日本三大杜氏と呼ばれる南部杜氏の伝統をもつ岩手県。江戸時代に盛岡藩が伊丹発祥の酒造りを支援したことから、日本を代表する酒処となり、以来、その技は磨かれ続けている。1772年に酒造りを始めた「菊の司酒造」はその伝統を今に伝える岩手県現存最古の酒蔵。2022年、その「菊の司酒造」が大正時代から続く盛岡市紺屋町の蔵を離れ、雫石町にまったく新しい蔵を造ったことを昨年、報じたけれど、2024年に同蔵を再訪した。
しれっとすごい
昨年、お邪魔させてもらった岩手県の酒蔵「菊の司酒造」。2024年の初頭に再び呼んでいただいた。2022年に稼働開始した真新しい蔵は1年経ってもピカピカで、最新の日本酒蔵、という印象に変化はなかった。
ところで、2月にちょっと気になるニュースを耳にした。「⽇本酒造組合中央会」によると2023年、日本酒の輸出金額が昨対比87%となって、14年ぶりに前年割れしたそうだ。
といっても410.8億円という金額なので、2021年の401.8億円と比べれば勝っていて、2018年から2020年が200億円台だったことを考えれば、2022年の474.9億円という額が異常値だった、とも言えるのかもしれない。
2022年はいわゆるコロナ明けで、アメリカを中心に需要が伸び、その需要を上回るほどの供給がなされた、との見解もある。
今回、菊の司酒造を訪れたのは、その発表よりも少し前だったのだけれど、この酒蔵を取り仕切る山田貴和子さんから、こんな話を聞いていた。
「もともと菊の司酒造のお酒は県内消費が8~9割でした。弊社が経営を引き継いでからは県外への展開を頑張っていて、いまでは県内6、県外4といったところです」
山田さんの会社が事業を引き継いだのは2021年のことだから、そこから一気に市場開拓したということだ。そういえば国外にも展開している、と以前にちらっと聞いたので、それも聞いてみると
「海外は、韓国、シンガポール、台湾、香港、中国、イタリア、イギリス、ドイツ、オーストラリア、ブラジルに展開しています」
え? すごい多国展開では? 色々な国にちょっとずつ出荷しているのだろうか?
「市場や時期によって変化はありますから、どういうタイミングで考えるかにもよりますが、国内:海外でいえば7:3くらいでしょうか……」
多くの日本酒蔵が日本酒成長のキーワードとして語る海外展開。それを3年程度で、そんなに実現してしまったのか! 呆気にとられていると、続けて山田さんはこんな風に言った。
「いま、渡航も自由になって円安、ということもあるので、国外の日本酒ファンは日本に訪れて日本酒を飲むようなんです。わざわざ日本にまで来てくださって、日本の美味しいお食事とお酒を味わってくださるのは嬉しい反面、国外の飲食店などでは消費が鈍っている、というのは悩みどころなんです……」
そのあと冒頭のニュースを聞いて、これは単に酒蔵だけの問題でもないのではないか、とおもうのだ。
人気なだけはある
菊の司酒造で働くのは山田さん含め25人程度(季節労働者なし、図らずも全員が岩手県民)、生産量も事業継続後に増えたとはいえ1,000石程度(1石は180リットルなので18,000リットル。一升瓶で1万本)だから、小さくはなくとも大きいわけでもない。それでこれだけの戦果、というのにはセールスにも相当な努力があったものと想像できるけれど、やはり酒である以上、酒の味・質で心を掴まないことには売れないはずだ。
その売れる理由は、この蔵の酒のスタイルのモダンさにあるのではないか、と、この1年、なにかとこの蔵の酒を試させてもらい、今回あらためて訪れて、昨年は会えなかった杜氏の西舘誠之さんのお話も聞いてみておもった。
ワインでもそうだけれど、無濾過とか無添加とかナチュラルとかいったことは、酒にとっては必ずしも美であり善であるとは言えない。ただ、そういう修飾語から想起されるイメージは、ピュア、クリーン、ウェルネス、あるいはサステナブルでもいい、現代的に良いものとされている概念との相性がいい。菊の司酒造の酒は、そういう良いもの枠内に入るようにおもわれるのだ。菊の司酒造のピカピカの蔵が徹底的に清潔なのも、このスタイルを実現するためなのではないか?と筆者は考える。
なにしろ菊の司酒造の造り手たちは、予期せぬ変化、それに対しての事後的な対応を嫌っていると感じられるのだ。
米の管理の段階から出荷まで、温度コントロールを徹底し、上槽からボトリングまで、ほぼ空気接触しない蔵の構造と設備は、単に潔癖なのではなく、そうすることで酒を厳密・精密(Precise)に造りたいからだとおもえる。
この蔵の酒には常に複雑性と一貫性をもった強度を感じるのも、その推測を後押ししてくれる。造り手が、結果をコントロールできていると感じるのだ。液体を口に近づけてから飲み終わるまでの一連の経験において、中盤にふっと力が抜けてしまったりするようなことがなく、ちゃんと楽しみが継続し、かつその楽しみが一定ではなく変化に富む。
だから、酒の経験のあるなしに関わらず、酒を飲むという行為に楽しみが感じられる。分かる人だけ分かればいいという、相手を選ぶような姿勢とは無縁だ。
日本酒の値付けはこれが正しいのだろうか?
昨年は『innocent』という酒にそれを強く感じた。しかし、いまは、それはこの酒蔵の酒のいずれにも共通のありようだと感じるに至っている。
惜しむらくはわかりづらさだ。例えば『純米酒 七福神 ふくひびき』はワインで言えばテーブルワインにあたるカジュアルな日本酒。これの実勢価格が1,350円(720ml瓶にて。これ以降も同様)。そこからわずかに100円程度高い『純米酒 超辛口 七福神』になると、もうカジュアルのトップエンドくらいまで行く。さらに1,900円くらいの純米吟醸酒『心星』になると、高級な牛肉の脂身のようなこってりとした甘味、旨味、かろやかな苦味を伴うスッキリとした酸味を感じられるメインディッシュ級の作品になる。これと純米大吟醸の『七福神 38』は、ブルゴーニュに対してボルドーのような、ある種の双璧といった感じなのだけれど、『七福神 38』の方は5,800円とぐっと高い。
理由は、日本酒の値付けが積み上げ式だからだ。『七福神 38』はその名の通り精米歩合が38%、一方『心星』は50%。米にかかるコストの差が売価に表れている。
同様のことは『innocent』にも言えて、innocentには精米歩合の違いで『innocent 60』、『innocent 50』、『innocent 40』とある。価格は順に1,700円、2,200円、3,000円と上がっていくのだけれど、質で言えば、これら3種に差はない。あるのは単にスタイルの差だ。だから全部、3,000円でいいのではないか? 『七福神 38』が5,800円なら、同クラスの『心星』も5,800円なのではないか? とワインに馴染んでいるとおもってしまう。
もちろん、これは菊の司酒造の問題というよりも、日本酒業界の問題だけれど、正直商売なのは消費者からすれば良いものが安く買えて嬉しいのかもしれない。ただ、グローバルな価値に見合った値付けをしていくことも、日本酒の輸出額が昨対割れしないために、というのか、日本酒が業界として成長していくためには必要なのではないか?