文・写真=沼田隆一

クリスマスのライティングに化粧したエンパイアステートビルは、パンデミックのなかでもひとり気高くそびえていた

灯りは人の営みの証し

 冬のマンハッタンのサンセットは早い。午後5時も過ぎれば高層アパートの上の階では少しは残る陽を楽しめるが、地上では街灯に照らされるアヴェニューやストリートが滑走路のように現れる。

 灯りというものは、人の心を暖かにし、希望を持たせてくれる。我が家から暮れなずむマンハッタンを何気に眺めていると、近隣のアパートの一部屋一部屋が灯っていく。普段は気に留めることもない、ありきたりのこの光景が今年はなぜか、その灯りが人の営みの証しとして心に沁みる。夜行列車での長い暗闇の景色の後に登場する、家々の灯りを見たときの暖かさに似ている。

 11月に入ってから感染拡大が収まったかと思っていた矢先に、感謝祭やクリスマスでの人の移動が影響したのか多くの州で感染が爆発している。ニューヨークもまた感染者数は増えているが、それでも他州に比べてまだ何とか”爆発”を抑えるべく政府も市民も一体となっている。この国ではすでに36万人以上の命がCOVID-19により失われ、その数は増え続けている。ニューヨーク市内ではロックダウンは宣言されてはいないが店内飲食は禁止となり、もとより劇場や映画館は閉鎖のまま。ホリデーシーズンも小売店や大型商業施設は例年のような活気はなく、売り上げの大半はオンラインにもっていかれたようである。

高級百貨店サックスフィフスアヴェニューのクリスマス名物ウィンドウデイスプレイ。キャプションには、“ジャズクラブがなくったって問題ないさ。われわれが街に音楽を持って行く”と

 ロックフェラーセンターでの恒例のクリスマスツリーも、めでる人が近づけない状態でちょっぴり寂しく輝いていた、と感じたのは私だけだろうか? いつもならせっかちのニューヨーカーもこの時だけは心が和み、やさしい言葉が行きかう光景がなかったのはさみしい。

 レストランやバーでは、許可された飲食のできるスペースを路上に設け、暖房機を持ち込んだストールで何とか細々と営業し続けている。三密を防ぐため、QRコードのメニューをテーブルに貼ってなるべくコンタクトを防いだり、バブルのようなテントを張りその中でプライヴェートな飲食をできるようにしたりしている。屋外の暖房器具も飛ぶように売れているらしい。緊急事態宣言を出しても罰則や厳しい取り締まりもなく、時間短縮でも店内飲食ができるし、イヴェントもできる日本とは隔世の感がある。

 つい最近の出来事だが、禁酒法時代に”Speak easy”の場所でも有名になり永年多くの各界の著名人が愛した「21クラブ」も昨年12月に閉店を宣言した。地下のセラーの奥の秘密のドアのまたその奥にある、禁酒法時代のバーのスペースはどうなるのか、ニューヨーカーにとっては “お前もか?”という気持ちでこのニュースを聞いた人も多い。店のバルコニーにいくつもあった店のシンボルともいえる、ジョッキーのヒッチングポスト(つなぎ杭)もすでになくなっている。まさしく栄枯盛衰……。

閉鎖が決まった「21クラブ」のファサード。多くのゲストを迎えた鉄扉は固く締められ、見慣れた店の灯りだけが一流の意地を見せるのか寂しく点ったままである

新しい言葉に見る現在社会

 これを書き始めて、ふと筆者は昨年初めて見聞きした言葉をいくつも思い出した。その多くは昨年の事象と関連する言葉であった。BLM(Black Lives Matter)関連ではセントラルパークでバードウォッチングしていた黒人男性が、犬と散歩をしていた白人女性にリードを付けるように注意したところ(セントラルパークなど公園では、ドッグランなどの指定された場所以外ではリードを付けるのがルール)、白人女性は黒人に攻撃されたと警察に通報した──あとで虚偽であることがわかり、その女性は社会的制裁を受けた──事件が発生した。

 そういった白人優位の立場から差別的行動する白人中年女性を称して、”KAREN”という言葉があらわれた。また、当局の警告や命令を無視し、自分が感染源となる危険を冒す傍若無人ぶりを”COVIDIOT”(COVID-19とIDOOT=バカをもじった造語)と呼ぶようになった。新語ではないが、社会心理学の言葉で”normalcy bias”(正常性バイアス)も現在の状況で、よく耳にする。大変な状況下で自分に都合の悪いことは無視して、自分だけは大丈夫であると考えてしまう人間の心理特性をあらわしている。

 昨年ほど新語や造語が多くつくられたことはないかもしれない。それだけ人々の心に大きな衝撃を与えた。今まで経験したまたは考えたことのない事象を表現したいという、欲求を満足させるために多くは生まれたのだろう。

パンデミックのなかでも、マンハッタンは建築ラッシュ。永年いろいろと非難のあったペン(シルベニア)ステーションが衣替えの最中で、生まれ変わるニューヨークをアピールしている

アメリカの民主主義の行方

 COVID-19が引き起こした現在の状況を俯瞰すると、なんだか大きな渦がいくつかできたように思う。一つは自国を守るが故の閉鎖的なものの考え方、自国中心主義ともいうべきものがCOVID-19以前にもまして大手を振って歩きだした。今年1月6日にトランプ支持者のなかでも”ZEALOT”といわれるファナティックな人たちのデモンストレーションがキャピトルヒルに乱入するという、アメリカ憲政史上はじめての国内テロ事件が起こった。この動きでアメリカの民主主義の脆弱性が露呈し、アメリカの威信は地に落ちた。南北戦争に端を発したヤンキーとコンフェデレートの精神的対立の根深さを浮き彫りにしたとともに、普段は内包している対立(偏見)を政治という表舞台で活性化するよう煽動したことは、アメリカ史において汚点として残る気がする。

 この閉鎖的なものの考え方への流れは、パンデミックのキャビンフィーバー(閉塞感)を抱えた人々のはけ口として、人種的な偏見にもつながっている。また、感染防御の観点から国境の”壁”が低くならず、人々の自由な往来を制限がまだまだ続く可能性は大いにある。これからも事実と異なるフェイクニュースがインターネットで拡散が発生し、それによってマスヒステリアが社会不安を起こす可能性もある。

 

今の我々に課された未来への宿題

 しかし、一方の渦は決して暗いものではない。アメリカにおいて次期大統領(この原稿を書いている時点)は、外交政策を自国第一主義から国際協調に舵を切る様子がうかがえ、環境問題、安全保障問題でも新しい風が吹く可能性が出てきた。次期大統領の周りにはアジアとカリビアン系の女性副大統領、内務長官にはネイティブアメリカンの女性、財務長官は女性、国防長官は黒人である。バイデン氏の新しい政権には、COVID-19や国を二分するような結果を招いた選挙の後始末をはじめ喫緊の課題は山積し深刻である。

 ユニオンスクエアに面したビルにクライメート・クロックがある。気候変動に対して我々が対処するために残された時間を刻一刻刻み続けている

 世界レベルでもこの状況に対する自分たちの対処を冷静に見直し、透明性をもって国際協調して取り組む重要性や、その仕組みを考えようとする動きがあるのも事実である。我々は今の時点でもいろんなことを教訓として学んでいるのである。COVID-19も含む感染症対策の未来のための構築、人種差別問題、民主主義に関する国民レベルでのリテラシー向上、環境問題などをはじめとしてアクションを起こす課題は多い。

 COVID-19や環境問題ではいかに科学的事実が大切であり、その事実は政治に染まってはならないよう警鐘を鳴らしている。現在の問題を素直に受け入れ、それに向かって行動を起こし、将来の世代に何を残せるのかは、我々次第なのである。

 

IT’S UP TO US!

 この国では初等教育からデイベートが積極的に取り入れられ、自分の意見をもちはっきりという。様々な人種や宗教が織り込まれたニューヨークはとかく自己主張が強い。しかし時には、それが大きな問題に対しての人々の声となって社会のうねりとなり強靭な社会をつくる。日蓮は”国家の安危は政道の直否に在り“と北条時宗へ書状を送ったそうだが、その政道をつくるのは民主主義社会においては、我々が一人一人声を出すことにはじまるのではないだろうか。

国連本部に隣接するガーデンに旧ソ連邦から贈られた大きなオブジェがある。ソヴィエトのSS-20ミサイルとアメリカのパーシングミサイルのパーツで作られたドラゴンをセント・ジョージが退治している姿である。題して”Good defeats evil."

 シナトラがカバーした「ニューヨーク・ニューヨーク」の映画の歌のなかに“It’s up to you, New York, New York”という詞がある。今の私にはこの言葉はずしんと重い。