テニスの世界大会の中でも最も伝統と格式を誇るイギリスのウィンブルドンの大会で、2006年からボールボーイや審判のユニフォームをデザインしているのが、ラルフ・ローレンである。アメリカのブランドであるが、「古き良きイギリスの伝統」を感じさせるクラシックなユニフォームを作らせたら、右に出る者はない。
実は「古き良きイギリスの伝統」なんて、今では幻想にすぎない。そこに夢のある形を与え、観客とファンタジーを共有すること。ここにラルフ・ローレンの真骨頂がある。
ラルフ・ローレンが売るのは、上質な服やライフスタイルというマテリアルではなく、階級制なきアメリカにおける「アメリカの上流階級」というファンタジーである。実態があいまいなその夢に形を与え、市場に持ち込み、成功させたのが他ならぬラルフ・ローレンであった。彼自身が、その着こなしや立ち居振る舞いや行動のモデルとなり、人々の憧れをかきたてた。
ブランド50周年を祝ったラルフは、今年6月にはイギリスのチャールズ皇太子よりアメリカのデザイナーとしては初めて大英帝国二等勲章(KBE)を受勲した。バッキンガム宮殿で皇太子らと写真に納まるラルフ・ローレン・ファミリーの姿は、「貴族」然とした風格を漂わせていた。息子の一人、デイヴィッド・ローレンは自社のマーケティングとコミュニケーションを担当し、その妻は元アメリカ大統領ジョージ・ブッシュのお孫さんである。ファミリーが並んで微笑む写真は、ブロンクス出身のラルフ・リプシッツが、自身のアメリカン・ドリームだけでなく、アメリカの上流階級という幻想をファッションの力によって現出させてしまったことを感慨深く見せてくれる。
そんなラルフ・ローレンの秋冬のコレクションには、ベルベットがバラエティ豊かに登場する。ブルーベルベットの上着と同素材のネクタイ、グレーのベルベットのトラウザーズ、全身隙なくベルベットで覆われる。ベルベットのオペラパンプスもある。
ルネサンス時代、ヨーロッパ全土の貴族が絹織物商に委託し、家紋で飾られた精巧なベルベットのアイテムを作り、着用していたことに今シーズンのラルフ・ローレンの着想があるそうだ。ベルベットは貴族的なライフスタイルと密に結びついたファブリックなのだ。
ラルフ・ローレンの貢献もあって、アメリカの上流階級というかつてのファンタジーはいまや現実に存在するものとなった。次なるファンタジーは、ルネサンス期の貴族へ!? 商業で芸術・文化を保護奨励した貴族の行動なら真似してみたいと思う。ファッションの核に夢があるとき、服を着ることもまた夢に近づく行動となる。
文:中野香織