文=鈴木文彦 イラスト=ナガノチサト

ワインとフランス文学のスペシャリスト、鈴木文彦氏が指南する、ワイン選びの極意

今回の質問者

「このあいだ、お店ですごく高級なチリワインを見かけました。チリワインといえば安価なイメージなので、わざわざ高いものを買う必要はないですかね?」(40代・広告業)

 

 ついにチリの話が来ましたか、というのが正直な感想です。発泡性のワインを抜いた統計では、チリのワインは2015年にフランスのワインを抜き、日本でもっとも飲まれているワインとなりました。以降、2019年までトップ。その理由には、やはり安くて美味しい、という評価があるかとおもいます。

 とはいえ、もし、読者諸兄・諸姉が、チリワイン=安くて美味しい、というだけの認識にとどまっていらっしゃるならば、それは強烈にもったいない、と申し上げたくおもいます。

 チリは、高級なワインの産地として、畏怖の念をもって接すべき産地、と筆者はおもうくらいです。そこで、まずは、その理由をチリワインの歴史からお話します。

 

チリってどこにあるの?

 北緯10度から南緯50度まで南北7500km、幅750kmにわたり、もっとも高いところでは7000メートル級という山が連なる、アンデス山脈。この山脈と太平洋との間にある細長い国が、チリです。数字で見るとチリは、南北は4329kmもあり、一方東西は平均175kmとなるそうです。

チリの首都であり南アメリカを代表する都市、サンティアゴの風景。四方を山に囲まれた盆地であり、夏は日差しがつよく乾燥する地中海性気候

 首都はこのちょうど中央部あたりにある、サンティアゴで、ワイン産地も、この中央部が核となっています。この地域は日照時間が長く、収穫時期には雨がほとんど降らないという絶好の気象条件に恵まれていて、北にコキンボ地方、中央にアコンカグア地方とセントラル・ヴァレー地方、南にサウス・ヴァレー地方と、ブドウの栽培地があります。

 まず注目すべきは、これらチリのワイン産地が、自然によって守られている聖域のようなところだ、というところです。北には砂漠、南には氷、西には海、東には高峰。これらは、ブドウ栽培にとって、土壌や気候の面で、ほかではなかなか望めない恩恵を、複数もたらしているのですが、くわえて、ブドウ樹の根を食い荒らす害虫、フィロキセラの侵入を防ぎ、乾燥した気候のおかげもあって、カビによって発生するべと病もない、というブドウにとっては天国のような環境を実現しています。

チリワインの故郷マイポ・ヴァレーの畑の背後には絶壁のようにアンデス山脈がそびえる。山から注がれる雪解け水の栄養と、昼夜の寒暖差、乾燥した気候が理想的な環境を実現している

 もちろん、チリのワインの造り手は、この価値をよくわかっていて、オーガニック栽培をはじめとして、環境を保全する活動にはとても積極的ですし、植物検疫も徹底しています。

 フィロキセラは世界中のブドウ樹を襲った害虫で、もともとアメリカ発祥とされています。そのため、アメリカのブドウ樹には、フィロキセラへの耐性があり、現在、世界のほとんどのブドウ樹は、アメリカのブドウ樹を台木として、その上に、ヨーロッパのブドウ品種を接ぎ木したものです。しかしチリにはフィロキセラがいないため、自分の根で、大地に生えたブドウの樹々が栽培されています。これらの樹々の祖先は、16世紀にスペインの聖職者がミサ用にもちこんだもの、あるいは19世紀に、実業家や大地主がフランスから持ち込んだものです。現在もチリのブドウの産地にある、フランスのシャトーのような建物は、19世紀に、彼らが建てたもの。そして、現在もチリワイン業界をリードする、コンチャ・イ・トロ、サンタ・リタ、サン・ペドロなどの大手ワイナリーもこの時期に設立しています。

チリ最大のワインメーカー、「コンチャ・イ・トロ」の歴史あるワイナリー

チリワインの高級化の歴史

 19世紀末から20世紀にかけては、フィロキセラの猛威を逃れて、ヨーロッパの造り手がワイン造りをおこなったりもしたチリですが、その後、一度、停滞、あるいは後退しています。というのは、重い酒税やあたらしくブドウを植えることを禁止する法律、さらに政治的・経済的な混乱の影響があったからです。

 状況がかわるのは、1970年代から80年代。そういうと最近のようにも思えるかもしれませんが、日本でも人気のフランスやカリフォルニア、あるいはイタリアのワインが、今日、我々のイメージするワインと、ほとんどおなじようなものになったのも、だいたい、このくらいの時期です。栽培技術や醸造技術、また市場の世界的な広がりで、ワインがより、商品として完成度を高めたのがこの時期から、だからです。

 チリでは1974年、30年以上の長きに渡ってブドウ栽培を制限してきた法律が撤廃されました。そうして、ワイン造りがまた、積極的におこなわれるようになったのです。

 しかし、だからといってそれでチリワインが復活したか、というと、そうでもありません。なにせ、チリのワイン産業は、30年ほどにわたって活動が弱まり、世界のビジネスシーンも、20世紀初頭と後半とでは大きく様変わりしているからです。いくら環境に恵まれ、優れたブドウ樹も残っているとはいえ、その潜在能力を引き出せるかどうかは、結局、栽培や醸造の技術次第。チリはまだ貧しかったので、労働力は安いかもしれません。また、畑も多くあるとはいえ、チリはワインの国内消費はあまり多くなく、このため、ワインの造り手たちがワインで生き残るには、国外の市場に打って出るしかありませんでした。しかし、そこにいるライバルは、フランスやイタリア、あるいはカリフォルニアといったワインの銘醸地のワインたち。ただ、安いだけでは、太刀打ちできません。安いのに売れないという状況が訪れるのは火を見るよりも明らかでした。

 チリのワイン業界は、そうなることを予想していました。だから、チリワインの高品質化は、喫緊の課題でした。そしてそれを為したのが、国外の大手ワイナリーや、大資本、そして国内外の醸造家たちです。ライバルとなる国々の栽培・醸造技術がチリにもたらされ、チリ発のプレミアムワインは1980年代後半には、誕生していました。これらのワインは、価格に比して品質は極めて高く、世界中で高い評価を獲得したのでした。

 つまりチリワインというのは、最初から質で、世界最高のワイン産地と戦い続けたワインということもできるのではないか、と筆者はおもうのです。

 

チリワインの代表格

 そういう観点から、チリワインのイメージリーダーとして、まず、紹介すべきは、世界最高のカベルネ・ソーヴィニヨンの産地と名高い、プエンテ・アルトだとおもいます。首都、サンティアゴのちょっと南、チリワイン発祥の地でもある、マイポ・ヴァレーの北にある全体では200haほどの地域です。ここには、19世紀末、チリのポテンシャルを見込んでボルドーのブドウをチリへと持ち込んでマイポ・ヴァレーを開拓した先駆者、スペインの貴族、コンチャ家のドン・メルチョーが起こしたワイナリー、コンチャ・イ・トロが、創業者「ドン・メルチョー」の名前をつけてリリースした「ドン・メルチョー」の畑があります。

カベルネ・ソーヴィニヨンの聖地 プエンテ・アルトのブドウ畑

 そして、フランスはボルドーの名門、シャトー・ムートン・ロスチャイルドを所有するバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド社と、コンチャ・イ・トロとのジョイント・ベンチャーで、1998年にうまれた「アルマヴィヴァ」の畑もあります。

ドン・メルチョーの栽培、醸造を担当するエンリケ・ティラド氏。20年以上にわたって、ドン・メルチョーを手掛け、世界的に尊敬を集める人物。「アルマヴィヴァ」のワイン造りにも携わっている

 さらに、これまた、カベルネ・ソーヴィニヨンの産地として、世界最高峰の評価をうける、チリのアコンカグア・ヴァレーに広い畑を所有するヴィーニャ・エラスリスの5代目、エデュアルド・チャドウィック氏が、カリフォルニアワインの歴史における決定的偉人、ロバート・モンダヴィとの共同開発で1995年に生み出した、「セーニャ」の畑があります。

 この、プエンテ・アルト産ブドウを使ったワインは、フランスやイタリア、あるいはカリフォルニアのトップワインとの比較においても、互角以上の評価を受けています。有名なのは、2004年に上述のチャドウィック氏が企画した、ベルリン・テイスティングでの結果でしょうか。

 価格は、たしかに安くはないのですが、とはいえ、では、これらと比較される、フランスであればボルドー、イタリアであればスーパータスカン、カリフォルニアのカルトワインと比べたときに、高いか、と言われると、特段、そんなことはありません。

 

値上がりする前に、急げ!

 いまのうちに、チリワインに注目しておけば、今後、10年後、15年後に、ああ、あのときにもっと買っておけば!という後悔をしないですむかもしれません。いや、実際、すでに値上がりはおこっていて、ワイン業界では、○○年前はもっと安かったのに!などといった声も聞かれるのですが、それでもまだ、高級チリワインは、他の高級ワインほどには注目されておらず、買いやすいのはないかと筆者は思います。

 さらに、こういった、優れたワインの造り手たちは、積極的に新天地、新品種にも挑戦しているのが、また、チリの予断を許さないところです。上述のカベルネ・ソーヴィニヨン、白ワインならシャルドネ、はすでに定番。エレガントなピノ・ノワールやシラー、チリではメルローと混同されていたという歴史があるカルメネール、さらに南部では、カリニャンや、そもそもスペインの宣教師がミサ用に持ち込んだ品種、パイスなどといったブドウ品種も注目されつつあります。

 今回はチリワインの質の面に注目していますが、チリでは、肥沃な平地でのブドウの大量生産が可能で、それらのブドウは、大量生産ながらに、美味しいワインを造り出すことができる、というのがチリワイン躍進のひとつの背景です。しかし、現在は、より特徴がある山の斜面を利用したり、寒流の影響から冷涼な海沿いに畑を拓いたり、北はアタカマ砂漠の南端、南はパタゴニアに迫るほど場所でもブドウが栽培されはじめています。

 と、そんなわけで、世界のワイン業界を驚かせ、まだまだ、面白いワインが出てきそうな、チリ。これをここまで読んでくださったビジネスリーダーの皆様にも、ぜひ、チリワインに注目していただきたいのと同時に、チリのライバルたちに、むしろチリに負けるな、とエールを送りたいのが筆者の心情でもあるのでした。

ドン・メルチョー
カベルネ・ソーヴィニヨン

16,000円+税(2017年ヴィンテージ)
17,000円+税(2018年ヴィンテージ)
お問い合わせ先
日本リカー
HP  https://www.nlwine.com/

ファーストヴィンテージのリリースから30年目にあたる2019年に、コンチャ・イ・トロから独立したブランドとなった「ドン・メルチョー」。チリのプレミアムワインの先駆的存在です。文中で言及したプエンテ・アルトのカベルネ・ソーヴィニヨンを主体に、カベルネ・フラン、プティ・ヴェルドとのブレンドによって造られる、ボルドースタイルの赤ワインで、各ヴィンテージがワイン専門家から軒並み世界トップレベルの評価を獲得しています。

セーニャ 2018年

参考価格 22,500円+税(2017年ヴィンテージ)

チリのプレミアムワイン界の顔役、エデュアルド・チャドウィック氏が手がけるワインのひとつ「セーニャ」。2018年ヴィンテージは、現在おそらくもっとも影響力のあるワインのご意見番、アメリカの評論家 ジェームス・サックリングが100点満点をつけたワイン。セーニャ25年の歴史のなかで、もっとも偉大なヴィンテージのひとつ、との声も。カベルネ・ソーヴィニヨン55%、マルベック18%、カルメネール15%、カベルネ・フラン7%、メルロー5%のブレンドと、もはやボルドースタイルというよりも、チリスタイルと言いたくなるような造り。