目当主、アンリとレミの兄弟が直感的に購入したという6ヘクタールのシャルドネの畑。クリュッグは限られた年にのみ、この畑のシャルドネだけを使ったシャンパーニュをリリースしている

それはなぜなのか? 特に、これだけサステナビリティが騒がれる昨今「うちはこんなに緻密に畑を管理している」なんて自慢があってもいいのではないか?

と、オリヴィエさんに問いかけてみたのだ。

「ああ、それはクリュッグ内でも話したことがある議題ですが、結論を言えば、その話をコミュニケーションの道具にはしない、というのがクリュッグの方針です」

あれ、ではこの話題はNGでしたか……

「そんなことはないですよ。 私たちに秘密はないですから。聞かれてもいないのに自分たちから言うことはない、というだけです」

それはなぜ?

「フェアじゃないから、ですかね。シャンパーニュの土地というのは、そのほとんどの所有者が小さな農家です。そのなかには、当然、オーガニック栽培の人もいれば、そうではない人もいます。そういうところでオーガニック栽培のブドウだけを集めて、オーガニックマークをつけて販売するのだとすれば、それはどちらかというとコミュニケーションのバトルじゃないでしょうか? クリュッグはマスマーケットに向けたシャンパーニュは造っていませんし、そもそも、そういうやり方は私たちのワインの造り方と合っているともおもいません」

とはいえ、この話はここで終わらない。

「しかし、じゃあ、クリュッグが何もしていないか? といえば、そんなことはありません。たとえば、4年、5年とオーガニック栽培をやっている農家に、なぜ認証とならないのか? とたずねると「それは危ない。今後何かあって、売れるブドウが採れない、となった時に、オーガニック栽培を掲げていたら化学的なものを使ってブドウを救えないじゃないか!」というのはよくある答えです。そういう場合、私たちは「そうなったらクリュッグが補償する」と言います。認証取得のためにはお金がかかる、ペーパーワークをしている暇なんてない、と言うのであれば、その資金は出しますし、ペーパーワークは代行もします」

そうだったんですか!

「クリュッグの精度だと、化学肥料を使ったとかいうブドウはすぐに分かるので、そもそも買いませんが、私たちはどうしても良いブドウが必要ですから、農家には誠実なブドウ栽培に集中していただきたいんです。オーガニック認証取得のお手伝いは7年前から意識的にやっていますが、いま、私たちがブドウを買う農家の80から90%が私たちとこれをやっていて、90%がサステナブル認証を取得しています」

クリュッグの精度

「先程、あなたはクリュッグは畑の話をしない、と言いましたが、私からしたらそれは逆で、クリュッグは畑の話しかしていないようにおもいます。ワインを造るのはワインメーカーではなく、ブドウです。シャンパーニュの畑はジグソーパズルのようで、所有者も環境も、細かく異なる。3ヘクタールあれば20区画あるとおもっていいでしょう。ジュリー・カヴィルは、そのどの区画か、というレベルでブドウを選んでいます」

ジュリー・カヴィル
クリュッグのセラーマスター。パリの広告代理店に勤務していたが、ワイン愛が抑えられず、2002年、夫婦でシャンパーニュに移住。ワイン業界でキャリアを積み、ワイン醸造の国家資格を取得。2006年にクリュッグに参加した。2020年、副代表に就任したエリック・ルベルの後任としてセラーマスターに抜擢される

「たとえば、こんな感じです。ブジーのとある区画に、ピノ・ノワールの樹があったとします。その樹のなかで、樹齢の高い樹と若い樹があったら、クリュッグの場合、2つの別のワインとして醸造します。収穫タイミングが3日違いで2回あったら、これも2つのワイン。なので4つのワインになります」

これらは最終的にはブレンドしてシャンパーニュを造るための原酒なので、普通だったらその程度の違いは1区画で1ワインだ。しかもブジーのような特級ランクのピノ・ノワールとなれば、複数区画を1つのワインとしてまとめてしまっても驚くことはないだろう。

「その4つのワインを、クリュッグチームは時期をわけて2回テイスティングします。チームはジュリー含めて7人いるので、4✕2✕7で56回のテイスティングノートができますよね。それをジュリーは覚えている。だからジュリーにうっかり、去年のうちのピノ・ノワールはどうだった? なんて聞くと、話が終わりませんよ」

こんな調子でクリュッグがブドウを入手するのは約300区画。さらにここにリザーブワインが約100種類は加わる。よって少なくとも、400✕2✕7で5,600回のテイスティングノートが毎年できる、ということ?

「台木がなにか、北向きか南向きか、オーガニックか、バイオダイナミック農法か、それを何年やっているか……とか、違いは色々ありますよね。ジュリーはもう長年やっているから、ブラインドでもそういう違いを言い当ててきます」

それがクリュッグの精度だとすれば、ブドウが誠実に育てられたかどうかは、ごまかせまい。そして、ジュリー・カヴィルがなぜセラーマスターになったのかも納得がいくというもの。彼女は、どこそこの有名メゾンで醸造をしていた、とかいうワインメーカーではない。2006年からクリュッグのテイスティングチームに参加している叩き上げだ。そうでもなければ、クリュッグの使うブドウをそこまで細かく区別して、精度高く判断ができる領域には至らないのだろう。

「そう、彼女がベストでした。だからエリック・ルベルが副代表になったときに、後任は彼女しか考えられなかった。とはいえ、エリックもテイスティングには参加しているんですよ。クリュッグのテイスティングチームは、色とりどりで、エリックが60代前半、それにジュリー・カヴィル、ロラン……ジェロームはまだ30代なかばの若者で、でもキャリアは10年くらい。農家と仲がいい人物です。ソリーンは農業の専門家で、ブドウの不調があったときも化学物質に頼らないで回復させられます。すごいですよ! 一番若いのはイザベルで4年、チームで活躍していますが、まだ20代です……」

と言うと、口をつぐんだ後、すこしはにかみながら「あとオリヴィエ。正式メンバーじゃないですよ」と言って、スマートフォンを操作しはじめた。

そして「ほら」と見せてくれた画面には、オリヴィエさんの予定表が映っていた。え? なんで? いやいや、いくら秘密はないといっても、藪から棒に、名門メゾンの当主の予定表なんて、VIPとの会見とか、僕が見ちゃいけない情報が! とおもったら、テイスティング、テイスティング、テイスティング……なんだこれ? 

「ね? クリスマスまで29回。これで415テイスティングです。ジュリーはもっとやってる。クリュッグはおかげさまでもっと欲しい、という声をいただくのですが、もうこれ以上のテイスティングはできない。だから、ここが生産量のリミットなんですよ」

と言ってから、「ああ、サステナビリティの話でしたよね」と話題を戻す。

ヨーゼフの夢のつづき

「自社の話をすれば、クリュッグの自社畑はオーガニック認証をいつでも取れる状況です」

メゾンの外観
©MIKAEL BENARD_EXTERIEURS

また醸造所に関しても

「クリュッグの本社はランスにありますが、私のオフィスの窓から、7月の初旬になると毎年、巨大なプールみたいなものが見えるんですよ。これは、水浴び用じゃなくて、使い終わって乾かしておいたワイン樽を、次の醸造に向けて、使う前に湿らせるために浸けておくプールなんですが、水がもったいないなぁとおもっていました。それでワイナリーをアップデートするタイミングで、湿度を保って樽を保管できるようにしたら、それだけで使用する水を50%も削減できたんです。同時に、このアップデートで、スタッフの労働環境の改善、エネルギーは今、100%自然エネルギー、それから、アンボネの建物をワイン造りに使えるようにしていて、必ずしもランスまで果汁を乗せたトラックを走らせなくてもよくなりました」

ほかにもオリヴィエさんは、いくつか計画段階の話も含めて、クリュッグのやっていることを教えてくれた。その中には、航空輸送はすでにほぼやめたこと、パッケージにまつわる負荷軽減はすでに達成していることもいくつかあるものの、まだまだ改善中なこと、など、ワインやブドウの質に直接関係しない話題もあった。

そこで、最後の質問。クリュッグは規模としては非常に小さなワイナリーなうえに、現状、問われない限りは誰かにそれを誇る予定がないにも関わらず、それだけやっているのはなぜなのか? 

「わたしのひいひいひいおじいさん、ヨーゼフが今、生きていたら何をするか?と考えたんです。私をよく知る人には耳にタコだと言われるんですが、クリュッグのシャンパーニュはヨーゼフの夢から生まれ、クリュッグはヨーゼフの夢見たシャンパーニュを造っているメゾンです。でも、彼が生きていたら、彼の夢を綴ったノートには、その先のページがあったはずでしょう? そのページには、私と、クリュッグが今やっていることは、きっと書かれているはずです」