「なになにのロマネ・コンティ」というと、それは、その界隈でも飛び抜けて高価だったり、希少だったりするものを指す。ところが、ロマネ・コンティが本来所属するワインの界隈では、ちょっと事情が異なっている。今回は、まだ日本ではあまり知られていない、オーストラリアのロマネ・コンティを紹介したい。

ピンパネル・ヴィンヤーズのダーミエン・アーチボルト(左)とマーク・ホリガン(右)

オーストラリアのロマネ・コンティの新しい方

 ワイン好きなら誰しも、ロマネ・コンティと聞けば、ビビるものだ。

 ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティ(DRC)社が単独所有するフランス 、ブルゴーニュはコート・ドール県ヴォーヌ・ロマネ村にある、約1.8ヘクタールのグラン・クリュ(特級畑)。そこのピノ・ノワールから造ったワインが、泣く子も黙るワイン界の頂点『ロマネ・コンティ』である。

 このワイン、世界一高い。「ロマネ・コンティならここ30年、全ヴィンテージ飲んでいる」なんていう人は、おそらく世界中探してもいないに等しいであろうほどに、希少かつ超高級品だ。

 ゆえに、ロマネ・コンティはもはや、高級品の代名詞として一般名詞化もしているほどだけれど、一方で、ワインの世界では、DRC社の関係筋、という正当な理由があったり、ロマネ・コンティに近い味わいである、と専門家が評価したワイン、あるいは、とんでもない高値で売り買いされるワインは、どこそこのロマネ・コンティ、などとあだ名されたりする。有名なところでは、『カレラ』というワイナリーのピノ・ノワールのワインが、カリフォルニアのロマネ・コンティと呼ばれたりしている。

 そういうワインが、オーストラリアにもあって、『コールドストリーム・ヒルズ』のピノ・ノワールが、ロマネ・コンティを超えることもある、などと専門家に評されて、オーストラリアのロマネ・コンティとして、その筋では知られている。

 そして、このオーストラリアには、これとは別に、オーストラリアのロマネ・コンティ、と呼ばれるワインを造る造り手が存在している。それが、ダーミエン・アーチボルトとマーク・ホリガンのワイナリー『ピンパネル・ヴィンヤーズ』だ。

 

17歳で名人に才能を見込まれたアルバイト青年がいまや達人醸造家に

 この二人は、メルボルンの東に位置するワイン産地、ヤラ・ヴァレーをオーストラリア屈指のワイン産地として有名にしたワイナリー『ヤラ・イエリング』のベイリー・カローダス博士の弟子&友人。ちなみに、先のオーストラリアのロマネ・コンティこと、コールドストリーム・ヒルズもヤラ・ヴァレーにあるワイナリーだ。

 ともにヴォーヌ・ロマネのワインを敬愛するダーミエンとマークは、2008年に博士が他界すると、自分たちの愛を表現したワインを地球の反対側で造ってやろうではないか、と、ピンパネル・ヴィンヤーズを立ち上げた。

 ヤラ・ヴァレーはそもそも、気候の条件的には、ヴォーヌ・ロマネと近いことから、そこにワイナリーとブドウ畑を構えたのだけれど、残念なことに、選んだ土地の土壌は、かなりいい線いっていたものの、やっぱり細部がちょっと違った。そこで、ヴォーヌ・ロマネに赴いて、学者とともに土壌のph値などを徹底的に調べ上げ、自社畑の土壌に同じ数値を再現。およそ250トンの石灰岩をフランスから取り寄せ、自社畑に敷き詰める、ということまでしているという。

 醸造に関しては、17歳のころに『ヤラ・イエリング』にアルバイトで入り、その後、カローダス博士に才能を見込まれて、その右腕となったダーミエンは、そもそも叩き上げの達人なのだけれど、樽も、DRC社でも使用されているフランソワ・フレール社のものを使う。

 といったことで、特にDRCの関係者でもないピンパネル・ヴィンヤーズのワインは、いまや成長し、オーストラリアはもとより、日本でも高級レストランのリストに載るほどに評価されている。

 そして、これはヤラ・ヴァレーのワイン全般に言えることだけれど、この地のワインはカルト的人気があって、かつ、生産者の規模が小さいので、入手性に難がある。ネットで気軽にポチッと、というわけにはなかなかいかないのだ。そのうえ、いまは、新型コロナウイルスの影響で、こういう優れたワインのメイン消費地であるレストランが安定せず、物流も混乱している。なおさら、欲しくても手に入りにくい。

 そんなわけで、ピンパネル・ヴィンヤーズの最新ヴィンテージと新作は、日本ではクラウドファンディングでお披露目されることになった。これもまた、ファインワインやガストロノミーの世界で広がりつつある、ニュースタイル。気になる方はページ下のリンクを見てみてほしい。オーストラリア 第2のロマネ・コンティとはいえ、価格はロマネ・コンティの100分の1くらいなので、ご安心を!