変わりつつある発表会の形

 長年続いてきた時計の新作発表会の形が、今、変わりつつある。2000年代の時計ブームの影響で、日本でもスイスを中心とした時計ブランドの数々が広く知れ渡るようになった。それと同時に、3月~4月にスイスでバーゼルフェアなるものが行なわれていて、そこでその年の新作が発表されていることもメディアの取材によって知られるようになっていった。少しでも時計のことに興味がある人ならば、常識と言っていいほど定着していたイベントである。それが今年、大きな転換期を迎えることとなったのだ。

 そもそも世界最大の時計フェア、バーゼルワールドが現在のような形になったのは、1972年と言われている。以来、毎年時計ブランドの新作発表の場となってきたのだが、91年にカルティエを中心としたグループが招待制の高級サロンSIHH(ジュネーブサロン)を立ち上げ独立。以降、昨年までは毎年この2つの発表会を軸に時計界の1年がスタートし、動き出していた。

 今年は、そのバーゼルフェアから世界最大のウォッチ企業グループであるスウォッチグループが撤退したのである。次に何をするのかを発表しないままだったので、どのように新作を発表するのかが注目され、時計界隈で働くジャーナリストの間でも話題になっていた。

 そんな中、バーゼルフェアも終わり4月になって、5月14日から3日間、スイスにおいてスウォッチグループから新作発表会を行うと発表された。しかも、それは記者会見等で大々的に発表されるわけでもなく、招待されるジャーナリストにメールで通達された。その数は世界で約150名、日本は13名であった。幸い筆者もそのリストに入り、TTMに参加させてもらうことができた。ちなみに、私へのメールの差出人は、ナイラ・ハイエック ハリー・ウィンストンCEOだった。

 そして、それはグループの中でも高価格帯のコレクションを持つブレゲ、ブランパン、ハリー・ウィンストン、オメガ、ジャケ・ドロー、グラスヒュッテ・オリジナルの6ブランドだけに絞って行われるということだった。発表会の名は「TIME TO MOVE(TTM)」。まさに“動くべき時がきた”のである。

 

スイス、ローザンヌを拠点に

 TTMでの取材は3日間。スイス、レマン湖の北岸に位置するローザンヌを拠点に行なわれた。約150名の取材陣はローザンヌに宿泊し、1日2ブランドを3日かけて訪問する。ドイツに本拠があるグラスヒュッテ・オリジナルを除き、各ブランドの本社を訪問して製作現場の見学、説明と新作のプレゼンテーションを受けるのだ。ただ、グラスヒュッテ・オリジナルだけは、ジュネーブのホテルに什器や機材を持ち込んでの説明となった。

 それぞれの本社まで、片道1時間半前後の移動時間を要するため、ローザンヌの出発は毎日、朝7時。結構なハードスケジュールだが、これまでにない体験なので、ジャーナリストたちは嬉々として取材に当たっていた。

 それに今回のTTMでは、これまで取材がNGとされてきたハリー・ウィンストンやブレゲの工房取材も含まれ、さらに坂茂さんが設計した画期的なオメガの社屋も見学できたので、それらはヴェテランのジャーナリストであっても貴重な体験と言えるものであった。

 各ブランドでのプレゼンテーションは、3~4時間。開発担当者が説明してくれ、質問の時間もたっぷりとあったので、各モデルがよりわかりやすく頭の中に入ってきた。さらに、工房での説明もセットになっていたので、ブランドの特徴や環境、世界観などを改めて知ることとなり、勉強にもなった。各々がとても充実したプレゼンテーションだったといえるだろう。

 その中で、各ブランドのCEOや開発責任者が発する言葉を聞いて、なぜいまスウォッチグループが、あえてバーゼルフェアから離れて独自の発表会をするのかがわかってきた。

 多様化の時代だからこそ、ブランドの哲学や信条をしっかりと伝えないといけない。時計界もスマートフォンなど新しいテクノロジーが台頭してきているからこそ、高級時計の魅力を十分に伝える必要がある。それはモノとしての商品だけではなく、その歴史や背景にあるエモーショナルな部分にも及ばなければ、本当のことはわからないということである。それらを含めてが高級腕時計であることを、改めて知るにはとてもいい機会だった。

 個人的には、発表会の新しい形を示せたこと、ブランドを深く知ることができたこたなど、TTMは成功だったと思う。ただ、スウォッチグループのような巨大グループだから成し得た形式とも言えるだろう。

 来年はオーデマ ピゲとリシャール・ミルがSIHHから、ブライトリングがバーゼルからの離脱を表明している。また新しい形態が生まれるのか興味は尽きないが、一方で、時計界のお祭りなので、みんな集まってやった方がいい、という声も聞く。

 その答えは数年後にならないとわからないと思うが、スウォッチグループが投げたTTMという波紋は、今後の時計界に影響を与えるだろうし、我々もいろいろと考えさせられるイベントとなった。