文=林 美里 イラスト=西村 亨

 マリンバ奏者の林美里さんはフランスで活動後、8年前に帰国。現在は鎌倉を拠点に、日本、ヨーロッパで活躍中である。彼女と出会った編集部は、その摩訶不思議な感覚に魅了され、原稿を依頼。快諾いただき、この度連載がスタートすることになった次第です。音楽家ならではのミサトワールドを、是非ともご堪能ください。

警報音はさながらアンビル!

音楽はヒトが授かった中で最も不可思議な能力の 1 つというべきである。

                           C·ダーウィン

カン、カン、カン、カン、、、 
いつもの踏切待ち。

駅のホームに電車が到着する前から
降りてしまう遮断器は、毎度の事だけど、憎たらしい。
そんな時、イライラするも、しないも自分次第。
渡り損ねてしまったら、長い踏切待ちを覚悟して、独り音遊び。
まだまだ終わらないよ!
と言いたげに鳴り響く、カン、カン、カン、カン、、、
テンポは108。

四分音符で刻む警報音はさながらアンビル(鉄塊をハンマーで叩く打楽器)の様。
ここにテンプルブロックを コココココ と二拍五連音符を入れてみる。
ソ、ファ♯、ミ、レ、  ソ、ファ♯、ミ、レ、 と八分音符をチューブラべル
で堂々と鳴らす。

うんっ、いいかも。

遠くから迫る上り電車は、 シ♭ のオーボエを微かに響かせ、
その接近ととも、徐々に重なり合う木管楽器のハーモニーが迫ってくる。すると下り電車の接近を知らせる矢印が点灯し始めた。
上り同様、彼方からティンパニーのロールが聴こえてくる。
それを合図にクレッシェンドし金管楽器のハーモニーが押し寄せる。
音楽が爆発~!!きったぁ~ワッショ~イ!!
私の面前で交差する瞬間。炸裂のシンバル。
木管と金管の強烈な盛り上がり最高潮のフォルテッシシシモ!!
二つのハーモニーと自分が鳴らすテンプルブロックとチューブラベルは
仄かな余韻だけを残してディクレッシェンドで遠く彼方へ消えていく。
その微かな余韻を打ち消すが如く響く、アンビルの甲高い音は続く。
カン、カン、カン、カン、カン、カッ。 中途半端に突如と終わる。

なんとも締まらないフィナーレを迎え、
ギリッ、ギギギッ、 と軋んだ音と共に遮断器が上がる。

でも今日は中々だ、うん。悪くない、、、、なんて、
妙な満足を得て私の密やかな音遊びは終える。

 

時折思いだす運命?の人

そんな、フっとした時、今でも時折思いだす人がいる。
正確に言えばその人の存在は影の如く私に憑きまとう。
あまりに私の脳裏に頻繁に現れる故、出来るだけ忘れる様にしてる。
でも、やはり思い出してしまう、運命?の人。

それは15歳から大学卒業まで長きに渡り師事した打楽器界の巨匠、我が恩師の事だ。
彼は変わり者が多いこの業界でも、トップオブ The 変人として名高い人物。
その変人ぶりに違わず、容姿もオーラも激、強烈!
当時、打楽器を極めたい!と、燃える若き演奏家にとって、
彼に師事する事は極めて光栄な事であった。
彼のレッスンを長期に続行可能な弟子はある種の能力?を備えた、
選ばれし極少数の勇者達だ。

そんな恩師との長きに渡るレッスンは、日々混乱の極みに私を叩き落とした。

彼のレッスンを受け始め、まだ間もないある日の事。
朝9時スタートのレッスン。8時50分に恩師宅へ。
勇気を出してピンポ~ン、気配はあるが現れず。
「ん?いらっしゃらない?」 ここから私の謎深いレッスン、スタート!
程なくして扉がギ~っと開く。
仁王立ちの彼は納得しかねぬ!と言わんばかりに、あからさまに不機嫌な形相。
「わっ、キッタぁ~、、」 自分頓死、、、一言も発せずに固まる。
「君~それでいいの?···ハイ、やり直し」と、扉が『バタンっ』と閉まった。
2時間半かけてここまでやってきたのに、開かずの扉。

彼の変人っぷりは幼少より散々噂で聞き及んでいた。
これが勇者たちに襲い掛かる噂の通過儀礼かぁ~、、と思い出し、
ここで落ち込んではならぬ、このレッスン。
気を取り直し再度ピンポ~ン。
今度はインターフォン越しに(低い彼の声)、『はい。どちら様ですか?』
「林です。あのぉ~、、」 プチっ! 中途で切れた音声、、もちろん開かずのまま。
泣いてはならぬ、諦めて帰るわけにはいかない、と心を立て直す。
この理不尽とも言える、自分が陥った状況の打開策を必死に考えた。
ピンポ~ンの音が悪い? いやいや、ピンポン、機械だし。
キレッ?タイミング?言葉使い?それとも~?etc... 迷宮入りの試行錯誤。
この後3回の繰り返した後、6回目で第一関門突破 !!

 

巨大ペンギンのような彼

後日、ピンポーン事件の答え合わせ。
巨大ペンギンのようにも見える彼は、そのバリトンヴォイスで話し始めた。
「あなたは適当にチャイムを鳴らし、気持ちの下がり切った自信のない小さな声で、
自分の名前を言った。そんなやる気のなさそうな人はレッスンを受ける資格はない!
自己を紹介するという事は、自分をアピールするのだから堂々と!
そして明るい気持ち、雰囲気の良い挨拶からだ」

自分の姿勢を正されたうえ、彼はこう続けた。

「音楽家を目指す者にとってレッスンとは真剣勝負の場所だ。
気を整え、しっかりブレス。
ピンポ~ンと、一打入魂 !
応答に対し話し出す『間』は、音楽にとって大切な行間である。
相手の声を察知し、バランス良い声のボリューム。
そして、言葉を弾ませ、淀みなく、連ねるフレーズ。
話すという行為はリズム感、テンポ感が肝であり、
それらが調和してこそ、生命を感じる美しいアンサンブルが生まれる。
我々が生きている全ての空間には音楽が溢れているのだ。
それに気づかず、体現出来ず、良い音楽家にはなるには程遠い。
発見、学習、挑戦、反省を繰り返し進化する。音楽家は音と共に生きるべし。」

それを教えるために、随分と手の込んだレッスンをしてくれたものだ、、、

 

問答無用の課外授業

またこんな日も。
「さぁ、ミサト、行くぞ!!」
この掛け声がかかると、レッスンはさて置き課外授業へ。
何処に行くかは告げられず着いた場所は、某有名大ホールの入り口。
既に満員の聴衆は着席し、演奏が始まる瞬間を静寂の中、心待ちにしている。
彼と私はホール中央の一等席へ。

さぁいよいよ、、団員も着席、音合わせの余韻も空気に溶け、指揮者が壇上へ。
静寂の中、指揮者がタクトを振り上げる。
ジャーン! と空間を切り裂き曲が始まる。
この瞬間、勘の働く私は何やら妙な胸騒ぎを覚えた。
 2、 4、 そして6小節目、、、   
「ミサト、帰るぞ!」
この状況で今の今、帰る?って、
クラッシックの世界じゃ御法度、、
彼の言葉に抗えるわけもなく、
申し訳ない気持ち一杯で席を後にする。
生まれてきてごめんなさい、、と本気で思った。
先を行く彼はと言うと、いつもと変わらず、威風堂々。

ホールを出て開口一番、「中華へ行くぞ!」と一言。 
(へっ?エビチリ食べたかったの?)
オーダーを終えた後、それまで無言の彼がこう問いかけた。
「さっきのオケどうだった?」と。 
そう、答え合わせの始まりだ。

 

中華を前に音楽理論の座学が

美味しそうな中華が目の前に並ぶ。この時の私はハラペコの極致。
しかし、こんな時の彼は私の腹具合なんか察するべくもなく、
ひとり、喋り、ひとり、食べ、ひとり、ビールを飲む。
不機嫌そうに。
さぁ、音楽理論の座学がスタート!

音楽を成立させる大切な要素のひとつ、『間』。
どんな音と音の『間』にもすべからず意味を持つ。
その『間』ひとつで色彩が、
その『間』ひとつで流れが、
その『間』ひとつで心象が 、
変わる。
このちょっとした『間』で同じ音が異なる。
二度とないこの瞬間の『間』、やり直しはきかない。
彼は問いかける。
良し悪しがこの『間』で 決定づけられる。わかるか?と。
指揮者が登場する。
オーケストラ、会場、聴衆の空気を感じ読みとく。
指揮棒に全てを託し、
全ての気をぐぐっとまとめ上げ、
ブレスをし、指揮棒を振り上げる。
第1拍目のとても重要な指揮棒を振る。
その瞬間、楽しい音楽が生まれる。
これでこの日この時のコンサートの流れの 良し悪しが決まる。
音は鳴らずとも、既に音楽は始まっているのだ。
今日のコンサートは6小節までで十分。
その大事な始まりの瞬間、決意もなく、ゆるりと、疎かに、
無責任に音を垂れ流していると感じた。
音のプロフェッショナルとして本当に残念で、決してやってはいけない事だ。
よって納得しかねるので、失礼ながら退出させてもらった。
という事であった。

巨大ペンギンの音楽論は延々と続き、
春巻き半分しかありつけなかった私は空腹を抱え、
悶々と、その日の出来事と彼の教えを反芻しながら終電に揺られ家路についた。

 

演奏技術より大切なもの

振り返れば、そんな彼の教えの多くは演奏技術より、
音楽を成す「音」の本質に迫る事の大切さ、
そして、その本質を追求する旅を続ける体力、とも言える人間力を鍛える、
そんな教えがほとんどだった。
長きに及び次々と出される変態的レッスンの難題の数々は、
その全てに意味があり、今になっても時々答え合わせをする
シンプルだけど奥深い物だった。
才能、努力だけでなく、チャンスも必要な音楽の世界はとても厳しい。
しかし最後は個々の人間性、自然体でいる事、ときめき、歓喜が
重要だと言っていた。
「音」を「楽しむ」という事を深く掘り下げて追及せよ、と
私にそれを根気よく、粘り強く、徹底的に叩き込んでくれた師には、
心から感謝してる。

そんな教えの数々をひっくるめて、 私が演奏家として辿り着いた
最も大事にしている核なるものとは、とてもシンプル。
1音1音、心を込めて大切に届ける、、

私が奏でる全ての音にそれが出来たなら、 私はきっと良い演奏家だろう。
私にとって日常に在る些細な音はもちろん、
人の喋り声だって、聴こえない音だって、心動かされる音のすべては音楽。
そう、世界は音で満ち溢れている。

ちなみに選ばれし勇者たる条件とは、
変人or変人になれる者のみ。
私はどうか?と問われれば、私を知る人は皆こう言うだろう、
「ミサトって、変だよね?」と。