右L字のはしご車の横に赤い消防隊、その上の箱に消防隊2人。この高さから放水ができたのは数時間後だった。

フランス人が日本の神社を設計できるのか?

 修復工事は5年。パリ・オリンピックに間に合わせたい、というマクロン大統領と市長の発言にも非難は激しかった。数百年かかった建造物の修復に5年とは短すぎると、新聞1ページを使った反対広告には文化人が名前を連ねた。

 世界中の注目が集まる中でのさらなる難問は、中世のゴシック建築を、火災以前のまま木材と鉛で再現すべきか、あるいは、21世紀のゴシックにふさわしく、火災に強い素材で外形はそのままに造り直すか、それとも新たな素材と新たな尖塔のデザインでもいいではないか、という議論だ。消火がまだ終わらないうちから、この議論は始まり、首相がデザインは国際コンペで、と意見表明したとたん、古典的な建造物修復では最も経験豊かなフランス人建築家は、新聞に次のような意見広告を掲載した。
 
「フランス人が日本の神社を設計できるのか?」

 ポンピドー文化センター、ルーブルのピラミッド、デファンスの新凱旋門、ルイ・ヴィトン美術館など、国家の威信がかかった最近の建造物のほとんどがフランス人以外の建築家の作品だったからだろう。せめてノートル・ダム大聖堂の修復はフランス人の手で、と悲痛な声が上がる。

 再建案は新聞社、パリ市、教会、文化省などに数限りなく届いたという。そうでなくても世界中からの改修案をネットで楽しむことができるほど、建築家でない人間でもノートル・ダム尖塔のデザインをしたくなるのは、石の構造は残り、基本的な外観はそのままに、尖塔とそれを支える屋根と梁だけが解決すべき事柄だからだ。新聞社が掲載した計画案で評価が高かったのは、屋上庭園と尖塔を中心に360度回廊つきのガラスのカフェという提案だった。セーヌ川という水の上40mの高みから、パリの17世紀の景色を前にお茶を楽しむというストーリーは、他ではかなわない贅沢な夢だ。

 イギリスの建築・デザイン関連サイト「dezeen」には、「ノートル・ダム大聖堂の尖塔の7つの案」という記事が4月25日にアップされ、イタリア、フランス、キプロス、ブラジル、ロシアの建築家、デザイナーから寄せられた尖塔再建デザインの7つの提案が掲載されている
https://www.dezeen.com/2019/04/25/notre-dame-spire-alternative-cathedral-designs/

 

鉛害の被災者、ステンドグラス職人

 修復工事は2020年の初頭まで始まらないだろう。というのは、危うくなった部分を強化し、50から150人の職人が働く工事現場の安全確保に時間がかかるからだ。6月14日、テレビ局「フランス2」での文化大臣の発言によれば、まだアーチ(ヴォールト)部分が危険な状態にあり、いつ崩壊するか分らないという。とはいえ、外側天井部分と壁面を覆うシート、彫刻がある石の下、伽藍の中央にも網を張り、ステンドグラスも既に解体して下ろした。倒れた尖塔の真下にあたる中央のアーチ付近の瓦礫をどのようにして取り除くか、その真下、地下に溜まった水をどう排出するか、そのためにどれだけの時間がかかるかは、まだ分からない。

 なぜなら、ノートル・ダムが建つシテ島はセーヌ川の洪水にさらされ、石の堤防で島を囲み、土で5mかさ上げして造り上げた島だからだ。湿地にできたノートル・ダムの地下に溜まった水の排水がどれだけ困難かは、想像にあまりある。火災鎮火直後に公開された新聞写真に、焼け焦げた樫の木の残骸の周りに、椅子が浮かんでいた。水は尖塔直下にあいた穴から地下に染み込んだにちがいない。パリ消防局は鎮火までに15時間と発表した。その間に放出された大量の消火水が大聖堂地下に溜まった。石の建築は火には強いが、水は地盤を弱くし壁の倒壊をまねく。だから再建のための工事入札は、早くても2020年を待つことになりそうだ。

 残る問題は鉛。焼け落ちた尖塔の飾りにも、屋根の表面にも鉛の板が葺いてあり、その総重量は300tに上る。その全ては灰燼に帰し、鉛の微粒子は煙となってシテ島付近に堆積した。血液検査で鉛の反応がでた子供と妊婦への診察が始まり、伽藍の横にある美しい庭は除染が終わるまで当分立ち入り禁止となった。

 火災の直後から鉛害警告が出ていたにもかかわらず、防護服もマスクもつけることなく作業に取り掛かり、作業員と現場に立ち会った人々の被害が問題になった。

 現場だけではない、近隣への鉛害拡散も心配され、寺院から500m、さらに800mの範囲での調査が始まり、幼い子供が通う幼稚園、小学校などの中から、6区のサン・ブノア幼稚園で予想を上回る鉛が検出された。夏休み前になぜ閉鎖できなかったかが問題となったが、新学期までに鉛は取り除かれる予定だ、という。

 水で洗っただけではアスファルトに吸収された鉛はとれない。寺院横にある公園の路面、そしてシテ島の商店前の路面などの鉛を取り除くために、鉛を吸着するゲルを8月6日から数日間塗布することになった。

 鉛害を被った作業員の多くは、ステンドグラスの職人(ガラスとそのガラスを留める金工職人)だった。ゴシックの色ガラスで構成した窓を囲み、固定する金属は鉛。だからステンドグラスを外して工房に持ち込み、洗って再度組み立てる準備に取り掛かった。といっても、職人達はステンドグラスが古ければ古いほど鉛が不安定になり、酸化した鉛が起こす被害は経験から知っていた。だが屋根が焼け落ちて発生する鉛の粉と、洗って修理する行程で吸い込む鉛の量は違う。炎で酸化したステンドグラスに一番近い場所で、鉛を手で触りながら消火が終わった日から作業していたのは、ステンドグラス職人だった。

 7月25日に数日の予定で作業は中断した。ところが再開の見通しがつかず、パリ市は9月の新学期のころまでに修復を再開するとの見通しを発表した。猛暑が再来するかもしれない8月に防護服と眼鏡と手袋で完全防護して健康被害は少なくなっても、作業がはかどるわけがない。

 

21世紀の再建にふさわしい素材は何か?

 パリのノートル・ダムは、「世界文化遺産の修復は現状復帰」というユネスコが定めた法律に守られている以上、特異なデザインにはならないだろう。アメリカ人建築史家アンドリュー・タロンは5年を費やして2015年に全ての建築的な部分をスキャンし、3Dデータとして残した。ところが建築家は2018年に、彼の師であり、歴史的建造物の分析に最新の技術を用いた先駆者であるロバート・マークも、この3月に亡くなった。まるで火災で燃え上がるノートル・ダムの姿を見たくなかったのかのようだ。彼らのデータは生き、ノートル・ダムを火災以前の姿に戻す資料は完璧だ。
 
 ただし、再建に当たっては、見えない部分は不燃材や不燃加工した材料を用いることになるだろう。環境への影響を考えると屋根に鉛を使うことは難しいかもしれない。どのような素材が使われるのか、今後の推移を注目したい。