この時計は俳句に似ている

鈴木 僕は先程の動画のなかで、チーフデザインマネージャーの大場晴也さんが言った「時っていうのは結局、人間の一人一人に宿っている」という言葉で、この時計がすっと理解できたんですよ。

福留 ほう?

鈴木 ノラの町の教会が何をおもって人々に時を告げたかはわかりませんが、時というのはキリスト教文化圏では神のものです。そしてそれは、つねに慈悲深いものではなく、教会の権力とも無関係ではありません。神の力が多少は弱まった産業革命後も、時間は結局、資本家が労働者を縛るものになった。銀行家や資本家にとっては、時間は、進むほどにお金が増える味方です。でも、労働者は、時給に縛られる。何が言いたいかっていうと、時は人間一人一人に宿っているかもしれないけれど、万人がそれで幸せになっているわけではない。格差があるんです。

福留 毎日朝7時に起きないといけない、とかですね。

鈴木 でも大場さんは、そういう文脈で語っていないですよね。先の発言は「時は(カンパノラを)お持ちになっている人、一人一人のイマジネーションとばちばちっと呼応しあって、新しいストーリーが膨らんでいけばいい」と続いていきますし──

福留 そもそも、その前の発言が「嫌なことがあったらカンパノラを見てください」ですからね。時間に対してネガティブなイメージがないのは明らかですよ。

鈴木 そう、それでピンと来たんですよ。あ、これ俳句か、と。

福留 俳句?

カンパノラによる複雑時計のデモクラシー

鈴木 僕、松尾芭蕉が好きだからそれでいうと「五月雨をあつめて早し最上川」というのは有名だけれど、その後、最上川の河口付近まで行って「暑き日を海に入れたり最上川」という句もあるんです。両方、同じ夏の話です。どちらの句も、風景と同時に、それを味わっている芭蕉の肉体感覚っていうのか、音とか温度とかが感じられるんですが、そこにはもちろん、時間も感じられて、さらに二句ならべると、雨の日があって、暑い日もあって、時の移ろいがより強く感じられる。

福留 それがカンパノラとどうつながるんですか?

鈴木 時間って日本人にとっては、 同じ最上川に、違った詩情の層を与えてくれるものなんじゃないか? ということです。カンパノラの、見る角度によって雰囲気の違う多層構造や光によって表情を変える文字板って、つながりません?

福留 文学をやってきた人っぽい意見ですね。ただ、たしかに今回の『深緋』は漆、『紺瑠璃』は金属粉末と漆を使っていて、文字板だけとっても、見る角度や光の強弱で雰囲気が違いますね。

鈴木 で、そこから

福留 まだこの話続くんですか?

鈴木 ここから結論。日本人にとっては、時間は、誰かの味方で、誰かの敵とかいったものではなく、誰しもの日常を美しくしてくれる平等なミューズなんじゃないか? それが「時は一人一人に宿っている」ってことなんじゃないか? とおもったんです。もちろん、松尾芭蕉みたいな上手な表現は、誰にもできることじゃないでしょう。でも、松尾芭蕉は別に難しいことは言ってない。誰にだって、経験があるような、肌で感じて、理解できるような事柄を美しく表現しているだけです。民主的なポエジーです。一般的なグランドコンプリケーションって、明らかに多くの人を拒絶する特権的な値段じゃないですか。でも、カンパノラは、確かに50万円だって安くはないですが、ずっと民主的です。このグランドコンプリケーションの民主化には、そういう俳句的発想があるように僕はおもったんです。

福留 たしかに、カンパノラ グランドコンプリケーションの発想は独特というか、ヨーロッパ人はおもいつかなさそうだな、とはおもいます。

鈴木 でも、これを持っていたらうれしいとおもいますよ。美味しいワインを飲みながら、夜のゆったりした時間にこの時計を見ていたら、明日の朝、7時に起きなきゃ、なんて絶対おもわないでしょう? そういう特別な時間は、別に、時計に何千万円も出せる人だけに許された贅沢じゃないんだぞ、と

福留 カンパノラは言いたいと?

鈴木 そういう戦闘的な姿勢じゃないところがステキだな、という話です。存在で物語る。エレガントです。

語りたくなる行間をもった時計

福留 しかし、語れるものですね。これほど盛り上がるとはおもわなかった。

鈴木 色々な切り口から語れる時計なんだとおもいます。先程の大場さんの動画は「CAMPANOLA STORIES」というシリーズの一作ですが、ほかにも、生物学者・福岡伸一先生のお話はすごく面白かった。「美しいものは生命にとって必要だから美しい」という言葉は考えさせられます。

福留 その続きのこの動画では、人は体内に時間軸を持っていて、それを忘れてるって言ってましたが、ホント、いろいろ忘れてますよね、僕らは。便利になりすぎたのかも。時計の機能は、いろいろ教えてくれます。パーペチュアルカレンダーがなければ、なぜ月の日数にバラツキが出るのか、うるう年があるのか、などは考えなかったとおもうし、月齢が海の干満に影響を与えていて、海で仕事をしている人には重要なんだということ、鐘の音で時を知るという優雅さ。こういう機能は着けていられることも嬉しいですが、立ち止まって、その根拠を知る良い機会になるのかもしれない。グランドコンプリケーションはそれだけでも価値があるんじゃないかと、このモデルの説明を聞いてあらためて考えさせられました。

鈴木 農業にとっても月は大切で、ワインのブドウの収穫を月齢に従って行う、というのはとても古くから行われていたんですよ。そこにはキリスト教とはまた違った宗教観もあって……と、キリがないですね。

福留 ばちばちっと呼応しあって、ストーリーが膨らんでいってますね。

鈴木 ああ!これもデザイン段階から織り込まれていたのか、なんたる多層構造!

福留 存在で物語っていますね。

鈴木 エレガントです。