文=川岸 徹 撮影=JBpress autograph編集部

ルートヴィヒ美術館展 東京開場 会場風景

世界を席巻した20世紀ドイツ美術

「芸術の中心地はどこか?」と聞かれたなら、おそらく大多数が「フランス」または「パリ」と答えるのではないか。だが、20世紀の100年間に限っていえば、フランスよりもドイツが先を走っていた。特に20世紀の前半、ナチスが台頭し新しい芸術活動を弾圧するまでは、間違いなく「ドイツの時代」だったといえる。

 20世紀初頭、印象派に対抗するようにドイツで表現主義が誕生した。表現主義とは人物や風景など目に見えるものを題材にするのではなく、画家の感情や主観といった内面的世界の表現に挑んだ芸術運動。この表現主義に多くのアーティストが賛同し、さまざまな芸術グループが派生する。1905年にドレスデンでヘッケル、キルヒナー、シュミット=ロットルフらが「ブリュッケ(橋)」という芸術サークルを結成。彼らはドイツの植民地であったオセアニアの美術に刺激を受け、自然と人間のつながりを描こうと試みた。

 1912年にはミュンヘンにて、カンディンスキーやフランツ・マルクらによって、ドイツ表現主義を代表するグループ「青騎士」が誕生。さらに1919年にはヴァイマールに、美術と建築に関する学校「バウハウス」が開校。合理性や機能性を追求したデザインは、現代のアーティストにも強い影響を与えている。

右から、ワシリー・カンディンスキー《白いストローク》 1920年 油彩/カンヴァス、パウル・アドルフ・ゼーハウス《山岳の町》1915年 油彩/カンヴァス

 しかし、第二次世界大戦が始まると、状況は一変。ヨーロッパの多くの画家たちが戦禍を逃れてアメリカへ渡り、シュルレアリスムからの強い影響を感じさせるポップ・アートが形成された。ポップでありながら、社会への批判や皮肉に満ちた新たなアートは世界的な人気を集め、ジャスパー・ジョーンズやアンディ・ウォーホルら、数多くのスターアーティストが誕生した。

 だが、ドイツもかつての威信を取り戻そうと、芸術活動の復興に挑む。第二次世界大戦が終結すると、「もう一度ゼロから芸術活動を構築しよう」とハインツ・マックとオットー・ピーネが「ゼロ」という芸術グループを結成。1955年にはドイツ・カッセルにて現代芸術の大型グループ展「ドクメンタ」がスタートし、現在も現代美術の動向を知る最も重要な国際展の地位を築いている。

 

市民のコレクションを軸に美術館が誕生

 100年をトータルで俯瞰して見れば、20世紀芸術の中心地のひとつであったといえるドイツ。新しい才能が次々と花開き、他国のアーティストや作品も積極的に紹介する。だが、その反面、ドイツは二度の世界大戦や東西冷戦に巻き込まれるなど、国の情勢は決して穏やかではなかった。そこで奮起したのが市民コレクターたち。困難な状況から芸術を守り次世代へつなげようと、美術作品を積極的に収集した。

 ケルンで弁護士として活動したヨーゼフ・ハウプリヒ、ケルンの銀行家一族に生まれたゲオルク・フォン・シュニッツラーとその妻リリー・フォン・シュニッツラー。彼らはドイツ・モダニズムの作品を中心にコレクションを築いた。ドイツ最古の楽譜出版社の家に生まれたヴィルヘルム・シュトレッカーはピカソやマティス、ココシュカなどの重要作品を収集。ペーター&イレーネ・ルートヴィヒ夫妻はドイツ表現主義と同時期に展開したロシア・アヴァンギャルド、アメリカン・ポップ・アートの作品を熱心に買い集めた。

会場風景

 こうした情熱的な市民なコレクターからの寄贈品を軸に、ドイツを代表する美術館が誕生した。1986年、ドイツ・ケルンに開館したルートヴィヒ美術館だ。館名にはルートヴィヒ夫妻の名が冠されている。

 6月29日、国立新美術館で開幕した「ルートヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡ー市民が創った珠玉のコレクション」。オープニングにはルートヴィヒ美術館館長のイルマーズ・ズィヴィオー氏が来日し、「展覧会の出品作は当館コレクションのハイライト」と自信をうかがわせた。

 展示会場を歩けば、その言葉に誇張はないと実感できる。会場は「序章:ルートヴィヒ美術館とその支援者たち」「ドイツ・モダニズム」「ロシア・アヴァンギャルド」「ピカソとその周辺」「シュルレアリスムから抽象へ」「ポップ・アートと日常のリアリティ」「前衛芸術の諸相」「拡張する美術」の8章で構成されているが、いずれの章でも「これがハイライトの一つだな」と感じられる名品に出会える。順路の最初から最後まで、クオリティの高さにワクワクが止まらない。