フランスの暮らしの美学を紹介するというイベントに老舗ワインインポーター「モトックス」が提案したのはノンアルコールワインとパリで造られるジンだった。なぜ? そこには世界の酒を扱い続けてきた100年企業ならではの時代を見る目があった。
普段あまり表に出ることのない、ワインインポーターの仕事を読む
え?ワインじゃない? お酒のトレンドはどこにあるのか?
5月のある日、東京・港区のフランス大使公邸は思い思いのオシャレを楽しむ人々が集い、さながら社交界といった様相を呈していた。この日ここでは、フランス流暮らしの美学“アール・ド・ヴィーヴル”を日本に紹介するイベント『ソワレ・ボンジュール・フランス』が、実に5年ぶりに復活開催となり、エレガントなチケット争奪戦の結果、勝者たちがここにつどったのだ。
公邸のゆうべは、そんな彼ら彼女らの期待に応える音楽のパフォーマンス、コスメティックやファッションに彩られて過ぎてゆく……そしてもちろん、こういう場面に欠かすことができないフランスが世界に誇る文化といえば食だ。様々な食が供されるなか、このイベントを盛り上げる側として、酒類卸売業者「モトックス」も参加すると聞けば、当然のようにそれはワインで参加するのだろうと想像するもの。ところが、ここでモトックスが紹介していたのは、いわゆる「ノンアル」と呼ばれるワインテイスト飲料とジンだった。
と言われても、その意外性は伝わりづらいとおもうので解説すると、モトックスは創業1915年、1930年から酒屋専業となった日本の酒の老舗中の老舗だ。現在の売上の9割は世界中のワインの輸入・卸売業務が占めている。要するに日本のワイン業界を牽引する会社だ。だから「え? フランス流の暮らしのイベントにフランスワインを出さないの?」と驚いたのだ。
皆さんはワインを選ぶ際、わざわざボトルの背面のラベル=バックラベルに書かれている輸入会社を確認しないかもしれないけれど、この行動はワイン業界の人にとっては結構一般的で、モトックスの名前はそこで見ることができる。そして、この輸入会社というのは、それぞれ個性と哲学があるので、バックラベルを見るとワイン好きは、ああ、この輸入会社の選ぶワインなら、きっとこういうワインだろう、 などと想像がつくのだ。
そして、モトックスといえば? と問われたら、私は、 目利き、酒の状態がいい、のほかに最新のトレンドをいち早くキャッチし、あるいはトレンドの先を行く存在と応える。そういう存在が、あえて今回、ワインではなくノンアルとジンを出してきた。これはなにかあるぞ!と深読みが始まるのだ。
実はますます需要が高まるノンアルコールワイン
まずは具体的に、何が出ていたかを紹介したい。
ノンアルのほうは、これ、もうワイン好きたちには説明不要のブランド、高品質ノンアルコールワインの草分けにして大生産者「ピエール・シャヴァン」が展開する「ピエール・ゼロ」シリーズだ。
一般的にノンアルコールワインと言っても、実はその造り方には細かな違いがあり、ノンアルコールワインという表現が正確ではないものもあるのだけれど、ピエール・シャヴァンはまさにノンアルコールワイン。一度ワインを造って、これをワインの味わいを壊さない方式で脱アルコールした後に味を整えるスタイルを基本としている南仏のノンアルコールに特化したワインの造り手、という本格派なのだ。
ノンアルコールワインが世間で一躍注目を浴びたのは新型コロナウイルスの蔓延時で、注目とともに市場もぐっと大きくなり、この市場はさらに大きく伸びる、という話が盛んになされて色々なメーカーが参入したのだけれど、ピエール・シャヴァンの創業は2010年と圧倒的に早く、パンデミックとなんら関係がない。
創設者はマチルダ・ブラシャンさんという女性。彼女は2児の母なのだけれど、妊娠中に飲み物が大きく制限されたことがきっかけで、ワインに代わる飲料の必要を感じて起業したという。
この時期はノンアルコールワインなどというものは、市場がないも同然で、そこにシリアスなノンアルコールワインを仕掛けること自体がなかなか勇気ある行動だけれど、ピエール・シャヴァン創業直後に輸入を決定した会社のひとつが日本のモトックス、というのも勇気ある決断にして知られざる事実。
そして、マチルダさんにしても、モトックスにしても、この選択はまったく的を射ていたことが、現在、証明されている。ノンアルコール市場はいまも縮小の気配はないからだ。
この背景には、いま20歳近辺の世代はアルコールを全く飲まない人が他のどの世代よりも多く、それよりも上の世代でもアルコール離れが進んでいるという事実がある。健康志向やナチュラルフードの人気も理由にあるし、アメリカなどでは都会の人々にヘルスケア・メンタルケアの意識が浸透してきていて、服用している薬がアルコールと相性が悪い、などということもある。
アルコール市場がなくなる、というほどの危機的状況ではないとはいえ、パンデミックのずっと前から、社交の場で、美食の場で、もはやアルコールは必須ではなかったのだ。だから、いち早くアルコールを飲まない人に向けた商品を持つ、というのはかなり重要なことだった。
それは、単にアルコールがなければいいなんてものではなくて、ちゃんとしたワインの代わりに選択できる飲料でなくてはいけない。これが難しいことで、かつ、それを成し遂げたのがピエール・シャヴァンがスゴいところ。
ワインの風味を保ったままの脱アルコールを実現したことも十分スゴいけれど、ここが一番スゴいんじゃないか? と私がおもうのは、アルコールを失うことでワインからなくなってしまうボディ感を、時にジュースをブレンドすることも厭わずに補っているところ。特にこの基本スタイルに忠実な「ピエール・ゼロ」シリーズは、ワインと同様のフードペアリングが成立する。というより「ピエール・ゼロ」は、食事とともにあってこそ、その真価を発揮する。
これを2010年代初頭に造ったというところもまたスゴくて、いまや百花繚乱のワインの代替飲料=ワインオルタナティブ市場において、ピエール・シャヴァンのリードは大きい。他社がまずはワイン好きへのアプローチを行うなかで、すでにそこにはすっかり浸透している「ピエール・ゼロ」は、一般層へのアプローチを積極的に行っている。ベンチャービジネスとしてもお手本みたいな成功例だ。
複雑な「クラフト・ジン」沼に入る必要ナシ! 「飲める香水」コンセプトは絶妙
もうひとつのジンは「ディスティレリ・ド・パリ」という造り手の作品。これについては、私はこれまで知らないでいたけれど、その個性にははっとさせられた。
現在のクラフト・ジン ブームは2010年くらいから続いていると言われることが多いけれど、それらクラフト・ジンのセールスポイントは基本的には
・ボタニカルに特殊なものを使用していると謳う
・蒸溜・ブレンド工程の特殊性を謳う
の組み合わせ。なぜならジンは、ワインや日本酒、あるいはウイスキーなどと比べた場合、どうしても自然や時間を売りにしづらいのだ。ただ、この商品力づくりには弱点があって、この面白さは酒のことがある程度分かる人にしか伝わらない。
「ディスティレリ・ド・パリ」は「飲める香水」というコンセプトで、そういうジンの価値観から微妙に自分をズラしている。この蒸溜所は使用したボタニカルや製法を詳しく語ることをむしろ避ける。それは、ジンとしては意外なことにおもえるけれど、香水だと考えれば自然だ。
そしてこのジンは、実際に香水さながら。人工的で鼻を刺激するような香料ではなくて、自然の香料の包み込むような香りがグラスから立ち上る。
『バッチ1』と命名されているもっとも中核のものが、トップに柑橘系、ミドルにローズほかのフローラル、ベースにオークモスやインセンスをもつ、いわゆる「シプレ」系。『トニック』という名のジンはウッディ・オリエンタル系、『ベル・エール』がフルーティー系と、いずれも香水の鼻馴染(?)あるスタイルを踏襲している。
イメージ的にはオーデコロンかオードトワレか、といった繊細な香りの液体だけれど、にも関わらず、カクテル等になっても、この香りの個性は残る。おそらくそれは、このジンが使っている素材がナチュラルだからだろう。自然の香りは、他の香料とぶつかることが基本的にない。バラの花は、どんな環境下にあっても、それこそとんでもない悪臭の中にあっても、バラの香りがするのと同じだ。
このジンを手がけている「ディスティレリ・ド・パリ」は「パリ蒸溜所」という名前の通り、パリにある。蒸溜所のような消防法的に警戒される施設は普通、都市部にはつくれないものだが、こちら、長年パリ10区で「Julhès Paris」という食料品店(エピスリー)を営んでいたことから特別に許可が出ているのだそうだ。蒸溜家はオーナーでもあるニコラ・ジュレスさん。
ジン造りは2015年にスタートしているけれど、香水造りのバックグラウンドがあり、ほかにもフランスの一大日本酒コンクール「Kura Master」の審査員になっていたり、自身もクラフト・サケを造っていたりと多才な人物で、彼を褒めそやす記事は少なくない(日本語のもは多くないけれど)。時代の寵児といったところだろう。
モトックスは「ディスティレリ・ド・パリ」を創業してすぐに見つけ出し、輸入を決定したのだそうだ。
酒市場はどこが成長しているのか?
ここから、この記事の結論に入りたい。ピエール・シャヴァンの先行者利益に関しては、モトックスは完全に共有している。この先読みぶりは見事というほかない。ディスティレリ・ド・パリに関して言えば、パリ市内の1基の蒸溜器から造られるものだから量では勝負できないけれど、職人的作品という芸術性が高い高級品だし、クラフト・ジン市場が成長している、ということも先読みしている。
そして大事だとおもうのは、これら成長というのは旧来的な酒界隈ではそれほど起きていない、ということだ。ハマれば奥深い酒の世界は、一方で敷居が高く、わざわざこの沼に足を踏み入れようという人が、今後も定期的に生まれ、増え続けるという保証はどこにもない。むしろ現状を見れば、酒の世界ではますます多様化と先鋭化が進む、と見るほうが現実的だろう。
成長は、旧来的な酒文化を共有していない人たちのところで起きているのだ。“ナチュール”と呼ばれる自然派ワインの人気もそうだ。ナチュール好きが、ワインスクールに通っていたり、ナチュール以外のワインの幅広い知識を持っていることは稀だ。そして、それでいい。趣味は確かに知識をもって望めば面白いが、楽しむのに勉強が必須、ということならばそれは異常だ。「この映画を楽しむには事前にこの30本の映画は見ておくべきだ」なんて言われたら、99%の人は「そんな面倒な映画、見ないでいいや」となるだろう。
そして、モトックスはそこに対してとても意識的だと私は常々感じている。多くのワイン輸入会社は知識や権威に価値を置く。私はワイン好きなので、その気持ちは痛いほどわかる。専門家が100点をつけたブルゴーニュの天才ワインメーカーの渾身の作とか、シャンパーニュの名門の最上級品が少量入荷、などと言われれば喉から手が出るほど欲しい。
しかし世の中の99%はそんなことに興味はないのだ。
一方でピエール・ゼロやディスティレリ・ド・パリに専門的な酒知識は必要ない。むしろもうちょっと人生の色々なことへの興味のほうが、これらの味わいには効いてくる。
実はモトックスは“ナチュール”に関しても先駆的で豊富なラインナップを誇っている。ほかにも日本酒業界と連携した商品を仕掛けたり、日本のワイナリーとの共同制作ワインがあったりする。ひとつひとつの商売の規模でいうと、さして大きくないものも多い。会社の売上規模も120億円程度と、小さくはないけれど、大きくもない。ただ、これほど市場開拓に意欲的な輸入会社を私は知らない。そもそもが、売れるものを輸入して売るのが輸入会社の本業であって、売れるか売れないか分からないものを持ってきたり、将来の市場に投資するのは別の仕事……そういう意味でモトックスは造り手、あるいはプロデューサーのようだ。
いやいやもちろん、本業はきちんとやっている、と彼らは言うだろう。ならば、そちらで目利きだからこそ、そんな彼らが見込んで、投資的に行うビジネスは、未来的かつ痛快だとも言いたくなる。
『ソワレ・ボンジュール・フランス』はワインファンではなく、フランス好きが集まるイベント。ここに、ワインの輸入会社がワインではなく、ノンアルコールワインとジンを持ってきたのは、きっとそういうことなのだ。