「九平次」はパリの三ツ星レストランにもオンリストされる日本酒の造り手だ。さらに、この日本酒蔵はフランス・ブルゴーニュでブドウ畑とワイナリーを持ち「DOMAINE KUHEIJI」というブランドのワインを造ってもいる。その九平次がワイン的発想、自社生産の山田錦を使って「ドメーヌスタイル」で造る日本酒ブランドが「㊈久野九平治本店」。日本を代表するワイン専門店「エノテカ」が唯一取り扱う日本酒だ。
そのエノテカに誘ってもらって、筆者は「九平次」の15代目 久野九平治さんに会った。
彼から「㊈久野九平治本店」の説明を受けて疑問を持つ。米の差が日本酒の差になるのか?と ──
ワインの壁
「日本酒が日本を出て行ったとき、出会うのは世界を支配しているワインだ」
久野九平治さんが「フランスに出て行って数年、ワインの壁を思い知った」と言ったとき、僕は、もはやちょっと伝説的なワインの造り手のその言葉を思い出した。
日本食も日本人料理人もガストロノミー界で無視できない存在になって久しい。しかし、そのパートナーとして日本酒も評価されているか? という話になると、それはまだまだだ、とそんな話から、冒頭の伝説的ワインメーカーの発言は生まれた。
久野九平治さんは、酒蔵「九平次」の15代目当主で、その酒はすでに世界進出を果たし、評価が高い。久野さんは、そうなるまでの経緯を、こんな風に話し始めた ──
「2006年くらいから日本酒の業界は海外に目を向けだしました。当時、僕の仲間たち(日本酒の造り手たち)はアメリカに目を向けた。アメリカは未知の文化を歓迎し、日本酒マーケットも大きくなっていっていた。でも、僕は、ワインの本場で、料理もおいしいフランスで、日本酒の紹介活動をすることで、気付きやヒントがあるんじゃないか?とおもったんです」
久野さんははじめ、自らの日本酒を携えて、ミシュランガイドを片手に、フランスの名のあるレストランを巡っては、自分の日本酒をわたす、という地道な活動を繰り返したらしい。その活動をはじめてほどなく「タイユヴァン」を訪れ、2代目オーナージャン・クロード・ブリナさんと出会う機会を得たという。客として食事をしたあと、ブリナさんに自己紹介をして、日本酒をわたした。ブリナさんは「いまは営業中だから明日会おう」と応えたそうだ。
翌日、久野さんが再びタイユヴァンを訪れると、ブリナさんは黒いグラスに久野さんの酒を入れ
「こうやって中身が見えなければ、この「SAKE」なる飲み物はエキゾチックな新しい飲み物として受け入れるのではないだろうか?」
と言い、オマール料理を勧めてきたという。
「こういう甲殻類の料理に相性のいい酒を探していたんだ。あなたの酒は、合うとおもう」
そして、久野さんの酒を手始めに3本、買ってくれたのだそうだ。
そういう、幸先のいいスタートを切って「以来、調子にのっている」と半ば自嘲する久野さんが「ワインの壁」という、冒頭の発言をしたのはその後でだった。
その壁がなんであるかを久野さんは直接的には説明しなかったけれど、おそらくそれはこういうことだ。
たとえば、ワインから硫黄のような匂いがした場合、それがなにかおかしい、とおもう人は世界中にいるだろう。多少ともワインを知っていれば、それが一般的に良いとされるワインの条件から外れている、と気づくのは難しくないし、その香り方から、還元という現象と関連付けて、理解する人もいるはずだ。
一方、日本酒からそういう香りがした場合はどうだろう? それが、一般的に良いとされる日本酒とは異なる、と考える人は、世界にどれほどいるだろうか? ワインの経験から、おそらく、これはおかしい、と考える人は少なくあるまい。しかし同時に、そこには「いや、日本酒というのはそういうものを良しとする酒かもしれない」という疑念が残る人も少なくないのではないだろうか?
そして、これが硫黄ではなく、米の香りだったらどうだろう? ワインから米の香りがしたら、それはやはりなにかおかしい。しかし、日本酒であれば、それは普通のことだ。
世界の多くの文化圏で、ワインと日本酒が並んだとき、日本酒の良し悪しを判断するのに十分な経験は、まだない。日本酒の地道な啓蒙活動により、世界が日本酒を理解する日は、いずれ来るかもしれない。しかし、いまはまだ、世界にそれを期待するのも、あるいは、世界が日本酒の価値基準を独自に持つことを期待するのも、気の長い旅の途中だ。
ゆえに、その旅はそういうものとして続けていくにしても、いま、世界に挑もうとする日本酒は、どこかでワインに譲歩するという選択肢をとる。譲歩という言い方は人聞きがわるいかもしれなしけれど、ワインの文脈で理解できる日本酒を造る。造り手によってそのやり方は様々だけれど、久野さんは、自分でワインを造る、という方法を選んだ。その時点でだいぶ、珍しい。
ワインのようにわかりやすい日本酒
「ワインから学べることがあるはず」久野さんはそう考えたらしい。そして、完全に「九平次」のワインを造るべく、2013年からプロジェクトをはじめて、2016年に、ブルゴーニュの自社畑、自社ワイナリーのワインをリリースした。
そのワインはワインで、とても興味深いのだけれど、ここで話したいのは、この計画とほぼ並行して、2010年から始まった、日本酒造りのほうだ。
久野さんは、米が育つ田圃以外は同じ、という、3種類の酒をリリースする「㊈久野九平治本店」というブランドをスタートさせている。この酒にはヴィンテージ……というのはブドウ収穫のことだけれど、酒米の収穫年まで書かれている。
「ワインと日本酒にはブドウと米の差しかない」
と久野さんは言った。
そんなわけはないだろう。
たとえば、ジョージアのワインがそれで知られたように、ワインはブドウを潰して容器に入れておけば、運がよければワインになる。ワインの原材料は100%ブドウで、必要な水分、酵母、酵母のための栄養は、ブドウの房に揃っているからだ。あとは発酵がうまくいけば、ワインはできる。「鳥がついばんでもワインができる」とまで言う造り手に出会ったこともある。
しかし、米は、そういうふうには酒にならない。もっと人の介入を要する酒だし、日本酒の原材料は100%米ではない。
だから日本酒とワインは、同じ醸造酒ではあっても違う。どちらかといえば、醸造酒として特殊なのはワインだ。素材のひとつに過ぎない米の変化で、酒全体がそうそう変化するものか。
そして、そんなことは久野さんならば百も承知なはずだ。つまり、それでもそう言うだけの理由があるのだ。
「㊈久野九平治本店」は、兵庫県の黒田庄にある3箇所の田圃、つまり、ワイン的に言えば「クロ」をもつ。それが「門柳」、「福地」、「田高」と呼ばれていて、3種類の酒、というのは、それぞれ、この3箇所の田圃の米を使って造られている。
それらの酒は全然、違っていた。
「門柳」は口に入ってすぐはかろやかで、飲み込むまでの間に、辛い、といいたくなるような刺激を感じさせる。
「福地」は苦味や旨味が強く、ボディもしっかりしている、なかなかに肉付きがいい印象のある日本酒だった。
「田高」は、米の印象が強く、口当たりはとろりとしていて、しっかりとしたボディがあり、もっとも日本酒らしく、バランスがよく、リッチな日本酒だと感じた。
ワインに例えるなら、「門柳」がドイツのピノ・ノワール、「福地」がイタリアのプーリアあたりの白ワイン、「田高」がナパのカベルネ・ソーヴィニヨン、みたいなイメージ。
そのテイスティングの結果をもとに、田圃の環境を聞いてみると、「門柳」は、他の2箇所に比べてもっとも標高が高い場所にあり、東西に開けているため日照は長く、寒暖差が大きく、水温は低く、冷涼だという。また、土壌は砂や石が多く、水はけがいいのだそうだ。
ワインであれば、これは、スパークリングワインやエレガントな赤ワインなどを生みそうな条件だから、イメージと酒は見事に合っている。
次に「福地」。東側が山、西側がひらける、という環境で、日照は少ないものの、いうなれば光のキレが悪く、気候は夜もあたたかく、土壌はミネラル豊かな粘土質なのだそうだ。
ワインで言えば、基本的には風味が強く、しかし、天候・気候に左右されて、曖昧なワインを生む可能性もある、やや難しい環境だとおもうけれど、今回はほどよく引き締まった、といったところか。
最後の「田高」だけれど、ここは標高が低い平野で、肥沃な土地だそうだ。山は北西にあり、西日が遮られる。
ワインで言うと、典型的なナパのカベルネ・ソーヴィニヨンができそうなイメージではないか。つまり、酒から受けた印象と、田圃のキャラクターとして説明されたものが、やはり見事に合致している。
ここまで来ると、ワインのように理解できるようにするために、実際は、米以外に、酵母、水、醸造法を変えているのではないか?と疑ってしまうほどだけれど、よしんば、そうであったにしても、これであれば、ワインの経験からすんなり理解できる。理解にあたって飲み手が必要な作業が「ブドウを米に置き換えるだけ」なのだから。
ワインにおいてブドウを追求して得られるほどの結果を、日本酒おける米の追求では得られない、とこれまで、おもっていた。あまりに米を追求することは、徒労ではないかとすら……日本酒は、同じ米、水、酵母を造ったとしても、その扱い方、造りによって大きく差が出せるからだ。
いやいっそ、ワインだったら「酸味の強いワインにしたかったのに、ブドウが甘すぎた!」なんていうこともある一方、日本酒はそこを造り手の技術によって超克できる可能性がより高いわけだから、自然への依存度が低いことは日本酒がワインに対して有利な点ではないか、とすらおもっていた。
ところが、「㊈久野九平治本店」の3種の日本酒を飲んでみれば、気まぐれな酒が見せる表情の多彩さに、面白さを感じずにはいられない。だって「キミはどこから来たの?」とたずねて、知らない場所の風景や暮らしぶり聞くのは、やっぱり楽しい。ワインにはそういう楽しさがあって、「㊈久野九平治本店」の日本酒にもそういう楽しさがあった。
日本酒にはこんなこともできるか……久野さんのこの活動が広がりを見せることを期待せずにはいられない。