キプロス島の東、中東の国、レバノンは、歴史的には非常に古くからワインが造られていた地と目されており、紀元前3000年頃には、フェニキア人と呼ばれていたレバノンの人々が、地中海に面するヨーロッパの諸地方やエジプトに、ワインを運んでいた、ワインの流通の要所でもあった、とされている。一方で、この50年近く争いが絶えない国でもある。戦地という特異なテロワールでワインを造り続ける人々を追ったドキュメンタリー映画『戦地で⽣まれた奇跡のレバノンワイン』が、11月18日(金)から、アップリンク吉祥寺ほか全国で順次ロードショーとなる。

ナジ・ブトロスとジル・ブトロス。2000年4⽉、⼭間の町ブハムドゥンに創業したシャトー・ベルヴーのオーナー

今は亡き伝説のワインメーカーに出会える

『シャトー ・ミュザール』のセルジュ・ホシャールに出会った人々は、彼との時間を決して忘れない、という。

『シャトー ・ミュザール』のワインは、まったくもって素晴らしく、繊細でモダンだ。世界のどの市場に出しても、高く評価されることは疑う余地がない。だから、このワインが、レバノンで造られたと知った時には、驚かずにいられない。

セルジュ・ホシャールは1984年に世界的ワイン誌『デキャンタ』の最初のマン・オブ・ザ・イヤーを受賞した

1975年に内戦が始まって以降、レバノンはいまも安定していない。断続的に続く内戦やテロリズム。2020年にはデフォルトに陥った。そんな国で、ワイン造りなんて可能なのか? なぜ、これほどに優れたワインが出来るのか?

ドキュメンタリー映画『戦地で⽣まれた奇跡のレバノンワイン』は、この疑問に答えてくれる。シャトー・ミュザールをはじめ、レバノンのワインの造り手たちが、戦いのなかでのワイン造りを証言する。

ブドウ畑の上空に砲弾が飛ぶ。収穫日に戦いが起こり収穫を延期。道が破壊され収穫したブドウをワイナリーに届けられない。ブドウを積んだトラックが攻撃されるかもしれない。と特異すぎるテロワールが綴られいく。

サンドロ・サーデとカリム・サーデ。シリアのドメーヌ・ド・バージュラスとレバノンのシャトー・マーシャスのオーナー。シリア唯⼀の商業ワイナリー、ドメーヌ・ド・バージュラスのワインは世界的に評価が高いが、一方で、シリアへの⼊国が2011 年から制限されているため、ブドウのチェックはシリア側のスタッフがレバノン国境までタクシーで移動して⾏われているという「世界で最も危険なワイナリー」

しかし、なによりこの映画が貴重なのは「レバノンワインの父」と称される造り手セルジュ・ホシャールの数多くの言葉が、このフィルムには記されている、ということだ。

セルジュ・ホシャール。ボルドー大学で学び、父ガストンが1930年に設立したシャトー・ミュザールに、ボルドーワインの技術と思想を持ち込んだ。1959年から同ワイナリーのワインメーカー

セルジュ・ホシャールは自らのレバノンワインを世界にアピールするため(なにせ紛争状態の国内市場には頼れない)アジア、北米、ヨーロッパを飛び回ったワインメーカー。日本にも来ている。2015年、休暇中の事故でメキシコで亡くなったことはワイン業界の大きな喪失感をもたらした。

セルジュ・ホシャールは、ワインを造るとはどういうことか、それを飲むとはどういうことかを我々に教えてくれる。自然への敬意、ものをつくることの素晴らしさ、ワインとともに過ごす時間の豊かさ。静かに、哲学的とすら言える独特の表現で、問い、語るセルジュ・ホシャールの姿と言葉に、スクリーンを通して再び出会えることは、感慨深い。

彼の残したワイナリー『シャトー ・ミュザール』のワインは、日本にも輸入されている。この映画とワインで、セルジュ・ホシャールの息吹を、ぜひ感じて欲しい。