文・写真=藤原美智子

10数年前にハワイ取材でスカイダイビングを体験。で、いっしょに飛んでくれたインストラクターさんと地上に降りたった瞬間をパチリ

ユーモアのある人生、ない人生

 私は数字的に十分に立派な大人であるが(笑)、大人になって良かったなぁ、と思うことがいくつかある。その一つは、歳を重ねるにつれユーモアの感覚が身についてきたこと。

 思い返してみると、20代から30代半ばまでは仕事にしろ何にしろ余裕はなく、自分のことでいっぱいいっぱいだった。だから、もちろんユーモアについて考えることもなかったし、多分、他人がユーモアを言っていたとしても気がついていなかったかもしれない。

 

ユーモアの存在を知った瞬間

 そんな私が「ん?・・・これか!」と気がついたのは34歳の時。事務所を設立することになり、そのための実務をいろいろとしていく過程で、初めて「ユーモアって自分を助けるんだ・・・」ということを知った。

 事務所用として気に入る物件が見つからなかったので、マンションを購入してリフォームしたという話は前回の連載でも書いたが、そのリフォーム案を業者に見せたところ、想像以上の高い見積金額が出てきた。予算的に余裕はなかったので、削れるところは削るしかない。

 そこで「じゃー、ペンキ塗りは全部自分でやるし、この部分は直さなくてもいいので、その分、リフォーム代を減らしてくださいよ〜」と何故かその時、「どうしよう・・・」と困り果てている自分とは違う、まるで男子の先輩後輩の間柄で交わすような明るく甘える口調で頼んでいる自分がいた。

 私は子供の頃から人に甘えるのが苦手なタイプだったし、そんな大人の‘こなれ感’のある言い方をしたのも初めてだったので、そんな自分がどこから表れたのか耳を疑ったほどだった。

 そんなふうに困惑している私に気づかない業者は、淡々と「では、ここはこうして、あそこはこのようにしましょう。そうすると、これくらい値段を下げられますよ」と言うではないか(!)。そして何とか予算内に収めることができた。

 また電話工事が遅れに遅れ、開通は希望日には間に合わないかもしれないと作業員に言われた時も閃いた。「え〜っ! この日から営業を始めるというお知らせを郵送してしまったけど、どうしよう〜。どうしたら良いと思いますか?」と明るく軽く、そして相手を巻き込むような感じで言ってみた。そうしたら「何とか間に合わせましょう!」ということになった。この時に交渉の、いや、人生のコツのようなものがわかったのだ。

ちょっと雲が多いハワイの空を優雅に舞う筆者

ユーモアと人生のコツはリンクする

 悲痛な感じで訴える。あるいは相手を責めるような感じで「何とかして!」と言ったとする。すると相手は深刻に捉えたり負担に感じたりして、気安く応えられないのではないだろうか。あるいは「上から目線」で言われたら反発をしたくなることだろう。

 それよりも自分の困っている状況を素直な口調で明るく軽やかに言うと、人は動いてくれる確率が高くなる。そのことに気がついた。リフォーム代の交渉がスムーズにいったのは、無意識にもこのように私が振る舞っていたからに違いない。

 そして「これがユーモアということなのか・・・」と理屈ではなく、感覚で理解することができた。言葉で説明すると、こんな感じだろうか。

 たとえば、大変な状況な時というのは感情がドップリとはまってしまい、自分を客観的に観ることは難しくなることだろう。それでも自分を俯瞰するように意識してみる。すると大変さとピッタリくっついていた気持ちがそこから離れて、物事を広く捉えられる高さに浮かび上がる。するとユーモアが口から自然に出てくる・・・。

 想像してみて欲しい。飛行機だとあまりにも高度が高いので現実味は湧かないが、ヘリコプターで飛んでいる時やスカイダイビングで空から降りてくる時などはリアルに現実世界を俯瞰で捉えることができる(だからこそ恐怖感も湧いてくるのだが)。またはナスカの地上絵は地上にいると絵の存在に気づくのは難しいが、上空から見下ろすとそれが絵であることは容易にわかる。

 つまり俯瞰で物事を捉えられると全体像を把握できる。すると物事を客観視できるので、余裕が生まれる。その余裕こそがユーモアを閃かせる源となる。

 このようにユーモアというのは「言うぞ! 言うぞ!」と構えて出てくるものではなく、客観視できるようになって初めて口から自然に出てくるということである。

 その後、少しずつユーモアの体験を重ねていくうちに、もう一つ気がついたことがある。「ユーモアは自分を助けてくれる」と前述したが、それだけでなく周りの人をも助ける効果があるということだ。ユーモアのセンスが身についている人がいると場は明るくなるし、物事がスムーズに進むということを幾度も目の当たりにした。そして、これはその場を牽引する立場の大人が使ってこそ大きな効果があるということもある。

南米取材は15年くらい前。ペルー・ナスカの地上絵をセスナ機から

27歳までの人に気をつけて欲しいこと

 このような効果のあるユーモアだが、27歳ぐらいまでの読者にクギを刺しておきたいことがある。それは、その年齢くらいまでは「ユーモアを言うぞ!」と思わない方が身のためだということだ。無理をして言ったところで、それを聞いた上司や年上の人はあなたを軽いヤツだとか、「そんなことを言う前に、ちゃんと仕事をしろ!」と叱られる率が高くなるだけだと思うから。それに人によってはユーモアで言ったつもりが、ブラックジョークになってしまうことも多いようだから。

 ユーモアというのは無理をして言うものではなく、あくまでも内側から自然発生してくるもの。そのためには人間としての熟練度を待った方がいいと思うのだ。

 それを見極める一つの目安は、自分の失敗を自然に笑い飛ばすように他人に話せるかどうか。これは自分に余裕がなければできないこと。格好をつけたがる人にユーモアのセンスが乏しい人が多いのは、そうした理由があるからなのかもしれない。

 もちろん、これは自分に対してのことであり、仕事の失敗は笑い飛ばすのではなく、その責任を果たさなければいけないことなのだが。

 あらためて振り返ると、34歳の時に「ユーモア」というものに気づいてから、私はどれだけそれに助けられてきたことだろう。そして、これは求めてできるものではないが、それでも俯瞰して自分を見られるように意識しているうちに自然に身についてきたように思う。

 これを身につけている人生、身につけていない人生。それは大きく違っていたと思う。今、つくづくとそのように思う。ユーモアは自分を助けてくれるし、周りの人をも助けることができる。だからこそ、もっともっと呼吸するように自然にユーモアが口から出てくるような大人になりたいと思っている。

13年前に亡くなった愛犬のアデラ。この笑顔に幾度ともなく和まされた