文=難波里奈 撮影=平石順一

行けば必ずファンになるマスターたち

 これまでに巡ってきたたくさんの純喫茶たちにはそれぞれの魅力がある。すべて愛おしく思っているが、自分の中で特別な想いのある一店と言われたら即時に思い浮かぶのが、神田にある珈琲専門店「エース」だ。

 かつては数十軒ほどの純喫茶が存在していたという界隈も現在では数えられるほどに少なくなってしまった。しかし、まもなく創業50年となるエースは平日でも満席であることが珍しくないほどの賑わいをみせている。

レトロな色合いの店内は若者にも人気。ちょうどいい高さのテーブルとソファは居心地も抜群。

 遠くからでも視界に入るオレンジ色のファサードが目印で、扉を開けるととても良く似た笑顔の二人が出迎えてくれる。エースを切り盛りしているのはご兄弟の清水英勝さんと徹夫さん。

調理と笑顔担当の兄・英勝さん(上)と接客と調和担当の弟・徹夫さんのご兄弟。

 ご両親が営んでいたエースの前身「喫茶シミズ」を経て、お二人は勤めていた会社を退職し、お父様と3人で再び喫茶営業に向けて準備を始めた。世界30か国を旅し100店以上の開店指導を行ったという日本喫茶学院の柄沢和雄先生から学んだのは、経営のノウハウ、珈琲の淹れ方、フードメニューの作り方など。

「珈琲を淹れることよりも、接客に慣れるまでが大変だった」と話すお二人。とにかく間違いがないようにすることに気遣いながら、訪れる人たちとの距離感を掴んで、居心地の良い空間を提供できるようになるまで長年を要したとか。「無我夢中で一生懸命だった」というお二人の誠実さは、年々エースのファンが増えていく様子を物語っている。

お店一押しの「ゴールデンキャメル」は深みがありながらすっきりとした後味。サイフォンでの淹れ方、豆の量は創業当時から変えていない。

 試行錯誤した結果、珈琲の種類はストレート15種類、アレンジ20種類、ブレンド5種類、トーストやサンドイッチなどパン類は10種類に決めて、そのメニューは現在もほとんど変わっていない。

 注文が入るたびに一杯一杯丁寧にサイフォンで淹れられる珈琲。珈琲を淹れるのにサイフォンを利用しているのは、時代的な背景もあるがパフォーマンスとして華やかな見た目も決め手だったそう。珈琲へのこだわりや情熱が今も衰えていないことは、カウンター席に掲げられた「第86回珍品コーヒーフェア」という貼り紙からもわかる。

 飲み方にもこだわりがあるのではないかと尋ねたところ、「砂糖やミルクを入れても。自分の一番好きな方法で飲むのが一番美味しいからね」とあくまでも自由である懐の深さにほっとする。

 またブレンドやストレートだけではない、世界各国の珈琲が楽しめるのも魅力。アイルランドの「アイリッシュコーヒー」からイタリアの「カフェカプチーノ」などのおなじみのものから、アメリカの「インザブロードウエイ」など名前だけでは想像つかないものまで。何度来ても新しい発見があるのも嬉しい。

 

開店時間の朝7時から10時まで、のりトーストとお代わり自由の珈琲のモーニングセットを550円で提供。のぼりもお手製。

 エースの看板メニューでもある「元祖のりトースト」。幼い頃にお母さまが作ってくれたのり弁当をヒントに生まれたもの。200円という破格の値段は、せっかくなら珈琲も一緒に飲んで欲しいという理由から。 

 また、今年の春がやって来るよりずっと前から、ブレンドとアイスコーヒー、また飲み物と一緒であればパン類もテイクアウト可能(クリームトーストは溶けてしまうため不可)。店内でゆっくりする時間がない時は事前に電話注文しておき、出来立てを取りに行って好きな場所で楽しむこともできる。

柔らかな肉とトマトの酸味、オニオンの甘みが絶妙なローストビーフサンド。こちらはテイクアウト仕様。
中心のバターを溶かしながらいただくアメリカンドーナッツ。珈琲のお供に。
メニューや店内の看板に書かれた文字は清水さんのお手製。もはや「書体」の粋。

 丁寧に淹れられた珈琲の美味しさ、お手頃価格である軽食メニューの満足感、店内の清潔さ、いつもにこやかに接して下さる親近感・・・。エースが人気店である理由はいくつも思いつくが、創業当時からずっと守られている「休まないこと」と「営業時間より早く閉めないこと」という簡単なようでとても大変なルールは、この場所を目指してやってきてくれる人たちをがっかりさせたくないという強い思いとお二人の真摯なお人柄を感じるのに十分で、一度訪れた人たちが皆がファンになってしまうのも頷けるのである。