文=林美里 イラストレーション=チャイコフ

10月のパリなのに汗だくで

うぅ、、おぉ、重い、、、 ( 今日のブツは最高にヘビーだぜぇ、、、)
暗い通路を抜け、いくつかの階段を上り、
やっとこ、最後の階段の下まで辿り着いた。
10月のパリなのに、背中も首筋も腋の下にもビッチャリと汗が滲む。
 でもそんな不快さも感じる余裕はない。
息を整え体に力を込める。 
意を決し最初の一歩を踏み出す。
一歩、また一歩、階段を一段登るたび、全身が ワナワナ 震える。
行き交う人たちの嘲笑や好奇の目は気にならない。 
気にする余裕はない。 
ゴルゴダの丘を登るイエス様のお気持ちが、
ほんの少しだけ分かった気がする。
ふと、私は一体何をしているんだろう、、と思いを巡らせる。
何をしてるかって?
そう、ロープでバッテンに括り付けた洗濯機を背負って運んでいる。
それも歩きとメトロを乗り継いで。
もひとつ言えば首に掛けた辞書が入ったバッグもそこそこ重い。
いや、そういう事じゃなくて、
私が思ったのは、色々な事をひっくるめて、今あるこの姿に対してだ。
不案内なパリ。迷えば人に道を尋ねざるを得ない。
ジェントルなオーラの優し気な長身ムッシュを発見。
私は右手に和仏、左に仏和の辞書を持って彼を呼び止める。
腰は45度に折れ、足は ぷるぷる 震え、そんなんだから顔は上げられない。
必死の上目使いでムッシュの顔を見上げる。 
「 ぁのぉぉ、、こごにはどう行ったら、、いぃんでづがぁぁ~ 」 
(ぜぇぜぇぜぇ、、ぜぇ~ ) 
長身ムッシュは憐れみと笑い? という、普通は混らない両極の感情が交差する
なんとも言えない表情で私を見下ろし、 
「 マドモアゼル、大丈夫 ? けどさぁ~、 笑えるんだけど 」 
( 人を笑うな!)心で呟いた。
そういえば、二宮金治郎 像ってあったなぁ、、
薪を背に本を読んでいる偉い人という認識だけど、
でも今の私は彼を超えているはず。 
彼は片手。私は両手に本持ってるじゃん ! 
あぁ~何考えてるの? 私って変? あっ、変か、、、
何故洗濯機を背負っているかって? 
それは日本語ミニコミ誌の (不用品さしあげます) 欄を見て引き取りに来たもの。
机も冷蔵庫も洗濯機もすぐないと困る。
言葉も事情も分からないのに、家電屋さんで買って、配達の手続きとか、
う~ん、、不安。
何より新品なんてとても手が出ない。 
「 そうだ、不用品をもらおう 」 となり、ここに至った訳。

 

 サイズは小さいけどズッシリ重い

最初は冷蔵庫。これはサイズは小さいけどズッシリ重い。
二度目はテーブル。これは大きいけど重さは冷蔵庫程じゃない。
けれどもこれは相当恥ずかしかった。 
想像して欲しい。
背負ったテーブルの脚が肩と膝のところから足みたいに伸びて、
腰を深く折ってプルプルヨタヨタしながらパリの街を歩く私を。 
「 ねぇ、見てよあの娘 (クスクス、、) 」「 虫?亀?みたいだなっ (プッ、、) 」
( あぁ~ 何か言ってる~、こっち見ないでぇ~ )
そして今日は大きくて重心のバランス最悪な洗濯機なのだ。
その晩 考えた 「 大人になったら、ちょっとくらい高くたって、
冷蔵庫だって洗濯機だって買えるようになるんだ、、 」って。
金治郎が運んだ冷蔵庫でキンキンに冷やされテーブルに置いた
Orangina (これフランス発祥)をゴックンと飲み、
心に誓った。
そして洗濯機がちゃんと仕事している事に安堵した。

そうして着々と生活を始める準備をしていた当時
私を大いに悩ませている問題があった。 
「 軽い気持ちでお釣をちょろまかす輩の多い 」 問題 である。
フランスでは貨幣に20の位があって結構面倒。
ここに来てすぐ気づいたのだけどお札で払うと、
かなりの確率で釣銭が少なく返ってくる。
最初は計算が苦手な人が多いなぁ、と思ったけど、、、
しばらくして気づいた。「 わざとだ! 」

(フランス語の出来ない東洋の小娘が来たぜ、 
3ユーロ 25サンチーム に20ユーロ札出しやがって、チッ、) 
「 ハイ、お釣り 」 
(なんかお釣り間違ってねぇ?) 
「 あのぉ~、、お釣りがぁ、、」
がんばってお釣り銭が足りない事を拙いフランス語で抗議を試みるも、
「 あぁ?  何言ってんのか分かんねえし、邪魔だからとっとと行って ! 」

陰険な剣幕になすすべなく打ちひしがれ立ち去る。
背中越しにクスクスと従業員同士の嘲笑が聞こえた。
私は音楽家。耳はとても良い。
日本の基準では、これは犯罪、行為者は悪人。
ここではちょっとしたジョーク? 騙される方がどんくさい。
これは困った、、対策を練らねば。
まず20ユーロ以上の現金は持ち歩かず、それ以上の買い物はカード。
寝る前に小銭がいくらあるかを確認、あれば良し。
なければ学校近所の郵便局で両替して全ての金種を用意。
支払いは常にピッタリ。

この対策によって 「 軽い気持ちでお釣をちょろまかす輩の多い」 
問題 は解決出来た。 
しかしこの件は色々と考えるきっかけになった。 
私をイライラさせる 「 フランス的なるもの 」 と、どうやって付き合っていくか?
そこにあるものだから、それを良いか悪いか、道徳的か否か、
おもしろいか否か、、そんな事考えても意味がない。
それは 文化の差異 としか言いようのない事だから。
ここで暮らして目的を達成するためには、 
自分がこの 「 フランス的なるもの 」 をどう扱うか?
それが大事だとこの件が示唆してくれた。

早々に出会えた大きな幸運

けれども辛い事ばかりじゃなく、パリに来て早々に出会えた大きな幸運もあった。
巴里音楽流浪記 その1 で綴った 「 このアパルトメントに出会えた幸運 」 について。
仲介業者のジュンコがその時唯一持ってたこの物件に言われるがまま
入居したわけだが、パリ生活が始まり他の留学生の家に遊びに行ったり、
私の部屋に誰かが遊びに来たり、そんな中情報収集して導き出された結果、
「 ここはパリの中でも特別なんだぁ、 わたし凄いラッキー!」と思った。
訪ねてきた何人の友人にも 「出る時は、絶対教えてね 」 と言われた。
そのアパルトメントの入り口は大通り沿いに位置していてメトロの駅も30秒。
街中にありながらも、青い鉄の扉を抜けたその向こうは、別世界だった。
入ってすぐ左に管理棟。もう一つの格子の扉をくぐると、
幅3メートル、全長50メートル程の路地がずーっと奥に伸びていて、
その両側に二階家の長屋棟が並ぶ、まるで小さなヴィレッジみたいだ。
植栽された路地の両側に花壇が続き、各家の軒先やテラスに
盛大に飾られた四季折々の花たちが私の心を和ませてくれる。
ヴィレッジの西側はキリスト系小学校のグランドに隣接していて、
私の部屋は小路でもひと際閑静な奥にあった。
だから私はこの小路を他の住人よりも多く歩く事が出来た。
緑に誘われた鳥たちのさえずりを目覚ましに起き、
緑と花の小路を テクテク 歩いて出かけた。
隣の小学校のチャペルの鐘の響きと子供たちの嬌声をBGMに、
猫のエンゾーとハスキー犬のライオネルとちょっとだけ遊んで、、

ここは賃貸用ではなく、私以外の居住者は皆オーナーさん。
ある程度生活レベルの高い層が住まうアパルトメントだ。
ある人は1階部分を2ユニット。ある人は上下階を、
またある人は1階部分を1ユニット、2階を2ユニットと、
そんなふうに購入しては、壁を取り払って広いリビングにしたり、
メゾネットにしたり、大きな一枚ガラスをはめたりと、
おのおのの生活に合わせリフォームされた部屋を
美しくデザインして暮らしていた。
カーテンが開け放された窓の向こうの 個性的なインテリアを眺め歩く事も楽しかった。
そうして歩いていると、住民から「ボンジョルネ!」と
あちこちから声をかけてもらった。

 

ヴィレッジの住人になる

因みに私の部屋はこのヴィレッジの中で存在する 
最狭小の ぽつんとワンルーム。 
でも私にとっては十分。
その狭さとフランス政府からのアーティストに対する支援のおかげで
貧乏学生の私でも分不相応なこのヴィレッジの住人になる事が叶った。
クリスマスシーズンともなれば各戸競い合うように家を
飾りたてて、色とりどりのイルミネーションが
家々や緑と花の小路をキラキラと照らす。
面白いのがそのシーズン、村祭り?的なパーティーの日があって、
住民で役割分担をして、ミラーボールを装飾した踊れるディスコティックの家、
飲めるバーの家、ダーツとかのゲームが出来る家、
ディナーが用意されたレストランの家、それと、カフェ&デザートのお菓子の家 、
大画面テレビで映画を流すフィルム劇場の家、というのもあった。
住民たちは行きたい家をぐるぐるまわっては深夜まで大はしゃぎ!だ。

そこはまるで現実感のない映画のセットのような空間に思えた。
キラキラと綺麗な色に彩られて、、
それでいて儚くおぼろげで、目を閉じて、そしてひらいたら
すべてが消えてなくなってしまいそうだ。
そんなその場に初めて身を置いた時、「私はいったいどこにいるのかしら?
なんだか、何かヨーロッパ映画のスクリーンの中に間違って放り込まれちゃった、、 」
そんな心地良く美しくも、けれどもとっても不思議な夢を見てるような気持ちになった。

ここから離れる理由などありえず、結局日本に帰るまでここで暮らした。
私にとってフランスらしい大好きな場所のひとつが自分の住処であった事は、
ほんと素敵な幸運に巡り合えたと思っている。
外では色々とあるけど、この小さな部屋は私を守ってくれる優しいシェルター。
マダムジュンコ、ありがとう!

生活の準備に追われる中、私のヨーロッパでの音楽生活が始まった。
不安はあったけど、世界での自分の現在地を知りたかったし、
その上で何が足りないのか? それをどう克服するか?
そして今までもやってきた事だけど、より高いレベルでの
挑戦を楽しもうと気合が入った。
まずはこの環境に慣れなきゃ、と思い時間の許す限り学校で過ごした。
個人練習は学校の練習室を使うのだが、
今までは部屋が空いていれば自由に使えたらしい。
それが学生が増えたという事もあり、今期から予約制になった。
学生同士で話し合って割り振りを決めるシステムだ。
演奏家にとっては何より大事な練習。 早速練習室の予約を取って練習を始めた。

 

「フランス的なるもの」 との遭遇

そしてここにきて極め付きな 「フランス的なるもの」 との遭遇があった。
トイレから戻ってくると、私のマレット(マリンバのバチ)が見当たらないではないか。
「 あれ? どこ行ったのかなぁ、、」 辺りを見回しても見当たらない。
思わず天を仰ぐ。「 えぇ~、、」 
すると私の50本のマレットが練習室全面、 
天井の穴に刺さっているではないか。
私の第二の手とも言える神聖なマレットがあぁぁあ~
レイアウトを考えて美しく刺してあれば百歩譲って現代アート風?
とも言えなくはないが、そのテキトーにやった感にセンスは皆無。
泣きたい気持ちを堪え、机に登って一本ずつ外した。

そしてこんな事も、、
練習中お財布だけを抜いたかばんを置いてちょっとだけ席を外した。
戻ってみると目を疑った。
マリンバの鍵盤上に上下の下着が並んでいるではないか。
フランスの水で洗濯すると薄い色のものはくすんだでしまうのを知り、
学校に来る前に濃い色の下着を買ってきたのだ。
私がいない隙を伺い誰かが私のカバンを漁って、
下着を見つけて並べたのだろう。
我ながらセンス良く、そこそこ高価な下着だったのが不幸中の幸い。

学生の中に長身、ショートカットのボーイッシュなフランス娘がいた。
仮にセシル、としておこう。彼女は私にとって典型的な
「フランス的なるもの」 を体現した人物に思えた。
キツそうな印象を持ったけれども、学生同士話をせざるを得ない。
けど彼女は話しかけても無視、話の途中でプイと消える。
あげく「 フランス語もまともに話せないくせに!」 と捨て台詞を投げつける。

その晩、湧き上がる怒りを抑え、冷静に考えた。
ここは日本にいるのとは訳が違うんだ、と。
激しい競争は望むところだし、日本の恩師たちのレッスンが
いかに厳しかろうが、理不尽に感じようが、
それは自分のためになる事だった。
ここのはそれとは違う。
それはカルチャーギャップであり、一段高いステージに来たのに
そこの言葉を使えない自分に問題があるのだ。
いかにぬるい環境で生きて来たのか、骨身に沁みた、、
私はその場その時、印象的な場面では頭の中に曲が流れたり、
突然音が鳴り出したりする変な体質の持ち主。

そしてその時、、 「 カ~ン!」ゴングが響いた。

私は辞書を手にし、紙にフランス語と日本語を書きなぐる。
そして部屋にあるもの手当たり次第に貼り付けた。
朝までかかって貼り終えた自分の部屋をあらためて見回す。
それは日本のホラー映画に出てくる、「 呪いの部屋 」 になっていた。

頭にゴングの音がフランス生活、真の始まりの合図。
9年近く渡る戦いの、、、、。

いざ!決戦。

●プロフィール
チャイコフ(イラストレーター)
ユーモアを織り交ぜた東京の緻密な風景画をテーマに創作を続けるイラストレーター。アートや漫画が好きだった母の影響で絵を描き始め、多摩美術大学を卒業後に企業デザイナーを長年経験したのちイラストレーターとなる。現在はインスタグラムを中心に活動。企業やアーティストとのコラボレーションを手がけている。チャイコフというロシア人のようなアーティスト名は子供の頃のニックネームから。本人はいたって普通の日本人である。https://www.instagram.com/chaykov_illustration