文=鷹橋 忍

写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

世界遺産にして、白雪姫のお城のモデル

「アルカサル」とは、スペイン語で「王宮・王城」を指す。由来は城砦・要塞を意味するアラビア語だという。

 スペイン各地には、セビリア、コルドバ、トレドなど、「アルカサル」と呼ばれる城が点在するが、今回は、ディズニー映画『白雪姫』に登場する城のモデルとして知られる、「セゴビアのアルカサル(アルカサル・デ・セゴビア=セゴビア城)」を取り上げたいと思う。

 アルカサルは、カスティーリャ・イ・レオン州の古都セゴビアの、ひときわ高い断崖に聳え建つ、スペイン一とも称される美しい城である。有名な古代ローマ時代の巨大な水道橋や、「大聖堂の貴婦人」と呼ばれるセゴビア大聖堂などともに、1985年「セゴビア旧市街とローマ水道橋」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録されている。

 メルヘンチックな青い円錐型のトンガリ屋根をいくつも抱くその姿は、日本人が思い浮かべる「おとぎ話に出てくる西洋のお城」そのものだ。なお、白雪姫の映画には、城の北側の城外から眺めた姿で登場する。

 城の起源は、ローマ時代に建築された要塞といわれる。

 8世紀に入ると、セゴビアは侵入してきたイスラム教徒に占領されたが、1085年にレオン王国とカスティーリャ王国の国王を兼ねたアルフォンソ6世が奪回に成功する。アルフォンソ6世は新たにアルカサルの建造を行い、以後、カスティーリャ王国の重要な城となり、歴代の王たちに愛された。

 

イザベル1世の波乱の人生

 白雪姫の城にちなんで、アルカサルにゆかりの王女をご紹介しよう。のちにカスティーリャ女王となる、イザベル1世(1451~1504/在位1474~1504)である。

 イザベル1世は、カスティーリャ王国の国王フアン2世(1406~1454)を父に、ポルトガル王女であるイザベルを母に持つ王女だ。亜麻色の髪と白い肌の、魅力的な女性だったといわれる。

 父王の崩御により、イザベル1世の運命は大きく変わる。

 父に代わり即位した異母兄エリンケ4世(1454~1474)によって、イザベル1世は母と実弟のアルフォンソと共に宮廷から事実上、追い出されてしまったのだ。実子がいないエリンケ4世にとって、イザベルら腹違いの妹や弟の存在は脅威でしかなかった。イザベル1世らは、アレバロという町の小城で、近隣の農民たちと大差ない質素な生活を余儀なくされた。

「不能王」という仇名をもつエリンケ4世であったが、二度目の妃であるポルトガル王の妹・フアナ王妃との間に、王女が誕生する。イザベル1世も母親と同じ名だが、紛らわしいことに、この王女も母親と同じ名でフアナという。

 このフアナ王女は、生れる前から「エリンケ4世の子ではなく、王の寵臣ベルトランの子だ」と噂され、生まれてからも「フアナ・ラ・ベルトラネッハ(ベルトランの娘)」と蔑まれた。

 反国王派は正統性を疑われるフアナ王女よりも、エリンケ4世の異母弟アルフォンソ(イザベルの弟)こそ、正当な王位継承者だと強弁し、内乱が勃発した。

 内乱勃発から3年後、大事件が起きる。なんとアルフォンソが、15歳の若さで亡くなってしまったのだ。毒殺も囁かれる病死であった。

 弟の死により、イザベルは歴史の表舞台に引っ張り出されることになる。反国王派は、亡きアルフォンソの代わりにイザベルを擁立したのだ。そして、エリンケ4世王に、彼が存命中は即位しないことを条件に、イザベルの王位継承を認めさせた(トーロス・デ・ギサンド条約)。

 晴れて、未来のカスティーリャ女王となったイザベル1世には、周辺国の王や王子から熱心な求婚が殺到。イザベル1世はカスティーリャ王国の国益も踏まえ、エリンケ4世から言い渡されたポルトガル王との縁談を拒み、1469年、隣国のアラゴン連合王国のフェルナンド王子と結婚する。イザベルは18歳、フェルナンドは17歳であった。

 ところが、この結婚はエリンケ4世の逆鱗に触れ、後継者問題が再燃する。

 イザベル1世とエリンケ4世は、1473年のクリスマスにアルカサルで和解するも、翌年、エリンケ4世は、「王位継承者は、イザベルか、それともフアナ王女か」を明確に意思表示しないまま、49歳で息を引き取ってしまう。

 エリンケ4世王の訃報をアルカサルで受け取ったイザベル1世の行動は素速かった。12月13日の早朝、イザベルは喪を表す純白のドレスを纏うと、アルカサルを出て、街の代表者や聖職者、貴族や民衆の待つマジョール広場へ向かった。そして、カスティーリャ王国の女王イザベル1世であることを宣言し、民衆の歓呼を浴びた23歳の若き女王誕生の瞬間である。アルカサルの「ガレーの船の間」には、この戴冠式を描いたフレスコ画が、今も存在する。

 

スペイン新時代の幕開けの城

 イザベル1世とその夫フェルナンドは、イザベル1世の即位を不服とするフアナ王女らの勢力を平定した。1479年には、フェルナンドも即位しアラゴン王となり、ここにカスティーリャ王国とアラゴン連合王国の同君連合国家が実現し、イザベルとフェルナンドによる共同統治が始まった。「スペイン王国」の誕生である。

 二人の国王は、イベリア半島の最後のイスラム勢力となったナスル朝グラナダ王国を陥落させ、8世紀にもおよぶレコンキスタの長い歴史に幕を下ろした。その功績により、二人は教皇から「カトリック王」の称号を授けられ、「カトリック両王」と称された。

 後世の歴史家たちは、イザベルがアルカサルを出て、戴冠式を行った日を、スペイン近代史の始まりの日とする。そう、スペインの新時代は、アルカサルから始まったのだ。