現役時は2度の五輪出場、世界選手権3位という成績を残し、2014年に現役を引退してからも多方面に活躍しているプロフィギュアスケーター・鈴木明子さん。今回は振り付けについて、選手時代の話から自身が振り付ける時に気をつけていることなど、興味深いお話を伺いました(全3回)。

文=松原孝臣 写真=積紫乃

覚えて自分のものになる過程が好き

 2010年バンクーバー、2014年ソチと2度、オリンピックに出場、ともに8位で2大会連続入賞を果たし、2011-2012シーズンの世界選手権では銅メダルを獲得。

 これら、数々の成績もさることながら、たしかなスケーティングとエッジワークを土台とし、培った表現の力で鈴木明子はフィギュアスケート界において輝きを放ってきた。

 2014年、競技生活から退くと、プロフィギュアスケーターとして確固たる軸を持ちつつ、多方面で活動を続ける。

 その1つに、振付師がある。2015-2016シーズンに初めて振り付けを担い、以来、さまざまなスケーターに振り付けを行なってきた。

 6歳でスケートを始めた鈴木が振り付けを意識したのは、かなり早い時期だった。

「思い返せば、初めて振り付けてもらった小学校2年生のときから、覚えて自分のものになっていく過程がすごく好きでした。毎回曲を変えるときに楽しみで楽しみで、仕方がなかった自分がいました。中学生になった頃には、技術を教えるコーチになりたいという思いを抱いたことはありませんでしたが、振付師には憧れというか振り付けっていいなと思っていました」

 やがて、新たに振付師と出会う中で、その存在をより強く意識するようになった。はじめは宮本賢二だった。2008-2009シーズンに初めて振り付けてもらった。

「海外には有名な方がいる中で、日本で専門としてやっている方は少なかったのですが、その中で切り拓いたというか振付師として活動されている姿に、かっこいいなと思いました」

 

最初に10秒で1日が終了

 その後、海外の振付師に出会い、刺激を受けた。

「さまざまな方に振り付けていただいたとき、自分の可能性を見出してくれたり、表現に新たに命を吹き込んでもらえたり、たくさんインスピレーションをいただきました。素敵な振付師の先生方と出会ってきたから、自分も伝えられる方になれたらいいなと描き出しました。二十代半ばくらいの頃ですね」

 出会った振付師は皆、それぞれに異なっていた。

 鈴木が初めて海外で振り付けてもらったのは世界のトップスケーターをはじめ多くの振り付けを担ってきたシェイ=リーン・ボーン。2009-2010シーズンのフリー『ウエストサイドストーリー』だ。

「『ウエストサイドストーリー』には名曲がたくさんある中、シェイリーンは私の個性に合いそうな曲を氷の上でかけて、一緒に動きながら決めて行きました」

 作り方にもインパクトがあった。

「冒頭からこだわりが強かったです。初めての海外での振り付けだったので進め方とかあまり分かっていなかったのですが、印象的だったのが最初のスタートの10秒で1日が終わったことです。『帰国するまでに最後までできるのかな』って思いました。本も出だしだったり、映画もスタートの場面だったり、最初って何でも大切だと思いますが、特にフィギュアスケートって(フリーの場合)4分間しかないですし、最初が大事なんだな、とこだわりをすごく感じました」

 

私のスケートに命を吹き込んでくれた人

 翌シーズンに振り付けを依頼したパスカーレ・カメレンゴは対照的だった。

「パスカーレは最初にアウトラインを作るんですね。どこにどのジャンプ、スピンを入れるのかを含め、ばっと作ってそこから細かく詰めていくやり方です。アウトラインができるとパスカーレの中でアイデアがまとまっていく、アイデアが降りてくるような感覚がすごくありました」

 象徴的なのは鈴木の代表作の1つ、2012-2013シーズンのフリー『O』の振り付けだ。

2012年11月24日、NHK杯でFS『O』を演じる鈴木明子 写真=アフロ

「最初のアイデアにはまったくなかった鳥が出てきて、『そこに鳴き声をプラスして、衣装も鳥っぽくして』と」

 引退するまで4シーズンにわたりフリーを振り付けてもらうことになったカメレンゴは色濃く焼き付けられている。

「私はパスカーレのことをよく『私のスケートに命を吹き込んでくれた人』と表現しているんですけど、表現することがもっと楽しいと思わせてくれた人です」

 進め方は異なっていても、共通していたことがあった。

「私が振り付けてもらった人たちはすごく真面目で、スケートが好きであることです。みんなハートウォーミングで人間的な魅力のある人たちでした。シェイリーンのところに行ったときは、送迎をはじめいろいろなことをアテンドしてくれて、パスカーレも自分ができないときは、自分の生徒に『明子をホテルに送ってあげて』と、ほんとうに細やかにサポートしてくれました。すごくあたたかい人たちだった。そこが共通しています」

 プログラムを振り付けてもらうことで新たな自分へと導いてくれる彼らはフィギュアスケートを愛し、そしてスケーターを大切に思う人たちだった。そうした人々が支えていることを実感し、フィギュアスケートに欠かせない存在であることもあらためて知った鈴木が、初めて振り付けることになったのは2015-2016シーズンだった。(続く)

鈴木明子(すずきあきこ)
プロフィギュアスケーター。また、振付師、メディア出演や講演など幅広く活動を続ける。2010年バンクーバー、2014年ソチとオリンピックに2大会連続出場し、ともに8位入賞を果たす。2012年世界選手権では銅メダルを獲得。2013年全日本選手権では日本女子史上最年長となる28歳で優勝を飾った