文=三村 大介

《東京カテドラル聖マリア大聖堂》柿台, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

建築系必読書

 どの分野にも「必読書」というものがあるかと思う。もちろん建築の世界においても例外ではなく、学生時代には必ず読んでおくべきとされる本がそれこそ山のようにある。

例えば・・・
『装飾と犯罪』(アドルフ・ロース)
『建築をめざして』(ル・コルビュジエ)
『空間・時間・建築』(ジークフリート・ギーディオン)
『第一機械時代の理論とデザイン』レイナー・バンハム
『都市のイメージ』(ケヴィン・リンチ)
『建築家なしの建築』(バーナード・ルドルフスキー)
『建築の多様性と対立性』(ロバート・ヴェンチューリ)
『パタン・ランゲージ』(クリストファー・アレグザンダー)
『建築の解体』(磯崎新)
『ポストモダニズムの建築言語』(チャールズ・ジェンクス)
『錯乱のニューヨーク』(レム・コールハース)
などなど・・・

左から『装飾と犯罪』、『パタン・ランゲージ』 、『錯乱のニューヨーク』

 これらはあくまでもほんの一例で、挙げはじめるとキリが無いし、選者の関心、趣味嗜好によってこれまた紹介の幅が無限に広がってしまう。そんな中でも、小説家・谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』が必ずと言っていいほどお勧め本に挙げられることは、みなさんが意外に思うところではなかろうか。実はこの本、英語にも翻訳されていることもあり、海外の建築学科では必須の教材になっているところもあるようだ。

『陰翳礼讃』

 ともあれ、これら何十冊、何百冊とある建築系の必読書。それらは、あまりにも難解で読みにくく、大学の課題でなければ読破できなかったであろうものから(ごめんなさい!実際は途中で挫折してしまった本も多々あります・・・)、今読み直してもその着眼点や時代の先見性などに改めて感服、刺激を受けるものまでいろいろではあるのだが、これらの中でもおそらく、古今東西、時代を超えて一番読まれている本は、ウィトルウィウスの『De architectura』ではなかろうか。

『Da architectura』マーク・ペレグリーニ, CC BY-SA 2.5, via Wikimedia Commons

 

建築の3大条件

 『De architectura』は古代ローマ時代に建築をはじめ、土木、機械などの製作を指導する技術者として活躍したウィトルウィウスによって、紀元前33年から22年の間に著された、建築理論に関する最古の本と言われている。内容はレンガ、石などの建築材料、神殿や劇場、浴場といった建築に関することはもちろん、機械や天文学 空気力学といった科学全般のことまで幅広く書かれており、全10巻で編成されていることから『建築十書』と呼ばれることも多い。

 この『建築十書』は特に、ルネサンス期の建築家たちや芸術家達にも大きな影響を与えており、かのレオナルド・ダヴィンチが描いた『ウィトルウィウス的人体図』は、彼の数あるドローイングの中で、有名なものの1つであり、その名が示すように、ウィトルウィウスが『建築十書』内で書いた、建築の比例と人体の理想的なプロポーションについての概念に基づいて描かれている。

『ウィトルウィウス的人体図』

 さて、こんな古典中の古典である『建築十書』。実はその第1巻において、建築に携わるものであれば誰もが知っている、いや知っていなければならない大切な内容が記述されている。それが

『firmitas(強さ)・utilitas(用)・venustas(美)』

 という、いわゆる建築の3大条件である。この『強・用・美』という言葉は、みなさんもどこかで聞いたことがあるのではないだろうか。

 ウィトルウィウスは、『firmitas(強さ)』は基礎が堅固で、十分な量の材料が注意深く選ばれている場合に保たれ、『utilitas(用)』は使用上支障がなく、具合良く配置されている場合に保たれ、『venustas(美)』は外観が優雅であり、正しい比例を持っている場合に保たれるとした。これらはすなわち、『firmitas(強さ)』=構造、『utilitas(用)』=機能・計画、『venustas(美)』=造形・意匠ということに他ならない。

 また同時に彼は「『firmitas(強さ)』がなければ『utilitas(用)』は果たせない、『firmitas(強さ)』と『utilitas(用)』がなければ 『venustas(美)』は形だけのもの、そして、『venustas(美)』がなければ建築とは言えない」とも述べており、まさしく『強・用・美』が三位一体となって初めて建築として成立するのだということを論じている。

 これは私たちにとってはもはや常識と言ってよい提言であり、今さら改めて語るまでもないことなのかもしれない。しかし、現実はどうだろうか。今我々の周りにある建築は、『用』のみが追求され『美』が蔑ろになっていないだろうか?『強』を重要視するあまり、『用』や『美』が損なわれていないだろうか?

「いやいや、そうは言うけど、『美』を追求し過ぎて『強』が脆弱だと意味ないじゃん」とか、「そもそも『強』や『用』あっての建築でしょ、『美』は多少我慢してもらわないと」と思われる方もおられるかもしれない。確かにそれもおっしゃる通り。残念ながら、私はこれらの意見に対して完全な反論をすることができない。

 つまりは、『強・用・美』を全てバランス良く兼ね揃えること。言うには優しいが、いざ実現しようと思うとかなり難しいこの命題。これをいかにして解くかということが、我々建築家のある意味、職能であり、納得いく解答が出て初めて、ウィトルウィウスが認める建築、すなわち「作品」へと昇華するということだ。

 今回紹介する建築は、そんな数多ある「作品」の中でも、『強・用・美』の三位一体化を実に鮮やかに、ものの見事に具現化しているまさに「傑作」である。日本の近代主義建築の巨匠・丹下健三の設計による《東京カテドラル聖マリア大聖堂》。教会だけに三位一体とはこれいかに。