昨年、クラウドファンディングで最新ヴィンテージを日本に届けたヴィクトリア州はヤラ・ヴァレーのワインメーカー『ピンパネル ヴィンヤーズ』。その最新ヴィンテージは今年も、クラウドファンディングにて日本に届くことになった。

中心となるヴィンテージは2018年。一部は2020年のものも。その2020年に、ヤラ・ヴァレーは「フィロキセラ」と戦っていた。

今回日本初リリースとなる4種類のワイン

フィロキセラとはなにか?

ワインの世界ではおなじみのワード「フィロキセラ」。ブドウ樹を枯らせてしまい、対応は非常に困難、という恐怖の伝染病みたいな存在だ。その正体は「ブドウネアブラムシ」という人間の目には見えないほど小さな昆虫。このフィロキセラの幼虫がブドウ樹の根や葉から樹液を吸って成長することで、ブドウ樹を枯死させる。

フィロキセラがいるかどうかは土を掘って調べる。地道してプリミティブな作業だ
写真提供 VINE HEALTH AUSTRALIA

ワインの歴史を勉強した人だと、1863年という年号とともに覚えているのではないか? 曰く「いや(18)なむし(63)だよフィロキセラ」これだと1864年っぽいけれど、1863年が正解で、この年はフランス、コート・デュ・ローヌ地方で謎のブドウの枯死が広がった年。以降、フランス全土、ドイツ、スペイン、イタリアと同様の被害が相次ぎ、ヨーロッパを中心として、世界のブドウ産地は10年ほどの間に、本当に全滅するんじゃないか?というほどの絶望的な打撃を受けた。シャンパーニュ地方なんて、これが遠因となって一揆というか革命騒動まで起きた。

それでこれは、奇病でも呪いでもなく、虫が原因、ということが判明し、1873年に、ヨーロッパ系ブドウだとこの虫の前に成すすべがないものの、そもそも、フィロキセラがいたアメリカ系のブドウの一部は、被害を受けない、ということがわかった。よって、フィロキセラに寄生されたブドウ樹は抜き、アメリカ系の耐虫性ブドウ樹を台木にヨーロッパ系ブドウの枝を接ぎ木をすれば、フィロキセラにやられない、という解決策が採られた。

採られた、といっても、いまあるブドウ樹をぜんぶ引っこ抜いて、これを耐虫性ブドウ樹台木+ヨーロッパ系ブドウの枝に変えて、ちゃんとしたブドウが実るまで待つのだから、精神的・経済的打撃は深刻だった。

というわけで、この騒動は、ワイン史の重大事件として今も語り継がれ、現在、世界のワイン用ブドウ樹は、ほとんどが接ぎ木だ。

一方、ヨーロッパでも一部の区画や地域、チリ、南オーストラリア州などは、フィロキセラを回避できており、そこにはいまも「自根」のブドウ樹があり、レア物として珍重されている。

2019年、そんなオーストラリアにフィロキセラの被害が出たというのだ。

大型ワイナリーが一個まるごと吹き飛ぶ被害

ワイン産業は20世紀のはじめ頃には、台木を使う対抗策で、基本的にはフィロキセラを克服している。このため、フィロキセラというのはペストやコレラのように歴史的な話として語られがちだが、これはその実態は細菌でもウイルスでもなく虫であり、絶滅したわけでもないため、現在もわりとブドウ樹周辺には生息している。

とりわけ、自根で育っているブドウ樹で、フィロキセラの好物であるヨーロッパ系は注意が必要で、オーストラリアは先述のとおり、フィロキセラはいない場所、とされていて、さらにここは、フランス系、ドイツ系、イタリア系、南アフリカ系と、ヨーロッパ系ブドウ品種が多く、ひとたび、フィロキセラが広がりだすと、ワイン産業壊滅のおそれがある。それが起きたのだ。

フィロキセラを調査するチーム
写真提供 VINE HEALTH AUSTRALIA

150年前と違い、現在はノウハウがあるので、被害が出ればフィロキセラだ、ということにはすぐに気づき、フィロキセラが拡大しないように、調査・駆除と、対策メソッドはあるものの、フィロキセラにやられてしまった場合の対処法は発見次第、侵されたブドウ樹を抜根、という150年前と同じ手法。栽培家にとっては財産であり魂ですらある、物によっては何十年と手塩にかけたブドウ樹を、引っこ抜く、というのは、すんなり受け入れられるものではない。

しかも、オーストラリアのブドウ樹には、さまざまな歴史的な物語を持っている、いまでは二度と手に入らない人類の遺産的なものもあるのだ。

2019年から2020年、ヤラ・ヴァレーを襲ったフィロキセラの被害地域は1000ヘクタール超。被害総額は92億円程度とのことで、これは世界のどこでも手に入るメジャーワインを造る大手ワイナリーがまるまる一個なくなったくらいの甚大な被害だ。

被害にあったブドウ樹を引き抜き、耐性のある台木に植え替えたヤラ・ヴァレーのブドウ畑の様子
写真提供 VINE HEALTH AUSTRALIA

昨年、今年と、日本ではクラウドファンディングで最新ヴィンテージを発表しているヴィクトリア州、ヤラ・ヴァレーのワインメーカー『ピンパネル ヴィンヤーズ』も被害にあった地域に入っていたワイナリーのひとつ。同ワイナリーの栽培家にして醸造家、ダーミエン・アーチボルトは、もともと、自分のブドウが病気や害虫の被害にあう可能性を考え、管理を徹底していたため、自園にフィロキセラは確認できなかったそうだが、隣接するブドウ畑には被害があったことから、自社農園のうち、フランスのヴォーヌ・ロマネの土壌を再現した、とっておきの区画以外のブドウ樹は全部、抜根した。

ダーミエン・アーチボルト

その畑は、一部が、再植樹されているが、ワインにしうる実をつけるのは、まだ、何年か先のことだし、そうやって実ったブドウが、果たして、ダーミエンのお眼鏡にかなうワインになるポテンシャルを備えているのかも、いまはまだ、わからない。

災い転じて福となすか?

ところで、地球温暖化が叫ばれるこんにち、ブドウの栽培メソッドには、変化が必要である、という栽培家は少なくない。

現在、世界的に主力のブドウ樹は、樹齢20から50年程度のものが多いのだが、30年くらい前というのは、まだ地球温暖化が声高に叫ばれる前だったため、むしろ1970年代くらいの教訓から、寒い環境でもしっかり熟すブドウ樹が、寒い環境でもしっかり熟すように植えられていたのだ。しかし、蓋を開けてみれば、いま必要なのは、暑くてももゆっくり熟すブドウと、暑くても平気な顔をしていられるブドウ畑環境。

とはいえ、ブドウ樹はそう頻繁に植えかえるものでもないうえ、多くの地域は、ここにはこの品種を植えていいが、あの品種はダメ、といった細かなルールがあるため、世界のブドウ畑の温暖化対応はかなりゆっくりなのが実情だ。

ダーミエン・アーチボルトは不幸にも再植樹を余儀なくされたことと、制約のほとんどないオーストラリアであることを利して、今回、畑をこのあと20年先を見越したものへとアップデートした。

この傾斜のほぼないゆるやかな土地には、現在、東西方向にピノ・ノワールを植えている。以前は北南方向に植えられていた。

災い転じて福となすか。結果が出るのは、これから数十年先の話。

地理的な要因に起因する物流の細さや、産業規模の小ささから、知名度こそ高くないものの、若い凄腕が揃うオーストラリアの小規模生産者たち。筆者はいずれ、彼らが、フランスやイタリア、アメリカやニュージーランドのスターに比肩する高級ワインの造り手として知れ渡り、世界的に引く手あまたな「買いたくても買えない」存在になるであろうと踏んでいる。というよりも、すでに、その兆しはあって、この地で人気を博しているワインは、希少化しているし、すでに評価の定まった伝統産地の10倍の価格のワインと比べても、質的には、さしたる遜色がない。

飲んでおくならいまのうち。とりわけ『ピンパネル ヴィンヤーズ』などは、フランス ブルゴーニュの特級ワインの牙城に、本当に、一矢も二矢も食らわせかねない。ブドウ樹とともに、ここでその芽が摘まれてしまわないことを祈るばかりだ。