文=萩原輝美

 2023年を迎えましたが、昨年1年は少しずつ日常が戻りつつも非日常生活が続きました。1月、7月、9~10月とヨーロッパのコレクション取材に出ましたが、2年ぶりパリ渡航の1月は8日間の滞在の後、帰国後7日間のホテル隔離を余儀なくされました。7月は復路の飛行機に乗る72時間前のPCR検査陰性証明書が必要で、あいにく陽性となり帰れなかった人たちもたくさんいました。そして9月、晴れて日常を取り戻したかのようにミラノ、パリへと出ましたが、日本のジャーナリストは以前の十分の一くらいの人数でした。人と会うこと、旅することがどれだけ生活の自由と豊かさを感じさせてくれることかを実感した1年でした。

リアルランウェイを実施

 コロナ禍でいち早くその旅をイメージしたコレクションを発表したのがエルメスでした。2021年9月に行なわれた2022年春夏コレクションはデジタルでの発表が主流でしたが、エルメスはリアルでランウエイを開催。会場に選んだのはパリ郊外のル・ブルジェ空港の格納庫。会場にはHorizon (地平線、水平線) をテーマに描かれたパリ在住のアーティスト、フローラ・モスコヴィチの12連作品が壁面を飾りました。

 オレンジ、イエロー、ブラウンと太陽が映りゆく色をイメージした作品をバックに直線的なシルエットのラフなコートやドレスが並びました。フィナーレは、会場の壁が開くと地平線を臨む滑走路を飛行機が旅立ってゆくという映画のようなシーン。見ている側に一気に風と空と開放感を感じさせてくれました。

 そして、昨年10月に行われた2023年春夏コレクションの会場には、ダイナミックな砂丘のオブジェが設置されました。砂漠の1日をフォーカスして朝の太陽から夕日が沈むまでの自然の美しさとともに、女性のワードローブを表現したのです。デザインにアウトドアのテントの機能性やシンプルな布のシルエットを取り入れたアクティブエレガンスなコレクションです。

 ファーストルックの柔らかなナッパのシャツとパンツのアンサンブルは、しなやかなレザーとシルエットがエルメスらしいルックです。同色のサドルバッグ、ソールの厚底サンダルがカジュアル感を添えながら、先シーズンに引き続き、大胆なカットのタンクトップやショートパンツが目を引きます。

新しいミニマリズムの登場

 23年春夏のヨーロッパのコレクションでは、Y2Kスタイル※を意識した新しいミニマリズムが登場していますが、エルメスのクオリティとカッティングは大人が楽しめるアイテムに仕上がっていました。テントのようにロープを使い、トップスとボトムスを繋げるドレスはバイアス断ちのスカートが軽やかで、ミドルフ(みぞおち丈)のトップスも透ける素材のコートなどを羽織ると素敵です。

 この春は風に揺れるエアリーなシルエットが旬ですが、以前のようにパフ感があるのではなく、ヨットの帆のようにクールに風に乗るシルエットがおしゃれです。

 サンドカラーからスタートしたコレクションは、後半夕焼けを思わせるオレンジのドレスが登場します。フィナーレの白いビーズ刺しゅうされたドレスは優雅で美しい。リゾートだけではなく、タウンでも着ることができるモダンフォーマルです。ファッションは日常と非日常の狭間の楽しさを教えてくれます。

 エルメスの現在のデザイナーは、ナデージュ・ヴァネ・シビュルスキーです。2015年に就任してから一躍脚光を浴びました。エルメス歴代デザイナーの中でも最長のキャリアを積んでいます。エルメスは、創業の1837年以来エルメス一家がデザインを担当してきました。ブランドのアイデンティティがぶれない所以です。外部からデザイナーを招き入れたのは1981年エリック・ベルジェールが初めてでごく最近と言えます。

注目を集めたマルタン・マルジェラ

 エルメスのプレタポルテが一気に注目を集めたのは、1998年にマルタン・マルジェラが就任してからです。

 パリで見たデビューコレクションは今でも鮮明に覚えています。原点回帰ということで今までの広い会場から場所を移し、フォーブルサントノーレのブティックで行いました。ステージもなく、私たちが座る目の前をキャットウォークするモデルたち。その中に数人、白髪となった往年のモデルが登場しました。マルジェラの新作コートを羽織り、優雅に階段を降りてくるマダムたちはヴィンテージのケリーバッグを手にしていました。

 「時は美しさの味方する」。まさにエルメスのヘリテージと永遠の価値を感じた瞬間でした。

 エルメスは昨年末、絵本を出版しました。「エルメスのえほん おさんぽステッチ」(講談社発行)で、メゾンの真髄を優しく楽しく表現した絵本です。エルメスは伝統があり凛と佇んでいるブランドイメージですが、暖かくてお茶目なのです。そんな魅力が、世界中どの世代からも愛される理由だと感じるのです。

※「Year 2000」の略で、2000年代にファッションをけん引したハリウッドのセレブやポップスターをお手本に、ポップでカラフルな色使いや派手めなスタイルで主張が強いコーディネートなどを指します。