文=藤田令伊 写真提供=モエレ沼公園

公園そのものがアート

 前回、「すごいアート」は美術館やギャラリーにあるとは限らないと書いたが、今回もそういうところをピックアップしたい。

 札幌市街の北東に広大な公園がある。モエレ沼公園という。面積は約189ヘクタール。といっても見当がつかないかもしれないが、甲子園球場が約4ヘクタールだと聞けば、どれくらい広いか、ある程度想像することはできるだろう。

 公園にはさまざまなものがある。で、そのうちの何かが「すごいアート」かといえばそういう話ではない。公園そのものが「すごいアート」なのである。どうして公園が「すごいアート」なのか。じつは、ここは一人のアーティストの信念といっても過言ではない想いから生まれているからである。

イサム・ノグチのプレイグラウンド計画

 そのアーティストとは、イサム・ノグチ。世界に知られる彫刻家である。モエレ沼公園は、イサム・ノグチにとってライフワークの集大成というべき存在なのだ。ここのことは、アート界ではよく知られているが、一般にはまだまだそうとは限らないらしいので今回ご紹介する次第である。

 1933年、イサム・ノグチは「未来の彫刻は地球に刻み込まれる」という着想を得る。そして、人間が地球そのものと交信できる場となる「プレイグラウンド計画」を立案する。しかし、そのスケールが途方もなく大きいため、実現に移すことはなかなかできなかった。以来、イサム・ノグチは50年以上もアイデアを温め続けることになる。

 1973年、札幌市がひとつの事業を計画する。市街地のはずれにあるモエレ沼を不燃ゴミで埋め立てて公園にしようという計画だった。その公園造成が始まっていると耳にしたイサム・ノグチは1988年に現地を訪れ、こここそが長年思い描いてきたプレイグラウンド計画を実現する場所だと天啓を得る。「人間が傷つけた土地をアートで再生する」としたイサム・ノグチの考えに札幌市も共鳴、ついに「公園全体がひとつの彫刻作品」というモエレ沼公園が誕生することになったのだった。

モエレ山

 モエレ沼公園にはモエレ山やプレイマウンテン、モエレビーチといった、さまざまな施設というかオブジェというかがあるだけで、とくに順路が指定されているわけでもなければ、遊び方が示されているわけでもない。そのため、初めて訪れた者はどう過ごせばよいかがわからず戸惑うことが少なくないという。

 ともあれ、モエレ山に登ってみると、人工の山ではあるが、登り始めると意外にきつい。懸命に足を動かすといささか汗をかき、フウフウいうことになる。なおも登り続けていると、ふいに、いま自分は何も考えていないことに気がつく。日頃の雑事を忘れ、頭が空っぽになって無心でいられているのである。

モエレビーチ

 あるいは、家族連れが屈託なく遊んでいる様子を眺めるのも、ずいぶん久しぶりなことを思い出す。幼子がパパやママのところまで必死に歩いていこうとしつつも、転んでなかなかたどり着けない光景が微笑ましい。「心が和む」という感覚が湧き上がってくる。

遊び方は自分しだい

 思えば、高度情報社会といわれ、ICTリテラシーがどこまでも求められる現代の私たち。効率化デジタル化がエスカレートするにつけて、仕事のしかたはどんどん味気ないものになっている。世知辛い世になったものである。こういう生き方はどこかおかしいんじゃないかと思いつつも、個人の力ではどうすることもできず、流されるように生きている日々。きっと、大多数の都市生活者は多かれ少なかれそんな暮らしに埋没している、させられていることだろう。

ガラスのピラミッド

 コロナ禍が始まって1年が経った。東京都は記録が残っているなかで初めて人口の流出が流入を上回った。テレワークなどをきっかけに多くの人が自分たちの暮らしぶりを改めて見直し、郊外や地方など豊かな環境の土地へと転居しているのだ。

 そういう動きを耳にすると、やはり人間は人間なのだと思う。PCでもなければ、エンジニアリングマシンでもない。心を持っている存在であり、生命を宿した生き物なのだ。デジタルオンリーでは立ち行かないことを私たちはつい忘れがちである。

  加えて私たちは、何をどう扱うかを教えるマニュアル情報や何が価値あるのかを伝えるランキング情報、どれに注目すべきかというラベリング情報といったものに取り巻かれ、知らず知らずのうちに価値観や態度を刷り込まれてしまっている。にもかかわらず、そのことに気づいていないとすれば、私たちは主体性を喪失し、何者かに誘導されているだけかもしれない。

 モエレ沼公園は、そんな私たちを人間に還してくれる場所である。先ほど触れたように、モエレ沼公園には特定の順路や遊び方といったものはない。どこでどのように過ごすかは一人ひとりに委ねられている。もし、そのことに戸惑いを覚えるとすれば、それだけマニュアル人間になっていた証拠だろう。

プレイマウンテン

 何もないところにこそ、クリエイティビティを発揮できる余地がある。モエレ沼公園は過剰なサービスをせず、私たちを放置することによって、私たちのクリエイティビティを蘇らせてくれる。どうすればいいのかという「戸惑い」が、自由に過ごしていい「心地よさ」に変わるとき、私たちはようやく人間を取り戻す。そして、それこそがイサム・ノグチの願いにほかならない。

 ぜひ、一度モエレ沼公園を訪れてほしい。ひとりの彫刻家の想いに身体を通じて触れてもらいたい。「人間が傷つけた土地をアートで再生する」ことを願ったイサム・ノグチの想いは、北の大地で見事に結実している。