文=松原孝臣 写真=積紫乃

羽生結弦選手をはじめ、フィギュアスケート選手の衣装のデザイン、製作を手掛けるデザイナー・伊藤聡美さん。今回は、2020-2021シーズンよりアイスダンスに挑戦している髙橋大輔選手と、パートナーの村元哉中選手の衣装の話を中心に、もともと好きだったというアイスダンスや、選手の要望に応えるためのこだわりなど、貴重な製作秘話を全3回でお届けします。

「アイスダンス」をめぐる大きな変化

 どこかうれしそうな笑顔で語る。 

「地上波で放送されることなんてめったになかったですよね」

 伊藤聡美は言う。衣装デザイナーとして、羽生結弦を筆頭に、国際舞台で活躍する選手をはじめ、数多くのスケーターのデザイン、製作を手掛ける。まさに日本のフィギュアスケート界を担う存在の1人だ。

 伊藤の言葉の通り、アイスダンスを巡る状況は、大きな変化を遂げた。大会での演技が中継されることなど、なかった、と言ってよいほどであったし、アイスダンスに出場するスケーターがクローズアップされる機会もまた、ごくごく限られていた。

 しかし今シーズンは、NHK杯や全日本選手権が行なわれるたびに、アイスダンスも注目を集めた。

 変化を生み出したのは、村元哉中・髙橋大輔の存在にほかならない。平昌オリンピックに出場するなどアイスダンスの第一線で活躍してきた村元。バンクーバーオリンピックで日本男子初のメダルとなる銅メダル、世界選手権でもやはり日本男子初の優勝を遂げた髙橋。両者による新たなカップルの誕生は、それだけのインパクトがあった。

 そして伊藤が変化を喜ぶのは、アイスダンスそのものへの思いがある。「フィギュアスケートの衣装のデザイン・製作に携わる前から、アイスダンスが好き」だったと言う。

 

アイスダンスが好きになったきっかけ

 特に思い入れを持って観ていたのは、イザベル・デロベル&オリビエ・ シェーンフェルダー(フランス)。初めてアイスダンスを見た2007年の世界選手権(東京)で目に留まった。

「2人の演技がすごく面白くて、イザベルがかつらをかぶって演技していて、あ、アイスダンスではいいんだ、と思ったのを覚えています。とにかく2人の演技が好きになりました」

 印象に残ったところはほかにもあった。

「シングルと違って衣装の丈が長かったり、小物や帽子を使用していたり。衣装の自由度が高く面白いなと思いました」

 のちのちの職につながる萌芽はあった。

 アイスダンスへの入り口となった2人のプログラムの中でも、いちばん好きなのは、2007-2008シーズンの『ピアノ・レッスン』。1993年に公開された映画の曲を用いたプログラムだ。手話が大切なコミュニケーションの1つとなる映画をほうふつさせるように、振り付けでも、冒頭の場面から手話が織り込まれる。

2008年世界選手権、『ピアノ・レッスン』を演じるイザベル・デロベル&オリヴィエ・シェーンフェルダー。見事優勝。写真=アフロスポーツ

「『ピアノ・レッスン』は女性の主人公が声が出ないので手話が用いられますが、振り付けでも手話がうまく組み込まれていたり、衣装もプログラムと2人に合っていて、映画を観ているかのようで、『すごい!』と、ほんとうに感動しました」

 観るうちに、気づいたのはアイスダンスならではの魅力だった。

「シングルだと、どうしても1人なので、表現しきれない部分があると思います。でもアイスダンスは2人なので、物語や世界観をより表現できることがあります。極端な話、ラブストーリーの場合、シングルだと相手がいないけれどアイスダンスは2人でストーリーを演じられる。それぞれに役割を演じられる。そこに魅力があると思います」

 

村元哉中&髙橋大輔の衣装を手掛けることに

 その後、衣装のデザインと製作をスタートさせ、キャリアを築いてきた伊藤に、1つの連絡があった。それは村元と髙橋の、アイスダンス用の衣装のデザイン・製作の依頼だった。

「2020年で一番びっくりした出来事です」

 もともと村元とはつながりがあった。村元の姉の小月がタイのヘッドコーチを務めていた頃、里帰りをしていた伊藤は当地で会い、小月の教え子の衣装を製作した。

 その後、哉中のために、アイスショー「アイスエクスプロージョン」のプログラムのための衣装を2着製作していた。そうした縁があっても、2人のための依頼は驚きだったという。

 依頼を受けたのは、フリーダンスのための衣装だった。ただ、伊藤は、当初は不安があったという。アイスダンスが好きで、今まで観ていたとはいえ、実際にアイスダンスの衣装を手がけるのは初めてのこと。

 いや、それ以上に不安に思ったことがあった。

「村元さんはアイスショーのために白と黒、2着作ったので、なんとなく『こういうのが似合うだろう』とイメージはできていました。考えたのは髙橋さんの方です。どうしようと思いました。髙橋さんのシングルのときの衣装がほんとうに好きでしたし、カッティングだったり素材の組み合わせにこだわっていて、そのイメージは強いじゃないですか。でも私の衣装は、どちらかというと形自体はシンプルで、華美な装飾で見せる作りです。髙橋さんの今までの衣装と、まったくテイストが違う。本人が受け入れてくれるのかという不安と、ファンの方がどう思うのか。そこはすごく考えました」

 その末に、伊藤は依頼を承諾し、スタートする。

 その過程で、さまざまな気づきがあった。(続く)

 

伊藤聡美(いとう・さとみ)エスモード東京校からノッティンガム芸術大へ留学。帰国後、衣装会社に入社し2015年に独立。国内外の数多くのフィギュアスケーターの衣装デザイン、製作を担う。21年3月、『FIGURE SKATING ART COSTUMES POSTCARD BOOK』を刊行。