日本酒ブランド「SAKE HUNDRED」が2024年5月24日(金)『礼比(らいひ)』という熟成日本酒を発売する。それに先駆け、この日本酒の製造者となる「永井酒造」にてお披露目のプレスイベントが開催された。

SAKE HUNDRED 『礼⽐|RAIHI』
2024年5⽉24⽇(⾦)発売
165,000円(税込・送料別 500ml)
https://jp.sake100.com/products/raihi

川場村の酒蔵・永井酒造とは

利根川の源流を擁する山々に囲まれた美しい田園の地、群馬県・川場村。ブランド米「雪ほたか」、国内トップクラスの来訪者数を誇る道の駅「川場田園プラザ」などで全国に知られるこの村が、およそ50年前、年間観光客0を記録し、過疎地域指定された、というのは、いまやにわかには信じがたい。

利根川の源流の一つ、溝又川の上流にて。永井酒造の仕込み水である武尊山(ほたかやま)からの伏流水と源を同じくする。この日は雨だったが、天候に恵まれ、澄んでいれば飲めるほどの清水だという。硬度的には60度程度とのことで軟水。とろりとしつつも甘味があり、後味にやや塩味と苦味を感じる独特の複雑性がある

今回、私が訪れた「永井酒造」は、この現在の川場村人気の原動力といった存在で、そもそもは長野県須坂の武士・永井庄治が、この地の水に惚れ込んで1886年に興した酒蔵。酒造りに邁進しながら、徐々に地域の人々の信頼を獲得していったことで、永井一族は戦後、まちづくりにも深く関わる存在となっていったのだそうだ。

川場村の玄関口といった場所にそびえる三角屋根の永井酒造。そもそもは建築を学んでいた現当主・永井則吉氏は、この酒蔵のリニューアルから、実家である永井酒造の仕事に本格的に関わりはじめたという。銘酒は『水芭蕉』と『谷川岳』

そういった政治的な重要性の一方で、日本酒業界でも重要な存在で、近年、永井酒造がとりわけよく知られているのが、瓶内二次発酵のスパークリング日本酒の先駆者、という顔。オートグラフでも別の酒蔵の話題でスパークリング日本酒の話はしているけれど、日本酒は瓶内二次発酵というワイン同様の方法で発泡させるのがワイン以上に難しい。なぜならワインは一度、ワインを造ってボトリングしてから、再度、ボトルの中でワイン造りを行うような方法で発泡させ、最後は味を調整して完成させるけれど、日本酒の場合、これをやってしまうと日本酒というカテゴリを外れてしまうので、最初の酒造りの段階で発泡も最終的な味も完成するように、時限式に発酵が起こるよう造る必要があるからだ。永井酒造の6代目当主にあたる永井則吉氏は、この技術を確立し、自社特許技術はもちろんあるものの、スパークリング日本酒というカテゴリを普及させた立役者であり、2016年に誕生したスパークリング日本酒の品質向上と普及を目的とした一般社団法人「awa酒協会」でも大きな役割を果たしている。

永井則吉氏

そして、もうひとつ、永井則吉氏が長年、情熱を注いでいるのが熟成日本酒だ。

筋金入りの熟成酒研究者

現在はフレッシュローテーションが基本の日本酒だけれど、専門家によると、日本酒には長らく熟成された酒・古酒を尊ぶ文化があったのだそうだ。この文化が現在忘れられがちなのは、フレッシュな日本酒が現代人の趣味趣向に合致しがち、という側面のほかに、資本主義経済が発展したことで商品製造から現金化までが遅くなる熟成が忌避された側面があるという。先物取引の仕組みが色々と用意されているワインとは異なるところだ。

とはいえ、フランスのようなワインに馴染みのある文化圏では熟成は醸造酒の価値を高める重要な要素。日本の熟成日本酒を愛する人々も、これを価値あるものとして復権させようと、2019年に「一般社団法人 刻SAKE協会」を発足している。そして、永井則吉氏はこの分野でも実は先駆者だ。実家の酒造りに関わるようになった若き日には、初任給で自社の酒を買い、これを熟成させる研究を独自にスタートした、というのだ。

永井則吉氏のそんな長年の情熱と研究の成果がつまった熟成日本酒のひとつが『礼比(らいひ)』。なんと14年も熟成された日本酒だ。そして、これは永井酒造のブランドではなく、「SAKE HUNDRED(サケハンドレッド)」ブランドで登場する、ということで、今回、私はそのお披露目会に参加したのだった。

オフフレーバーのない古酒

これ以上、事の経緯を説明するよりも、まず『礼比(らいひ)』を試飲してどうだったのか?のほうから話したい。この酒は想像以上にシンプルだ。

酒は時間が経つと、ヒネた香りがしがちだ。日本酒は特に、誤解を恐れずに言えば紹興酒のようなニュアンスを獲得しがちで、実際、液体もアンバー色に変化している場合が多い。ただ、それが良いか悪いかは、なかなか単純には分けられない。熟成が普及している醸造酒、ワインの場合、熟成による好ましくない影響はオフフレーバー(欠陥臭)と呼ばれてある程度定義されていて、オフフレーバーは基本的にはワインの評価を下げるものだ。ただ、オフフレーバーの中にも、程度や場合によっては好まれるものもある。そしてこれが日本酒になると、オフフレーバーにかなり近い要素も、古酒ならではの複雑な美味として称賛されることが少なくないようにおもう。

と、前置きしたうえで、『礼比(らいひ)』は熟成によるオフフレーバーを極力排し、熟成による好ましい要素を集めたような酒だった。

グラスに注がれてすぐは熟成された酒ならではの香りがする。その中には樽に由来するとおもわれる香りもある。ただ、その程度は穏やかで、うまく熟成したワイン程度。つまり、多少、時間が経てば気にならなくなる。最初に口に触れたところでは、とろりとした液体から栗のような甘みが来るので、これが果実ではなく穀物で造られた酒であることが分かる。それがやや落ち着いたあたりから、唾液がでてくるような酸味とタンニン、そしてミネラルに由来するとおもわれる苦味のニュアンスがやってくる。後味は酸味を伴いながら日本酒らしい旨味と甘味を残し、私は、余韻はかなり長いと感じた。

想像以上にシンプル、と言ったのは、こういった要素がそれぞれ本当に必要なものだけを厳選したうえ、補助的な要素を付帯させている印象がないからで、その全体的な在り方は、長編小説に対する俳句のようだ、と感じたからだ。俳句をシンプルと言うのは俳句が持つ奥深い世界を理解していない、と批判するのであれば、まさにその通り。その意味では、俳句と同様に『礼比』はシンプルではない。

『礼比』の造り方

私は、こういう酒の造り方はシャンパーニュの『サロン』がそうだったと感じていたのだけれど、永井則吉氏は「DRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)」の『モンラッシェ』への憧憬があり、その感動を日本酒で生み出せないか?と考えていた、と言った。そこまで高級なワインを引き合いに出されると、さすがに私はピンとこないけれど、いずれにしてもその狙いが熟成による分厚く濃厚な重層性の獲得ではなく、年月を経ることで酒が獲得するエレガンスや華やかさと、年月を経ても失われない精彩であろうことは想像できる。

具体的にはこれは、マイナス5℃の環境で14年熟成させた累乗酒(一部で水の代わりに日本酒で仕込む日本酒)だという。栗のような甘い印象は累乗酒ゆえ。そして、この低温が熟成速度を遅くして、メイラード反応を抑え込むのだそうだ。

メイラード反応がほとんど起きていないことは、この酒の色からも明らか。一般的な日本酒は熟成するとメイラード反応が起きアンバーカラーになる

さらに最後の3年ほどは、やはりマイナス5℃でフレンチオークの新樽で熟成しているとのことで、タンニンのような印象と、栗とは違ったバニラ的な甘いニュアンスやごく僅かなスモーキーなスパイス感は、樽由来のものがあるとおもわれるほか、おそらく、全体的に液体が滑らかなのも、それが日本酒、しかも累乗酒だから、熟成しているから、というだけでなく、樽の作用もあるのではないかと想像する。

熟成に使うフレンチオーク樽はタランソー社の新樽。日本酒蔵で同社に樽を発注したのは永井酒造が初だという。当然、新樽なのでオーダーメイドで、焼き具合はだいたいミディアムくらいだそうだ

ちなみに、低温環境で熟成の進行をあえて抑え込むのであれば、そもそも、もっと短い期間で同様の効果が得られるのではないか?とたずねたところ、永井則吉氏はすでに、数℃刻みで熟成温度を変えての熟成を試していて、マイナス5℃で10年、というのが現状では、このバランスを獲得するための最低要件なのだそうだ。

これはいくらの酒なのか?

SAKE HUNDREDを展開する株式会社 Clearが、この酒に惹かれたのは、他の熟成日本酒とは明らかに違ったスタイルであること、そしてそれを実現するために独自のノウハウがあり、現状、唯一無二と言っていい作品であること、だそうなのだけれど、永井酒造の酒をSAKE HUNDREDブランドで販売することになったきっかけは、永井則吉氏からのオファーだったそうだ。

今回のイベントではClearの代表・⽣駒⿓史氏(左)と永井則吉氏との対談の時間があった。ふたりは生駒氏が立ち上げた日本酒Webメディア『SAKETIMES』で知り合い、互いに尊敬し合う仲になった。日本酒への愛情と日本酒業界の課題への意識には共通するものがある

永井酒造といえば、スパークリング日本酒もそうだけれど、一般的な日本酒との比較では、より高級な日本酒のラインをいくつも持っている酒蔵だし、永井則吉氏はそういう高価格で勝負できる日本酒を生み出し、それを見合った価格で売ることで日本酒の価値を高めようとしている人物という印象があった。

ただ、それでも、さすがに10万円を超えるような日本酒を永井酒造で売るのは簡単ではないという。ここからは私の想像だけれど、おそらく現状の日本酒の流通においては、たとえ5万円程度であっても、飛び抜けて高価格な日本酒はどこかで抵抗にあって売れない。やるならば、流通に乗せるのではなく永井酒造が直接売る、という方法くらいだろう。ただ、いくら永井酒造といえど、それにはそう遠くないところに限界があるはずだ。そこを突破しようと考えたとき、高級日本酒しか売らない、そして高級日本酒を売り続けている実績のあるSAKE HUNDREDは、ほとんど唯一の頼るべきパートナーなのだろう。

永井酒造が誇る特別なテイスティングルーム『SHINKA』も内覧できた。通常は永井酒造が限定的に販売する酒を購入した人が招待される、永井家のプライベート空間だ

結果、この酒は『礼比』というSAKE HUNDREDらしい名を与えられ、SAKE HUNDREDブランドから15万円(税別)の価格で販売されることになった。私は、シャトー・ムートン・ロスチャイルド、シャトー・ラトゥール、シャトー・オー・ブリオンあたりのこの10年くらいのワイン、あるいは先に引き合いに出したシャンパーニュ『サロン』が、買えるならば、大体そのくらいの価格であることから、妥当性はあるのではないか?と現時点では考える。

ただ、日本酒にもこのくらいの価格帯の商品がいくつもあれば、その品質の優劣や価格の妥当性をより論拠を持って語れるようになるだろう。いまは、まだそういう環境ではない。つまり、日本酒にはまだ、やっていない難しい仕事がある、ということだ。