「SALON(サロン)」というシャンパーニュは、飲んだ、という事実が事件になる数少ないワインだ。この特別なシャンパーニュを、サロンの社長 ディディエ・ドゥポンさんとのテイスティングランチに参加させてもらって「ドゥラモット」とともに味わった。

©Leif Carlsson

サロンとは?

ワインリストに「SALON」という文字を見つけたら、あるいは、ソムリエから「うちにはサロンもありますよ」と耳打ちされたら、その店は、名店だ。そしてあなたは、サロンをオーダーしなかったとしても、その店に、ふさわしい客として扱われている。

サロンは、そういう、特別な意味があるワインだ。

ウジェーヌ・エメ・サロンというシャンパーニュを愛する毛皮商が、自分の理想を妥協なく追求したシャンパーニュとして生み出したのが、サロンのスタート地点。当初は、ウジェーヌと親しい人のために造られたプライベートなものだった。それが、ウワサを呼んで、欲しいという声に応えて販売を開始したのが1920年。パリの名レストランがハウスシャンパーニュに選んだことで、それを口にした人々を虜にしていった。

1stサロンは1905年ヴィンテージだというから、以来、約120年間、サロンはその創業の精神からブレることなく歴史を重ね、サロンを名乗る価値があるブドウが収穫されたときにだけ、わずかに造られ続けている。

具体的に言うと、最新の2012年ヴィンテージまでで、造られたのは、まだ43ヴィンテージ分だけ。そのうえ1ヴィンテージの生産本数はわずか4万本ほどだ。

高級で希少なシャンパーニュなら、ほかにも多少はあるけれど、サロンほど、名前だけで愛好家から特別な敬意をもって扱われるシャンパーニュは、なかなかない。

クルマで言うなら「パガーニ」みたいな存在? 時計で言うなら……と例えてみようとおもったけれど、例えるまでもなく「オーデマ・ピゲ」とパートナーシップ関係にある。そういう存在だ。

プライベート性が高くて、そうそう味わうことができない特別なワイン「サロン」。サロンに尊敬の念を抱くシャンパーニュラヴァーたちは、サロンを話題にするときに、しばしば「ドゥラモット」というシャンパーニュ メゾンの名も口に出す。

ドゥラモットとは?

「ドゥラモット」は1760年創業という大変歴史あるシャンパーニュメゾンだ。以前の記事で書いた論法でいうと、シャンパーニュ第1世代。創業者はシャンパーニュ地方の中心地、ランスの市参議会員だったフランソワ・ドゥラモットという人物。

1840年頃に、ドゥラモット家の後継者がいなかったことでランソン家に継がれた。その後、ランソン家のマリー・ルイーズという女性が所有していた時代に、彼女がノナンクール家に嫁いだので、ノナンクール家に移り、1924年からはマリー・ルイーズの息子、シャルルが運営。この頃にランスからコート・デ・ブランへと本拠地を移転した。ノナンクール家には、ベルナールというシャルルの兄弟もいて、ベルナール・ノナンクールといえば1938年にノナンクール家が所有した「ローラン・ペリエ」を有名シャンパーニュ メゾンへと変えた人物。1988年、ドゥラモットはシャルルの手からベルナールの手へと渡り、そのすぐ後に、ローラン・ペリエがサロンを所有することになったので、ドゥラモットとサロンは、ローラン・ペリエの傘下という形で、姉妹関係になった。

そして、その関係のまま、現在に至る。両メゾンは、コート・デ・ブラン地区のグラン・クリュ格付け、メニル・シュール・オジェにて、ワイナリーを共有している。そこで両ブランドの指揮を1997年以来とっているのが、ディディエ・ドゥポンさんだ。

ディディエ・ドゥポン氏。サロンとドゥラモットの社長をつとめている

両メゾンとも、最大の売りは、コート・デ・ブラン地区が誇るシャルドネのシャンパーニュ。とりわけサロンは、そもそもが趣味的なシャンパーニュなので、そのなかでも「サロンの庭園」と呼ばれるわずか1haのワイナリーにある畑と、創業者エメ・サロンが選んだ19区画のシャルドネだけを使い、作柄が良好な年にのみ、その年のブドウだけを使ってシャンパーニュを造っている。

©Leif Carlsson
サロンの庭園

それゆえの希少性なのだけれど、サロンが造られない年にもブドウはできる。そういうサロンが使わなかったブドウは、ドゥラモットが使っている。ドゥラモットはサロンほどは高級ではないこと、ディレクターも醸造施設も同じことから、このあたりの背景を知る人々は、サロンのセカンドブランド的にドゥラモットのことを言うのだ。

サロンのブラン・ド・ブランとドゥラモットのブラン・ド・ブランは何が違うのか?

御本人いわく、今回73回目の来日だという日本好き、ディディエ・ドゥポンさんは、そういう現在のドゥラモットとサロンの関係性について、事実は事実という認識なのか、とりわけてとやかく言うことはなかった。

気さくな人物で、ドゥラモットのほうがお姉さんにあたることを確認すると、サロンはシャンパーニュ界のスターであると自認し、そのスター性は、なかなか出会えない、サロンのミステリアスさが強めている、と話す。

ランチでは、サロンのほかにも、ドゥラモットと、ディディエさんが惚れ込んでいる、アルゼンチンの『ティアノ&ナレノ』のワイン(アルゼンチンのサロンともいうべき、ワイン愛好家が生み出した、マルベック主体の赤ワイン)が出たのだけれど、おそらく、記事にするにあたって、読者の最大の興味は、必ずブラン・ド・ブランであるサロンと、ドゥラモットのブラン・ド・ブランはどのくらい違うのか、というところなのではないかとおもうので、それを書く。

まず、前提だけれど、畑の格付けで言えば、どちらもグラン・クリュ、つまり最上位だ。造り手は、一緒と言っていい。それで、参考小売価格でいうとドゥラモットのブラン・ド・ブランはノンヴィンテージが1万円、ヴィンテージ(ミレジメ)で1.4万円。対するサロンは現在、12万円だ。サロンだってもともとこんなに高かったわけではないけれど、需要と供給の原理から、こうなっている。文字通りケタがひとつ違う。

以下、いずれも現行品の話だけれど、まず、ドゥラモットのノンヴィンテージのブラン・ド・ブラン。こちらはメニル・シュール・オジェ、オジェ、アヴィーズのシャルドネを使い、最短で48カ月澱とともに熟成したあと、わずかなドザージュで整えて仕上げている。ベースのヴィンテージが2017年。ノンヴィンテージとはいってもリザーブワインは10%以下だから、2017年ヴィンテージに、数値上はほど近い。

このワインの特徴は、バランスの良さだ。シトラス、特にグレープフルーツのようなアロマ。味わいには常に酸味が中核にある。その酸味は、クリーミーと言っていい、きめ細やかな泡立ちのおかげもあって、荒々しさは微塵もない。香りにも味にも十分な熟成感があり、それは、気分的にも気持ちがよく、ミネラルの旨味とともに満足感を高める。

見事としか言いようがない。これで1万円は安い。文句を言う人はいないだろう。100点満点で言えば全科目100点。なんら欠点がみあたらない。何を期待して飲んだとしても、期待値を満たす。

続いて、ヴィンテージ。『ブラン・ド・ブラン ミレジメ』 現行の2014年ヴィンテージ。こちらはコート・デ・ブランの全6のグラン・クリュのシャルドネが全てブレンドされている。熟成期間は6年以上。

©Hamza Djenat-2014
ドゥラモット ブラン・ド・ブラン・ミレジメ 2014

その長い年月がうなずける熟成感がありながら、年老いた雰囲気はほぼゼロだ。むしろ、先のノンヴィンテージとくらべて、フレッシュネスではこちらが勝る印象。

つまり、全科目、最低100点だけれど、一部科目にて120点とか150点をとっている。

こうなってくると、優劣はつけようがなく、お好みで、としか言いようがない。が、ミレジメのほうは、酸味やフレッシュネス部分で勝るので、これは熟成ポテンシャルでいうと、ミレジメのほうがより高いのかもしれない。だから、今飲むなら、ノンヴィンテージでも十分すぎるほどいいけれど、セラーで大切にして、熟成を楽しむ、なんらか思い出深い年のワインを、特別な時までとっておいて飲みたい、ということであればミレジメがいいようにおもう。

さて、じゃあサロンは、これらとくらべて100点満点中何点なの? というと難しい。

©Leif Carlsson
テイスティングしたのは2012年ヴィンテージ

ドゥラモットと比べると、まずサロンは情報量が格段に多い。ドゥラモットが4Kなら、サロンは16Kくらい? そもそも香りの時点で、格がいくつか違うのは明らか……なのだけれど、そういう差よりも、そもそも方向性がだいぶ違うようにおもえてならないのだ。

これは、場合によってはサロンよりも高価格の、いわゆる高級シャンパーニュでも言えることだけれど、高級なシャンパーニュは、普通、ドラマチックだ。例えば、オペラ、例えば、ワグナーのそれ。壮大な叙事詩。あるいは、より静謐なキャラクターのシャンパーニュならば能と例えてもいいかもしれない。一方、サロンは、例えて言うなら、ショパンのピアノ、松尾芭蕉の俳句、みたいな印象だ。

同じく表現・芸術の頂点といっても、それぞれが目指している頂きが違う。

複数の楽器で描き出される感動に対して、ひとつの楽器だから生み出せる感動。万の言葉が紡ぐドラマに対して17文字が描き出す情景。

それで、さて、どちらが優れていますか? と問われて、答えられるだろうか?

サロンのスタイルは、同格のワインのなかで、他に比べられるものが、筆者は経験上思いつかない。すくなくともドゥラモットは、同じ土俵にいない。だから、どんなに優れていようとも、代用品にもセカンド品にもならない。

サロンを味わいたければ、サロンに出会える幸運を願うしかないのだ。それが筆者の現時点での結論だ。筆者は幸運だった。