文=鷹橋 忍

円覚寺 写真=フォトライブラリー

頼朝の鍾愛を受けた実朝

 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も残り回数が少なくなり、柿澤勇人演じる三代将軍・源実朝の時代となった。

 ドラマの実朝は、物静かで心優しく、知的で凜とした芯の強さも感じ、大変に魅力的である。横田栄司演じる和田義盛を慕い、和田邸に通い詰める姿も微笑ましい。

 そこで今回は、実朝の人生をたどってみたい。

源実朝

 実朝が生を受けたのは、建久3年(1192)の8月9日である。7月には父・源頼朝が征夷大将軍に補任されており、いわば頼朝の絶頂期に誕生したことになる。

 実朝が生れたとき源頼朝は46歳、母・北条政子は36歳、叔父の北条義時は30歳であった。金子大地が演じた兄の源頼家は、10歳年上である。

 幼名は「千万(千幡)」と付けられたが、混乱を避けるため、ここでは実朝で統一しよう。

 比企一族に囲まれて成長した兄の頼家とは違い、政子の妹・阿波局(ドラマでは宮澤エマ演じる実衣)が乳母に、阿波局の夫・新納慎也が演じた阿野全成(頼朝の異母弟)が乳母夫となり、陰謀渦巻く鎌倉で北条氏一族の保護を受けて育っていく。

 御台所の政子との間に、10年ぶりに産まれた男子とあってか、頼朝は実朝がとりわけ愛しかったようである。

 鎌倉幕府編纂の歴史書『吾妻鏡』同年12月5日条によれば、頼朝は集めた御家人たちの前に、産まれて間もない実朝を抱いて現われている。

 そして、「この嬰児への鍾愛、殊に甚だし。おのおの意を一つにして、将来を守護せしむべし(実朝をことのほか深く愛しているので、それぞれが心を一つにして、実朝の将来を守ってほしい)」と丁寧に言葉を尽くしたうえに、盃酒を与えたという。

 だが、実朝が頼朝の鍾愛を受けられた日々は、それほど長くはなかった。なぜなら、建久10年(1199年 四月に正治に改元)正月13日、頼朝は急死してしまったからだ。そのとき実朝は数え年で8歳、満年齢なら6歳と5ヵ月であった。