イタリア・フィレンツェを代表する名門テーラーは、コロナ禍をどう生き抜いているのか?

文=山下英介 撮影=Rony Cadavid

世界のトップテーラーと名高い、アントニオ・リヴェラーノさん。1937年に生まれ、6歳の頃から修行をはじめた筋金入りのサルト(仕立て屋)である

コロナ禍とテーラー

 海外渡航が制限された、コロナ禍の私たち。ファッション業界のあらゆる分野においてその影響は甚大なものになっているが、なかでも大きな打撃を受けているのは「トランクショー」という手段を封じられた、テーラー業界ではないだろうか? 

 もともと「トランクショー」とはロンドンのサヴィル・ロウで20世紀初頭に始まった商習慣で、文字通りトランクに大量の生地を詰め込んで、アメリカの富裕層のもとを訪ねる受注形式のこと。グローバル化とSNSが浸透した近年では、中国大陸、アラブ、東南アジアに至るまで、そのマーケットは驚くほど広がっており、世界で認められたテーラーやシューメーカーは、文字通り世界中を飛びまわっていた。

 僕がなじみにしているフィレンツェのテーラー「リヴェラーノ&リヴェラーノ」もそのひとつ。1937年生まれの現役テーラー、アントニオ・リヴェラーノさんが仕立てるスーツは、世界屈指の完成度を誇る名品。赤峰幸生さんや鴨志田康人さん、そして僕(笑)といったファッション業界人に愛用されている影響もあって、日本円で100万円近くする値段にも関わらず、ここ数年は世界中のファッション業界人や富裕層の憧れの的となっていたのだが、そんな機運に水を差すようなタイミングで襲来したコロナ禍。

筆者は今までに「リヴェラーノ&リヴェラーノ」で4着ほどスーツを仕立ててきたが、動きやすさもさることながら、時代を超越したジャケットのシルエットに、袖を通すたびに惚れ惚れしてしまう。写真は2015年頃に仕立てたコットンスーツだが、あのトム・フォード氏に褒められたほどの出来栄えだ

 この地で年に2回開催されるファッション展示会「ピッティ・ウォモ」が開催されていないこともあり、さぞかし苦労しているのではないか? 

 そしてこの職人都市フィレンツェで暮らす人々や、取材を通じて知り合った友人たちは、いまどんな生活を送っているのだろう? 

 考え出したらいてもたってもいられなくなって、「リヴェラーノ&リヴェラーノ」のマネージャーを務める日本人、大崎貴弘さんに連絡を取ってみた。そして今回は、そのやり取りをみなさんに公開させていただこうと思う。

 

フィレンツェの今

フィレンツェのテーラー、「リヴェラーノ&リヴェラーノ」でショップマネージャーを務める大崎貴弘さん。イタリアへの語学留学をきっかけに就職、15年ほどにわたって番頭役を務める。もはやアントニオさんとは家族同様の付き合いだ

──大崎さん、お久しぶり。お元気ですか?

大崎 なんとかやってます(笑)。実は去年の11月頃、トランクショーで日本に行ってたんですよ。

──え、そうだったんですか?

大崎 去年私たちは、「行けるところがあったら、完璧な対策をとって、自己隔離をしてでも行こう」という方針を立てたんです。ですから東京に着いて14日間の隔離、それから9日間仕事をして、イタリアに戻ってまた14日間の隔離、というスケジュールでした。今回は日本人である私ひとりが行って、日本とイタリアの時差を確認しながらアポイントを取って、PCの画面を通してアントニオにチェックしてもらう、という形でフィッティングをしました。初めての試みでしたが、お客様からすると新鮮で楽しかったみたいですよ。

 もうすぐタイに行くのですが、4日間の仕事のために現地で16日間隔離になります(笑)。

     大崎さんのインスタグラムより。こちらはバンコクの空港の模様だ

 

──それはハードですね!

大崎 それにしても、イタリアに住んでいる私からすると、日本のコロナ対策はちょっと緩かったように思います。びっくりしましたよ。

──ちょうどGO TOキャンペーンをやっていたときだし、あの頃はすこし緩んでいたかもしれませんね。イタリアはどんな状況なんですか?

大崎 イタリアは状況を「色」で分けているんです。赤は一番危険で、外出禁止で生活必需品のお店以外は開けてはいけない。その次はオレンジで、お店の中での食事は禁止。その次のイエローは、レストランの昼間の店内営業は許される、といった具合ですね。県によって色は違うのですが、フィレンツェは現在イエローです(※2021年2月における情報)。この間仕事で立ち寄ったパルマはオレンジで、お気に入りのレストランが閉まっていて残念でした(笑)。

──かなり厳格なんですね。

大崎 日本と較べると厳しいですね。お店の広さによって収容していい人数も定められているので、今はこの工房も全員が出勤できません。人数を減らしながらやっています。

大崎さんが送ってくれた、人影もまばらなフィレンツェ旧市街の風景

変貌を遂げたイタリア人の価値観

──去年の冬までは、イタリアではマスクをしている人なんてほとんどいませんでしたが、テレビで見る限り、今はみんなしていますよね。

大崎 外ではマスクをしていないと罰金です。コロナ前まではマスクをしているアジア人を笑っていたイタリア人が、今はすっかり変わっていて、たまたま僕がゴミ出しのときに忘れていただけで怒られるくらいです。もちろんほっぺのキスや握手といった挨拶の習慣もなくなって、日本人みたいにお辞儀しています(笑)。もう180度変わりましたね。

──我々がよく行っていたレストランはどうですか?

大崎 街中にある観光客向けの店は厳しいですが、皆さんが行っていたようなお店はまだやっているかな。山下さんがお好きだった「ソスタンツァ・トロイア」とかは開けていますが、今までお客さんでぎゅうぎゅうだったところも、今はソーシャルディスタンスが定められていて、半分くらいしか入れられません。その分売り上げは下がっていますね。イタリアはそんな状況なので、東京に行ったときは本当に驚きましたよ。

フィレンツェを代表する大衆レストラン、「ソスタンツァ・トロイア」。いつ行っても満席の人気店で、狭い店内にすし詰めになって、鶏肉のバター焼きやアーティチョークのオムレツに舌鼓を打つのが、フィレンツェ滞在時の楽しみだった。写真は2014年頃の様子

──ヨーロッパと較べると、まだ感染者や重症者数も少なかったですからね。

大崎 東京は検査数が少なすぎて、実際のところ感染者がどのくらいいるのかわからないですよね。イタリアでは、法律で一家にひとりホームドクターを持つことが決められているんです。熱が出たらそこに連絡すれば、すぐに的確な指示が出て、無料でPCR検査を受けられます。それが日に日に増えていって、こんなに感染者数が多くなっているのですが。

こちらも大崎氏のインスタグラムより。イタリアでは労働ビザを持っている在留外国人は全員国民健康保険に加入するきまりになっており、自宅近くの医者を「かかりつけ医」として指定される。日本と較べるとPCR検査もはるかに受けやすく、ワクチンの接種も無料だ

 

──日本では検査料金も高いですし、周囲の目や仕事を気にして、検査を受けるのが怖い、という人も多いんだと思います。

大崎 この状況はまだ始まったばかり、という専門家もいますし、そうも言っていられないと思うんですけれどね。