文=青野賢一 イラストレーション=ソリマチアキラ

受賞者の多様性が印象的なグラミー賞

 アンダーソン・パークとブルーノ・マーズのシルク・ソニックが年間最優秀レコード賞と年間最優秀楽曲賞、最優秀R&Bパフォーマンス賞、最優秀R&Bソング賞の4部門を制覇し、ジョン・バティステが年間最優秀アルバム賞と最優秀アメリカン・ルーツ・パフォーマンス賞、最優秀アメリカン・ルーツ・ソング賞など5部門を受賞。最優秀新人賞にはオリヴィア・ロドリゴが輝くなど、受賞者の多様性が印象的だった「第64回グラミー賞」。

 そんななか、パキスタン人の女性アーティストとして初めてグラミー賞にノミネート(最優秀新人賞)され、最優秀グローバル・ミュージック・パフォーマンス賞を受賞したアーティストをご存じだろうか。アルージ・アフタブである。

 サウジアラビアに生まれたアルージ・アフタブは、ほどなくして両親の故郷パキスタンのラホールに家族とともに移り、10代をパキスタンで過ごす。パキスタン(正式にはパキスタン・イスラム共和国)は1947年に当時英国領だったインドから分離、独立して建国となった国家。独立当初はインドを挟む飛び地のようなかたちの「東パキスタン」が存在していたが、1971年の第3次インド・パキスタン戦争を経て東パキスタンは現在のバングラデシュ人民共和国として独立した。

 イスラム教国家のなかでも極めて保守的とされており、父権が非常に強いことで知られるパキスタンだが、2021年の「ジェンダー・ギャップ指数」(男女平等の達成度を示す指数)は156国中153位と大変低い(ちなみに日本は120位でこちらも残念な結果である)。

 

音楽を志す契機となった「ハレルヤ」

 一家の親類やその友人にマニアックな音楽好きがいたそうで、そうした人たちとパキスタンの古い伝統音楽を聴きながらも、自身ではジェフ・バックリィのようなシンガー・ソングライターの曲も好んでいたというアフタブ。やがて音楽に取り組んでみたいと思うようになったが、どうやったらいいのかがわからなかった。

『Pitchfork』のインタビュー(2021年5月)によれば、音楽を学びたかったが、ボストンのバークリー音楽大学––––のちに彼女が入学することとなる––––は学費が高く、またパキスタンからあまりに遠かったりで誰も理解してくれなかったという。アフタブの父は「音楽をやりたいと考える人はそれはたくさんいるが、その人たちは実際のところただの音楽好きというだけだ」と彼女に話していたそうで、これはつまり遠回しに諦めろといっているようなものである。

 そんな状況で悲嘆に暮れていた彼女に転機が訪れたのは2000年代の初頭、18歳のとき。自主制作したレナード・コーエンの「ハレルヤ」––––ジェフ・バックリィも取り上げた––––のカバーがラホールでオンライン上のヴァイラル・ヒットとなったのだ。YouTube登場以前の時代にあって、Napsterなどのファイル共有サービスとEメールを通じ、この曲は多くの人に聴かれることとなり、手応えを感じ、自信を得たアフタブはバークリー音楽大学に出願、奨学金制度を使って入学とあいなった。

 

拠点をニューヨークに移して

 大学で音楽制作とエンジニアリングを学んだアフタブは、卒業後にニューヨークに移る。以来、拠点はニューヨークである。

 2014年、デビュー作となるミニ・アルバム『Bird Under Water』をセルフ・リリース。スーフィー(イスラム神秘主義者)が神との合一を目指して行う集会で歌われる宗教賛歌「カッワーリー」とコンテンポラリーなジャズやミニマル・ミュージックを融合しつつ、どこかペンギン・カフェ・オーケストラを思わせるタッチのこの作品に続いて、2018年にアルバム『Siren Islands』を発表した。前作がアコースティック楽器中心だったのに対し、『Siren Islands』ではシンセサイザーを大幅に導入。エレクトロニクスが紡ぐミニマルなアンビエント・サウンドを展開した。