文・写真=沼田隆一

街角に多くある無料でPCR検査や抗体検査ができるポップアップ

自由に翻弄されるアメリカ

 ニューヨークは今日も活気に満ちている。街を歩くとまだパンデミックの状況とは言え、昨年に比べれば人通りは多く、近所の個人商店も多くは再開して久しく、マスクをしている以外は以前のニューヨークに戻った気がする。

 旅行者だけではなく、留学生や研究者などにも門を閉ざす鎖国の日本とは違い、オミクロン株で感染者が急上昇してからも、アメリカは海外からの訪問者を受け入れている。そのせいか、旅行者の数が非常に多くなって、ニューヨークのヴァイタルサインも上向きである。

 しかし残念なことは、今の感染者の大多数がワクチン接種をしていない人たちだと報道されているにもかかわらず、日本のように右に倣えとはいかないようだ。ワクチン接種率も約64パーセントに止まっている。世界でいち早くワクチンが開発され、そのストックが潤沢にあるのにもかかわらず。

 就学児童のマスク着用に対しても、親から反対運動が起きて裁判で争われているところも多い。建国の基本理念の一つである自由と言う言葉が、ワクチン接種やマスク着用義務に関しては、選ぶ自由として台頭してきて、公衆衛生と自由のバランスという複雑な問題に発展している。今だにワクチンの有効性を信じず、民主党の仕掛けた罠であると、真顔でメディアのインタビューで答える人が少なからずいることに、アメリカの脆弱性を見るのは私だけではないと思う。

 

弱体化するアメリカの民主主義

 そのアメリカは、前政権からの負の遺産が残っている。2020年の大統領選挙に不正があり、無効だというプロパガンダを流す前大統領と、それに近い右派のグループによって分断されているからだ。

 投票方法に規制をかけるような民主主義そのものを脅かす法律も、いくつかの州で可決されており、民主主義の番人などと豪語していたこの国は、今や政情不安定な状況に陥っている。台頭してきた他国に対して、有効な外交手段を見出せずにいるといっても過言ではないだろう。この国はいつからそんなに弱くなってしまったのか。

 そもそも人間は性善であり、平等を願うという考え方と、知性によって経済運営を計画的にコントロールできるというものの考えがあったが、その考えは残念ながら人々のエゴイズムと英知の欠如で、無残にも崩壊した気がする。目の前の利益をむき出しに追及する資本の力が猛威をふるっているからだ。

 しかも人権や環境破壊などを喫緊の問題として取り上げる必要がある状況で、なかなかリーダーシップを発揮できていない。すべてをパンデミックのせいにすることはもう許されない。アメリカの世界における発言力が弱体していることを、街行く人はどこまで感じているのだろうか。

 私が1950年代、60年代に胸躍らせて眺めていたテレビドラマ。『TIME』や『LIFE』に出てきた写真で見るカラーのアメリカ。IVYやトラッドと言ったあこがれのファション‥‥。その豊かな経済力で自由な社会を創ろうとしていたこの国の理念は、過去のものになってしまったようだ。

 その原因の一つが前回の大統領選から続く、国内の分断である。

 この分断と切っても切れない人種差別に関して思い出されるのが、大学院時代に学んだCritical Race Theoryという学説である。今も根強い人種差別は、我々ひとり一人の中にある個人的な偏見や思い込み以外に、アメリカにおける白人至上主義や奴隷制度を経てきた、法制度や公共政策にも根付いているというものである。

 こういう考えを教育の場で教えることにも、まだまだ保守派の根強い抵抗があり実現できていない。やはり、子供のころに潜在意識の中に組み込まれている教育の影響が大きいことに、気付いている人はあまり多くはない。

 

求められるアメリカの価値尺度の変革

 アメリカをあらためて眺めてみると、社会制度や法律などの根底に流れる様々な価値尺度は、やはり白人ベースであると感じる時がある。この国の成り立ちは、先住民を征服、あるいは懐柔した、白人と呼ばれるヨーロッパ移民が築いたことに始まる。そしてその初期の移民たちの持ち込んだ価値尺度が、この国の基となっている。それが白人ベース、ヨーロッパベースの宗教や倫理・道徳や文化基づいたものであったことは否めない。

ニューヨーク自然史博物館の前にあったセオドア・ルーズベルト大統領の騎馬像は植民地主義や人種差別のイメージにつながるとして撤去された。グリーンの板で囲まれているのが元設置された場所。歴史を見直す必要性がこの撤去に込められている

 もちろんその中には、奴隷として連れてこられた人々は入っていない。奴隷制度廃止、南北戦争などを経て、国の制度や法体系ができる中でも、その根本は変わらなかった。それは同じ価値尺度を持つ移民が来ている間はよかった。ただ、アメリカが富を持つにつれて、磁石のように世界中のあらゆる人々を引き付けるようになったことで、状況が一変した。

 現在のアメリカを見ると、白人がマジョリティーとは決して言えない状況になってきている。そんな状況を巧みに利用し、ことさら白人社会に危機感を煽ったのが20年のの大統領選挙だった。“America Strong”と絶叫していた前大統領や急進的な保守派の本音は、”White Strong”であったのではなかろうか。

 この影響で、今なお保守的な白人の中でのマスヒステリアは続いている。なかなか進まないワクチン接種率、今も続く物価の上昇や銃器による殺人事件の急増、ロシア、中国、北朝鮮との外交的緊張も、そのマスヒステリアを悪化させている。

 国内を二分する不毛な争いの源流には、今まで見直すことを避けてきた”価値尺度”があることに気づくべきだ。見直すことは、今までの尺度を全否定するものではない。しかし、不変であってはならない。変革なくしては、尺度はただ過去の遺産になってしまうからだ。

 

試練に立ち向かうニューヨーク

 ニューヨークは、ニューヨークであってアメリカでないとよく言われる。そのためなのか、そこまで過激な白人優位性を唱える人は少ない。しかし民族との共生社会を維持するための代償は高い。

 市内では、人種問題の影響で弱体化した警察をあざ笑うかのように、殺人事件が増え続け、地下鉄における犯罪は減ることなく、不法銃器の市内への流入などパンデミック対策以外の問題が山積している。

 しかし、希望がないわけではない。黒人で史上二人目という警察出身のアダムス市長が誕生したのだ。そこには、社会の弱体化による、悪の増殖を食い止めようとする市民の願いが込められたのかもしれない。また、市議会では歴史上はじめて女性議員が過半数以上を占め、人権、ジェンダー、ダイヴァーシティ、平等なども問題にも立ち向かおうとしている。

 ニューヨークは“New York Tough”をスローガンに、COVID-19にも逞しく対峙したことで、オミクロン株の感染者数は急速に下降線をたどっている。この人々のタフさは、やはり、その多くが飢饉や迫害、困窮した生活から逃れるためにやってきた、移民の強いサバイバル意識がバックボーンにあるからかもしれない。

殉職した警察官を市を挙げて弔った。五番街の沿道には市民やNYPD ブルーの警察官、消防士、他州の警察官も参列していた。若くして殉職した二人の警察官は臓器提供に同意していたことを付け加えたい

鎖国の日本は遠い国

 日本を見ると、なかなかブースターショットの目処が立たない中で、オミクロン株が猛威を振るっているようだ。5歳以上の子供のワクチン接種が、ようやく認められるところまできたと聞く。もちろん、日本が必ずしも欧米の対処法を模倣する必要はなく、独自のやり方があると思うのだが、私のような凡人には、対策を実施するスピードがもどかしく思える。

 緊急事態宣言、蔓防、濃厚接触者、自宅療養者など、素早く言葉は生まれるが、細かい定義とともに、目まぐるしく変わる方針に私の理解は追い付かない。政府や専門家の会見やニュースで使われている専門用語を、人々はどこまで理解しているのだろうか。

 私のところにも、日本の外務省や領事館からのメールが頻繁に来る。外国から日本に入る人たちの検疫も、アメリカに関しては州ごとに細かく決められており、PCR 検査も検査方法、書式の指定があるという。しかも、ニューヨークの街中で随時行える、無料のPCR検査と違い高額なのだとか。

 よくよく考えたら、これは日本に来るなという日本独特のオブラートに包んだメッセージなのだと私は理解し、当分日本に行くことをあきらめた。パンデミック前まで、日本の大学や大学院に留学し、学び、研究していた私の友人たちは、すでに日本行きをあきらめ、留学先を他国に変更している。そのことを日本で知る人は少ない。

 パンデミックのおかげで労働力として期待されていた、いわゆる職業実習生などの来日もできなくなり、いま、日本は労働力不足が指摘されている。実質、移民と変わりのないこの人たちは、確実に日本の経済や社会を構成する一部となっているのだが。

 この流れの中で人種の多様化が始まり、ジェンダー問題、LGBTQの問題などが起こった場合、日本古来の価値尺度のままでは社会が潤滑に動かくなってくるだろう。そういう日が来るのは、そう遠くない気がする。そんな時、”純粋日本人至上主義”が祭り上げられることなく、自分たちが守ってきた尺度のどの部分を変革する必要があるのか、を冷静に考えれる人たちが現れることを切に願いたい。

 

価値尺度を見直すところから始まる新たな創造

 今、未解決の問題に、政治的、外交的、経済的理由で目を背ける余裕は人類に残されていない。既存の価値尺度から抜け出し、永年固持していた考えから解脱することが、問題解決への新しい道を見つけるパスワードかもしれない。それは、今まで守ってきた価値尺度の全否定では決してない。社会の変革や世界のダイナミズムを反映しながら、尺度を変えていく勇気は、これからもっと必要になる気がする。

気温が零下になる日も多いがセントラルパークにできるスケートリンクは多くの人たちの心を和ませる

 ニューヨークはカラフルである。街を行く人々の肌の色や耳に入る様々な言語は、音楽でいえば素晴らしいオーケストレーションである。世界のありとあらゆる文化、芸術、料理が刺激しあいシナジーを生む場所。権威の評価に盲従することなく、人目を気にせず自分の好みや情熱を出せる街である。

 これらがすべてこの街の血であり肉になっている。このカラフルさゆえに新しいエネルギーが生まれる。このパンデミックで、いろんな面で変化を受け入れやすくなっている今こそ、我々自身を過去の呪縛から解放し、新しいページを書き出すチャンスなのかもしれない。