アレッサンドロ・ミケーレが2015年2月、イタリアの老舗ブランド「グッチ」のクリエイティブ・ディレクターに就任して以来、モード界のムードは一変した。ミケーレ前とミケーレ後で、ジェンダーの概念、美醜の境界、アイデンティティに対する態度などに斬新な視点がもたらされ、世界の都市部の景色を変えているのだ。

 最初のコレクションのコンセプトだった「ジェンダー・フルイディティ(ジェンダーは変動する)」によって、LGBTばかりか多くの人がジェンダーの足枷を外されたような自由を感じた。

 続くいくつかのコレクションでは、ありえない色や柄を過剰に組み合わせて、「タッキー(Tacky)」(ダサイからこそすてき)というひとつの「美」のカテゴリーを作ってしまった。結果、ファッション界の主流にあった、とりすましたアッパークラスの美男美女のイメージは、古くさく退屈なものになってしまった。美人加工して美人ポーズをとるインスタグラマーの写真は、ミケーレ後、哀れを誘う時代遅れなものになっている。

 手術室や生首などが出てくるおどろおどろしいショーは、ダークで不気味なファンタジーも臆せず自由に解放することが、真の人間性の解放につながることをショックとともに世に示した。

 彼は服やバッグや靴というマテリアルを作っているが、ミケーレにとってそれは、生きづらい世界を少しでも生きやすくするための彼のアイディアを伝える「架け橋」なのである。あらゆる時代、あらゆる文化のエッセンスをミケーレの脳内に投げ込んで、そこから何の制限も加えられずアウトプットされた自由奔放なアイディアの具象、それがグッチの作品、と言ってもいい。脈絡がないのかといえばそうでもなく、各シーズンは、映画や長編小説の一章のように、連綿とつながりを持っている。

 そんなミケーレ・グッチの今シーズンのテーマは、仮面。仮面は正体を偽る装置でもあるが、自己を隠したつもりが、逆に露わになることも多い。ファッションも同じ。自己表現の手段にもできれば、自己隠蔽の武器とすることもできる。しかし、表現したつもりの自己と別の自分を伝えてしまったり、隠したつもりが逆に本当の姿を露呈させたりする。

 過剰で目立つ色彩や時代錯誤的フォルム、存在感ありありのアクセサリーをまとって、あなたは自己表現をするのか隠すのか。本人の意図とは裏腹に、見る人は多くの真実を読み取ってしまう。他人の頭の中を想像する訓練にもなるグッチの秋冬スタイルである。

文:中野香織