「ウッドワード‐ホフマン則」の発見により、1981年、日本人化学者 福井謙一氏とともにノーベル化学賞を受賞したロアルド・ホフマン名誉教授。

教授は詩人、劇作家としても知られ、ウクライナのゾーロチウに生まれたユダヤ人として、少年時代にホロコーストを生き延びた。その教授の詩作品3篇を収録した12分4秒の動画『ぼくとママは屋根裏に隠れた』が、YouTubeにて公開されている。

淡々と語られる少年の日常

ロアルド・ホフマンは1937年にゾーロチウに生まれた。1941年、労働収容所に送られたが、父の努力で脱出。その父は殺され、ポーランドのウクライナ人一家に匿われたロアルドは、母ととに屋根裏部屋で15カ月を過ごした。1946年にポーランドを脱出。1949年にアメリカに移住。

屋根裏部屋の鎧戸から見える風景が、世界との接点だった幼少期を過ごしたゆえか、事物を注視するロアルドは、化学の研究で頭角を現し、1962年、ハーバード大学大学院で博士号を取得。1981年にはノーベル化学賞を受賞するほど偉大な化学者として成長した。

『限られた視界の中で』

2009年、故郷ゾーロチウにて、ホロコースト犠牲者に捧げた碑を建てるプロジェクトを主導している。

『平らな敷石は、いつも変わりたいと願っている』

教授は、科学の啓蒙書のほか、詩人として詩集を2巻発行。劇作品も手掛けている。

6月に公開された動画『ぼくとママは屋根裏に隠れた』は、ロアルドの詩作品3篇を、動画化したものだ。

動画になっているのは、屋根裏部屋から出られず、窓から屋外を見るばかりの少年が自らを語る『限られた視界の中で』、その少年が母とともに故郷に戻った時のことを語る『平らな敷石は、いつも変わりたいと願っている』、再び屋根裏部屋時代を語る『死神の凝視』。

『死神の凝視』

朗読は吉田栄作が担当している。

いずれの作品でも、常に死とともにある日々を少年は淡々と語る。それらのすべてがロアルド・ホフマンの伝記的事実とは限らない、しかし、決して多くはない言葉と映像は、あたかもそこにいるかのような体験を、この動画を見るものにさせてくれる。