文=三村 大介

東京国立博物館 本館 Wiii, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

「選ばれる側」と「選ぶ側」

『M-1』『R-1』『キングオブコント』に『THE W』・・・

 もはや言わずと知れた、毎年民放各局で開催されているお笑い王者を決める大会であるが、何を隠そう、お笑いが大好きな私はこれらの番組を欠かさずチェックしている。

 毎回テレビの前で、披露される演者のネタに対し「おぉ、これはおもしろい!」と爆笑したり、「うーん、このネタはいまいちだなぁ」と失笑したりしながら、「これは高得点!」とか「残念ながら彼らに票は入れられないな」などと、まさに審査員気取りで楽しんでいる。

 おそらく、ほとんどの人がこのような鑑賞の仕方をしているであろうから、このことは共感を得られやすいと思うのだが、この手の大会でよくあるのが、「これはいい点数出てるんじゃない?」というネタが思いのほか点数が低かったり、「今年はこの人たちに違いない!」と確信した芸人がグランプリを逃したりするということだ。

 確かに、面白いという感覚は各個人で違うのだから、結果が自分の考えと違うことがあるのは当然のことであるし、「それはあなたの笑いの感性がみんなとズレているからだ」と言われてしまえば、もはやグゥの音もでない。とは言えである。「なぜこのネタがおもしろいのだろう?」とか「どうしてこの人たちが選ばれたのだろう???」というモヤモヤ感が残ってしまうと、せっかくの大会そのものがつまらないものに感じてしまう。終いには「事務所への忖度か?」「この大会はもう終わった」などとネットが大炎上してしまうなんていうこともよく聞く話である。

 しかし、「あなたたちの優勝は間違っている」とか「面白くないから優勝の権利はない」などと、批判の矛先を演者の方に向けるのは間違っている。なぜなら、彼らはいくつもの予選を勝ち抜いた上、晴れて決勝という舞台に立ち、自分たちのベストパフォーマンスを披露しているだけに過ぎない。彼らはあくまでも「点数をつけられた側」=「選ばれた側」であり、我々が注目しなければならないのはやはり、「点数をつけた側」=「選んだ側」ということだ。

 たとえ結果が自分の思いと違ったとしても、審査員たちがその理由をキチンと説明、解説してくれたなら「なるほど、プロはそう見るか」「まぁそういう捉え方もあるんだったら仕方がない」といったように納得できることもある。しかし、その内容が不十分だったり、理解に苦しむものだったりすると、その不満の捌け口が「選んだ側」はもちろん、「選ばれた側」にも向いてしまうというのもさもありなんという話である。

 だからこそである。審査員は、自分の出す結果に責任をもつ必要があり、その出場者のネタが、多くの人に「本当に面白い」と共感されるように説明できなければ、視聴者はもちろん、演者に対しても失礼である。そして、それが審査員自身の評価にも直接つながるという大いなる自覚を持つ必要がある。その実力や覚悟なく審査を引き受けていては、面白い芸人を発掘するどころか、叩かれる芸人を生んでしまうだけの大会となってしまう。

 こう考えると昨年開催された「キングオブコント」は、近年開催された数ある大会の中でも記憶に残る素晴らしい大会だった。それは優勝した「空気階段」はもちろん、ファイナルステージで戦った「ザ・マミィ」「男性ブランコ」らのネタが秀逸でとても面白かったのに加え、とにかく、審査員の構成、そして彼らの解説、評価が実に的確で素晴らしかったからである。機会があれば、ぜひみなさんにも観ていただき、感想を聞きたいところである。あれ?この連載、芸能についてのコラムだったっけ・・・?