大胆な色彩を特徴とする作品を次々と発表し、20世紀を代表する芸術家のひとり、アンリ・マティス。線の単純化、色彩の純化を追求し「切り絵」に到達し、作品を数多く残している。その中でも「ジャズ」シリーズの1枚に注目、彼の表現の一端を読み解いていく。

文=鈴木文彦

アンリ・マティス『ジャズ』より「イカロス」
製作年 1947年
提供:Super Stock/アフロ

我々はいったい、何を見ているのか

 紙に線をひいて、ひいた線の内側に色を塗る。

 絵を描け、と言われて紙と色鉛筆をあたえられたら、90%くらいの確率で、人は、おそらく、そういうふうにお絵かきするのではないでしょうか。そのうちの半分くらいの人は、線を黒い鉛筆でひくのでは。

 ヨーロッパの絵画の歴史でも、絵はながらく、そういうふうに描かれるものでした。しかしこの、線と彩色とのあいだには、対立がありました。ルネッサンス以降、20世紀ごろまで、西洋絵画は、この問題と、結構真剣に戦ってきた歴史があります。大雑把に言うと、線は理性、色は感性、みたいな対立です。

 何の話だ、とおもう向きもあるかもしれないので、線と彩色、理性と感性の話、例を挙げてみます。

 海の色は青でしょうか。では波の色、川の色、手ですくった水の色は何色でしょう。雪は白でしょうか。白だったとして、それはどんな白でしょう。青みがかっていたり、茶色っぽかったりはしないでしょうか。樹木の葉が落とす影と幹の落とす影の色は同じでしょうか。昼間と夕方で、色は違うでしょうか。それらが同じだった場合、どこからどこまでが、同じ色でしょうか。

 うーん、わからん、と、じゃあ、線をひかない、描かれたものの輪郭を曖昧にする、という描き方をしても、理屈を学び、緻密に線をひいて、色の境界を明確にしても、この問題はこれだ、という答えに至りません。むしろ、深みにはまってしまうことでしょう。さらに、人間の認識のいい加減さが、問題をややこしくします。影が赤でも、黒でも、影だと感じてしまうこともあるのです。

 19世紀末から20世紀にかけて、科学が急速に発展し、光の性質や人間の目や感覚の仕組みが考えられたり、そしてなにより写真がうまれると、悩みは解決するどころか深まるばかりでした。人間はもう、自分の目を信用できない。私はいったい何を見ているのか。そして、絵画に描くべきものとは何なのか。映像表現は、すっかり、道に迷ってしまいました。

 アンリ・マティスは、そんな迷う人々に、ひとつの答えを示した画家です。有名かつわかりやすいのは「緑の筋のあるマティス夫人」という1905年の絵画でしょう。

左:アンリ・マティス『緑の筋のあるマティス夫人』 製作年 1905年 種類 画布、油彩 寸法 40.5cm × 32.5cm 所蔵 コペンハーゲン国立美術館
右:ギュスターブ・クールベ『ゼリ・クールベ』製作年 1847年 種類 画布、油彩 寸法 56cm × 46cm 所蔵 サンパウロ美術館 『ゼリ・クールベ』は、画家クールベの妹。クールベは当時、色彩のリアリティを追求し革新的な色彩表現をなした画家。

 この絵画は、線と色の区別が曖昧だし、そもそも、タイトルにも出てきているように、婦人の顔のまんなかには、緑色の線みたいなものがあります。

 あれ、人の顔の中心あたりって緑色になることあったっけ? ないような気がするけれど、あってもいいような気もするなぁ……

 アウフヘーベンともいうのでしょうか。線があるのに、ない。ないとおもっていたところにある。線か色か、という二項対立にはまり込んでいた人にほど、マティスの表現は、ショッキングで革新的でした。固定概念を超克したイノベーティブなアイデア。マティスは、ビジネス書にもそんな風に紹介されて登場することがあるほどです。

 そんなわけで、マティスは、研究も言及もされることが多い画家なので、マティスの専門家でもない筆者は、ここのところには、これ以上足を突っ込みたくないのですが、彼の計算されていながらも荒々しい色彩表現は、批判的な意味も含めて、フォーヴ(野獣っぽい)、マティス一派は野獣派(フォーヴィスト)と呼ばれました。

 

落ちないイカロス

 しかし、マティスの作品は、野獣と言うには平和で心地よく、本人も自然のなかでの平穏な暮らしを愛したようです。

 1869年12月31日生まれ、1954年11月3日没。享年84歳。比較的長生きなこの画家は、およそ二十歳の頃からスタートした芸術家としての活動を、第一次世界大戦時に若干、弱めるものの、晩年まで、精力的に続けました。

 1941年に十二指腸ガンにかかり、その手術は成功したものの、後遺症で、3カ月間の寝たきり状態になると、紙とハサミで新しいスタイルを模索しはじめ、体力が落ち、筆を扱うことが困難になっても、ハサミを操って、カットアウトと呼ばれる切り絵作品をつくったことでも知られています。

 今回、掲載している『イカロス』もそのカットアウト作品のひとつで、オリジナル版はガッシュで塗られた紙をハサミで切ることでつくられ、『Jazz』という作品集に、その忠実なプリント版が収められました。

 そして、Jazzには、作品集バージョンと、マティスによる文字が書かれたバージョンとの2バージョンがあります。

 その文字が書かれたほうには、にょろにょろとしたマティスの自筆で、この作品の横に、こんなことが書かれています。

「学業を終えた若者たちには、飛行機に乗っての大旅行をさせてやるべきではないだろうか。」

 これは、もっと長い文章の一部で、マティスは1937年に、飛行機でパリからロンドンへの旅をしていて、そのとき、雲海の上に広がる空に感動し、雲を隔てた地上の混沌と雲海の上の世界を対比させ、この経験を若者にさせてやるべきだ、といっているのです。

 上の文章の直前の文章は以下のようなものです。

「たやすく突き抜けられるこの壁(雲海)の向こうに、太陽の輝きが、限りない空間の知覚が存在する。この空間では、こんなにも自由なひとときを感じることができる。」

 作品のタイトル、イカロスは、もちろん、ギリシャ神話にでてくるイカロスですが、この作品は、19世紀フランスの詩人、ボードレールの「あるイカロスの嘆き」という詩に影響をうけているといいます。

 ボードレールのその詩は、ギリシャ神話のイクシオンが、ゼウスの妻、ヘラに恋し、ゼウスが雲でヘラの形をつくると、それを抱きしめた、という話をベースに、理想を抱きしめて腕が折れ、恒星の強烈な輝きによって目が悪くなり、もはや太陽の輝きしか感じられない語り手が、謎の熱の光線によって翼も壊され、美への愛に焼かれてしまうけれど、自分はイカロスのように墓穴がイカリア海と呼ばれた、というような伝説を残す名誉もえられないない、という内容です。

 なんとも救いのないボードレールの飛翔。マティスのこの切り絵の黒い人影のようなものは、美への愛に焼かれた人間でしょうか。胸にある赤い丸は愛の炎でしょうか。周囲に輝くのはその視力を奪う恒星の輝きでしょうか。そして、マティスのイカロスもまた、線だ色だと争う地上に落ちたのでしょうか。

 皆さま、当機はまもなく着陸態勢に入ります。

 21歳の頃に絵を描き始めると「天国のようなものを発見した」と語っているマティス。地上を知らなければ天国への憧憬は芽生えず、飛翔する手段をもたなければ天国と地上との間には、絶望的な深淵が広がるだけ。マティスのころには飛行機があり、芸術は解放され、あるいは解体され、再び構築されてゆきます。

 偉大な伝統の連鎖は失われ、あたらしいそれは、いまだに鎖の輪の1つ目があるかないか、といっていたボードレールの時代は過ぎ去り、アートは、19世紀までとは違う連鎖をつくりはじめています。マティスはちょうど、その新しい連鎖の初期に身をおいた芸術家です。