シャンパーニュの巨人・モエ・エ・シャンドンが、単一収穫年のブドウから造るシャンパンが「グラン ヴィンテージ」。その2016年が日本でもリリースされた。現地でひと足早くその出来栄えを吟味して来たワインジャーナリストの柳 忠之が、その印象を語る。
モエ・エ・シャンドンにとってのグラン ヴィンテージとは?
今はショートプログラムとフリーの2種目で競われるフィギュアスケート。1990年まではショートプログラムの代わりにコンパルソリーという種目があった。氷の上を滑りながら図形を描き、その時の選手の姿勢と正確な軌跡を競うもので、日本では「規定」と呼ばれた。
モエ・エ・シャンドンのシェフ・ド・カーヴを務めるブノワ・ゴエズは、いかなる年でも決まったスタイルを求められるノンヴィンテージの「モエ アンペリアル」をそのコンパルソリーに喩える一方、単一収穫年のブドウのみから造られる「グラン ヴィンテージ」はフリーだという。「グラン ヴィンテージ」には決まったスタイルもレシピも存在せず、その年のキャラクターをありのまま表現するからだ。
昨年リリースの2015年に続く「グラン ヴィンテージ」の最新作は2016年。ブノワにこの年について問えば、「まるでジェットコースターのような年で、とてもチャレンジング。栽培農家はたいへんな苦労をした」との答えが返ってきた。
ではいったいどのような年だったのか?
気まぐれな2016年はシャルドネ・イヤー
暖かな冬のあとに訪れた春は記録的に雨が多く、ブドウはベト病のリスクに絶えずさらされた。さらに運が悪いことに遅霜も下り、南のオーブ県ではじつに6割ものブドウ畑が被害にあったという。夏は一転して乾燥。降雨量は例年の4割にとどまり、強い日差しでブドウが灼かれるのを懸念したほどだった。9月17日に収穫が始まり、ブドウは意外にも健全な状態を保ち、量は少ないものの高品質。収穫は白ブドウのシャルドネから始まるのがセオリーだが、この年は黒ブドウのムニエやピノ・ノワールの方が先に始まったのが特筆すべき点。潜在アルコール度数で9.5~10%と熟度は十分にあり、シャンパンのフレッシュさにとって不可欠な酸も7~7.5g/lと高かったという。
この気まぐれな2016年はシャルドネ・イヤーで、「グラン ヴィンテージ 2016」におけるシャルドネの比率は48%ときわだって高い。これに34%のピノ・ノワールと18%のムニエがアッサンブラージュ(ブレンド)された。2015年はピノ・ノワールが44%と支配的だったから、なるほど、ブノワがいうとおりノーレシピ。フリーの演技を見るようだ。
シャンパンのスタイルも、1961年以来の暑い年だった2015年とは異なり、涼しげなグリーンノートとシトラスのフレーヴァーが印象的。2015年は後口のビターなテイストがフレッシュさを演出していたが、こちらは酸とミネラルが十分に感じられ、快活な味わいである。さらに7年におよぶ澱との接触が生み出す香ばしいフレーヴァーと滑らかなテクスチャー、それにうま味が、このグラン ヴィンテージにもうひとつのディメンションを与えている。
ロゼの完成度も高い
もちろん、2016年のグラン ヴィンテージにもロゼがある。20年ほど前までは、シャンパン全体にロゼが占める割合は2~3%にすぎなかったが、今やそのシェアは10%に。モエ・エ・シャンドンでは生産量のじつに20%がロゼだという。
「グラン ヴィンテージ ロゼ 2016」の品種構成はピノ・ノワール43%、シャルドネ42%、ムニエ15%。このピノ・ノワールの比率にはアッサンブラージュされた13パーセントの赤ワインも含まれている。ブノワによると、以前は25%もの赤ワインを加えていたそうで、少ない量の赤ワインで済むようになった理由は、温暖化によるピノ・ノワールの熟度の向上に加え、赤ワインの醸造技術が格段に向上したからだそうだ。「90年代にはまるで中世のような木製の除梗機を使っていた」とブノワ。
ちなみに赤ワインにピノ・ノワールのほかムニエも用いる「ロゼ アンペリアル」とは異なり、「グラン ヴィンテージ ロゼ」はピノ・ノワールのみ。アイ、マルイユ・シュール・アイ、ブージーのピノ・ノワールが赤ワインに仕上げられる。
グラスに注がれたその色は、夕焼け空のように鮮やかな紅色。ブラッドオレンジやピンクグレープフルーツなどの柑橘香に、チェリーやグロゼイユのような赤い果実のアロマ。口に含むと豊かな果実の中に繊細さや上品さも感じられる。クリーミーなマウスフィールの後にピュアな酸味が現れ、フレッシュさが口の中に広がる。さらに続くのはシナモンやジンジャーブレッドなど、スパイシーかつトースティな余韻である。ロゼもまた完成度が高い。
そして、「グラン ヴィンテージ」のステージはこの2本では終わらずもう2本、2009年と2000年の「グラン ヴィンテージ コレクション」が控えていた。2016年、2009年、2000年の3ヴィンテージで「昇華の物語」をつむぐ三部作だという。1年前に2015年がリリースされた際は、2015年、2006年、1999年の3ヴィンテージで「光の物語」三部作を構成したから、その続編ともいえる。
2016年、2009年、2000年の3ヴィンテージに共通するのは、いずれも一筋縄ではいかなかった年にもかかわらず、それをみごとに乗り越えてグラン ヴィンテージへと昇華した奇跡。2009年は2024年、2000年は2015年にデゴルジュマン(澱抜き)されているので、ともに14年もの長期にわたって澱とともにエペルネの地下セラーで静かに寝かされていた計算になる。
2009年は長い熟成期間が信じられないほど若々しさを保ちつつ、しかし、砂糖漬けのレモンピールや干しイチジク、ジンジャーに蜂蜜など複雑なフレーヴァーが広がる。凝縮感に富み、リッチでクリーミーな味わいは2009年登場時の姿を思い起こさせる。2000年はデゴルジュマンから9年が経ち、色調も深い黄金色。にもかかわらずフレッシュさを少しも損なうことなく、ただフレーヴァーや味わいの奥行きを深めていく。驚くほど繊細で品がよく、直線的でタイトなスタイルだ。
2016年の「グラン ヴィンテージ」に、2009年と2000年の「グラン ヴィンテージ コレクション」。それぞれにその年の物語があり、ブノワ・ゴエズと彼のチームはシャンパンとしてありのままに解釈した。それはあたかも、羽生結弦、宇野昌磨、鍵山優真。3人のフィギュアスケーターによるフリーの演技を目の前で観戦するような、エキサイティングなテイスティングであった。