そもそもは靴の職人のサルヴァトーレ フェラガモが創業し、いまやイタリアを代表するラグジュアリーブランドである「フェラガモ」。一族経営を基本とする同社は現在3世代目のジェームズ・フェラガモがファッション部門の要職にあるのだけれど、その双子の兄サルヴァトーレは、トスカーナ州にあるフェラガモ家の屋敷にてワインを造っている自称「農夫」であることをご存知だろうか?
パンデミック以来、久しぶりに来日したサルヴァトーレ フェラガモの仕事とそのワインを紹介したい。
フレンドリーなスーパータスカン
スーパータスカンと呼ばれるワインのスタイルがある。
ちゃんと説明すると長い話になるので、以前、パンツェッタ・ジローラモさんが言っていた説明を記憶で引用すると、以下のようなワインだ。
「美味しい野菜や魚が採れたら、イタリア人はすぐに食べちゃう。ワインも同じ。イタリア人はブドウは収穫したそばから、全部さっさとワインにして飲んじゃう。でもフランス人はそうじゃない。すぐに食べない、飲まない、料理する。ブドウを選別するし、収穫した土地や品種で細かく分けるし、そうやって分けたワインをブレンドして味をつくっていく。優れたブドウを育てているのにイタリアではワインは日常的な飲み物で、フランスには特別にもてはやされるワインがあったのは、たぶんこの違いに理由があって、1970年頃、一部のイタリア人がフランス人のやり方をイタリアでもやってみた。そうしたら世界が驚くような特別なワインができた」
スーパータスカンは、そういうワインの代表格で、タスカン(トスカーナ州)で造られるスーパー(高級な)ワイン。ボルドーの高級ワイン風の赤ワインで、ブドウ品種もボルドー系のもの(メルローやカベルネ・ソーヴィニヨン)がブレンドで使用されるのが一般的。同じくトスカーナ州の高級ワイン「キャンティ・クラシコ」がイタリアの土着品種サンジョベーゼにこだわった伝統的ワイン造りをベースにしている一方で、自由なスタイルで双璧をなしている。
『イル・ボッロ』は、スーパータスカンとして1999年にデビューしたワインで、登場後すぐに、ワインの専門家からの高い評価を受けたことと、このワイナリーを興したのが、かの「フェラガモ」ブランド躍進の立役者フェルッチオ フェラガモである、ということで名を馳せた。
そんなワインであれば、高価格かつ、飲み頃までには我慢が必要で、いざ飲むとなっても、温度や空気との接触のさせかた、食事との相性など、いろいろと美味しく飲むためのコツが必要になるワインを想像しがちだけれど、『イル・ボッロ』は、もちろん、そうやって飲んでもいいのだけれど、取り扱いにそこまで神経質にならなくても美味しく、質とブランドバリューのわりに価格が手頃なのが特徴だと、筆者は常々おもっている。フレンドリーな高級ワインなのだ。
ラグジュアリーとはなにか?
その『イル・ボッロ』を造る「イル・ボッロ」は、ワイナリーであると同時に、ボッロ村というひとつのコミュニティの名称でもあり、実に1300ha(東京でいうと豊島区くらいの面積)という広大な敷地には、「ルレ・エ・シャトー」に加盟する、世界最高峰のホテル、トスカーナ料理を振る舞うレストラン、フェラガモ家の邸宅のほか、豊かな自然と中世の面影を強く残す村がある。
そもそも、15世紀のメディチ家の武人で、オスマン・トルコ軍との戦いで名声を高めたアレッサンドロという人物が爵位とともに手に入れた所領という起源があるコミュニティを、フェラガモ家が自給自足するエコシステムへとアップデートさせているのが現在のボッロ村だ。
自給自足どころか、その恵みは村外に提供するほどに豊かで、ナチュラルな手段で生産される電力と食料は、この村を巨大なリゾート地へと変えている。お金と時間に余裕があれば、観光客として村の建物に宿泊し、乗馬、マウンテンバイク、ハイキング、料理教室と様々なアクティビティを楽しめる。
日本でも手に入るワイン以外にもハチミツ、オリーブオイル、パスタ、チーズ、各種野菜にチキンと卵も自慢の産物とのことで、イル・ボッロの食材で料理を提供する「イル・ボッロ・タスカン・ビストロ」という料理店は、ロンドン、ギリシア、ドバイに支店を展開し、ドバイではベストイタリアンとの評価を受けるほど。
と、来日したサルヴァトーレさんは、日本のメディアにあらためてイル・ボッロを紹介するなかで、こんなことを言った──
「私にとって農業はラグジュアリーです。なぜなら、1から10まで自分でコントロールできるから。そして、いま、私たちがやっていることと同じことを、これから先もずっと続けていけるから」
先に言ったフレンドリーなワインが生み出される理由は、この超然的な姿勢にあるのではないか?
スーパータスカンとサンジョベーゼ
広大なボッロ村でブドウ栽培がなされている土地は85ha程度だという。1300ha比では少なく感じられるけれど、1ワイナリーの自社畑としては十分に広い。
主にブドウ栽培がなされるのは北に望むアペニン山脈から、アルノ川へと下る斜面で、標高が高く、水はけのよい岩がちの土壌でサンジョヴェーゼ、そこからやや下って砂利がちな土壌でシラー、さらに下って砂質の土壌でカベルネ・ソーヴィニヨン、その下、粘土質土壌でメルローを育てる。
そのほか日本での輸入社「エノテカ」の創業者 廣瀬恭久氏と飲んだシャブリにインスピレーションを受けたトスカーナ初のシャブリスタイルの白ワイン『ラメッレ』用のシャルドネを育てる、海底隆起で形成された石灰と砂質の土壌の畑があるそうだ。
ワイナリーのフラッグシップ 『イル・ボッロ』はメルロー50%、カベルネ・ソーヴィニヨン35%、シラー15%(以前はこれにプチ・ヴェルドが使われていた)なので、『イル・ボッロ』と『ラメッレ』だけだとトスカーナの魂、サンジョベーゼの行く先がない。つまり、これらとは別のワインがあって、そこで使われている。とりわけサンジョベーゼが輝くのが『ペトルーナ』という赤ワインだ。
イル・ボッロはたくさんのワインを造っていて日本でもその大部分が手に入る。価格は、品質と比していずれもリーズナブルだ。そのなかでも、この3本+『ボッリジアーノ』という赤ワインが中核といっていいとおもう。
ここまでさんざん述べたように『イル・ボッロ』はインターナショナルな赤ワイン。
最新は2018年ヴィンテージで、これが1999年ヴィンテージの初代『イル・ボッロ』から数えて20作目のアニバーサリー・ヴィンテージとなるのだけれど、創業以来の最高傑作では?とサルヴァトーレさんが自賛するのも納得の出来の良さ。筆者おもわずノートに「うまい!」と書いてしまったほど。
客観的に表現してみると、ヘヴィーで長期熟成しないと真価を発揮しないようなスタイルではなく、若い段階でもまとまりがよく、ジェントルでエレガント。サンダルウッドやヒノキなど、香木をおもわせる香りと優しい口あたりは以前から『イル・ボッロ』の特徴だけれど、ちょっとサンジョベーゼをおもわせるような独特のクセがあるのは、なぜなのか? ブドウに由来するのか醸造に由来するのか。このいささかイタリアンなニュアンスも魅力的だ。
『ラメッレ』もシャルドネ100%で、シャブリのスタイルを踏襲しているから、インターナショナルな白ワインと言っていいだろう。最新は2021年ヴィンテージ。
年によってやや性格が変わるけれど、基本的にはミネラリーな冷涼土壌で育ったシャルドネらしいさわやかなワイン。2021年はパインやマンゴーのようなトロピカルフルーツのニュアンスがやや弱く、酸味や苦味の印象が強い、よりクールな雰囲気だ。
一方で、サンジョベーゼ100%の『ペトル―ナ』は、地理的にほとんど同じ場所のキャンティのワインが頭を過るのだけれど、悪く言えば酸っぱくて甘くて草っぽい品種をよくぞここまで、と感心するほど、サンジョベーゼの良いところを引き出している。
素焼きのツボ「アンフォラ」のなかに1年間、果皮とともに漬け込んで醸造・熟成させ、最初の6週間は撹拌(バトナージュ)も毎日していると聞くと、むしろサンジョベーゼのクセが強く出た、人を選ぶワインなのではないか?と想像してしまうのだけれど、真逆。万人が嫌いになれない、性格のいい洗練された美形といった出で立ち。
この『ペトル―ナ』と25%のサンジョベーゼに40%のメルロー、35%のシラーという、それはそれでスーパータスカン感のあるブレンドをした『ボッリジアーノ』(味わいや香りは『イル・ボッロ』をややワイルドにしたような雰囲気で、冷やして飲んでも美味しいとおもわれる)は、ヴァルダルノ・ディ・ソプラというD.O.C.を身にまとっている。
そもそもは1716年にトスカーナ大公国のコジモ三世が定めた4つの指定地域のひとつ、つまりトスカーナ初のD.O.C.のようなワインの名産地だったそうだけれど、19世紀に消滅し、2011年に復活した。この復活劇にイル・ボッロも協力している。おもしろいのはD.O.C.を名乗る条件に有機栽培であること、という項目があること。
イル・ボッロは、インターナショナルなワインをやっても土着的なワインをやっても、その足取りは軽快で優雅で、どこかセクシーだ。それはイギリスのスーツや香水の対するイタリアのそれ。靴で言えば、グッドイヤーウェルトに対するマッケイ。絵画で言えばロマン主義に対して形而上絵画といった印象。同程度に深い探究心と高度な技術・知性をもってしても、文化によって表現は異なるもの。何もボルドーやブルゴーニュのワインが唯一にして絶対の正解ではないし、メルローを使うならこういうワインにするべきだ、などといって、異なるスタイルのメルローを否定するようなワイン好きは人生、損している。
イル・ボッロのワインに触れると、そんな晴れやかな気持ちになる。