文=石崎由子(uraku) 写真=井上昌明 磯畑弘樹

薩摩びーどろ工芸の新ブランド「grad.(グラッド)」より8月7日に発売された「grad. ice(グラッドアイス)」左からグリーン、インディゴブルー、ブルー、ウルトラマリンブルーの4色

2020年のターニングポイント

 今年も、酷暑といえる、暑過ぎる夏の日々が続きます。

 本来ならば、オリンピック開催で更に暑い日々を過ごしていたはず、そんな声は日本各地の地域産業に携わる方々からも数多く聞かれます。

 ここ数年、オリンピックのムードが高まるとともに、メイドインジャパン、ジャパンクラフトなどの日本の手仕事や、伝統工芸に注目が集まっていました。オリンピックイヤーの今年は各地でイベントや、特別仕様のプロダクトなど企画が進んでいた矢先、今年上半期に世界中を襲った、COVID-19(新型コロナウイルス)の影響で、世界中で生産活動、流通、人の流れが止まり、静まりかえった街の様子が各地で見られました。加えて日本では近年毎年のように襲う大雨の災害も相次いで各地を襲いました。

 この状況は各産業に大きな打撃を与え、もともと、生産背景、材料調達、作り手不足、後継者不足などの問題を抱えていた伝統工芸は、かなりの打撃を受け、多くの工房や、店舗が休業、廃業に追い込まれていることも事実です。しかしこの逆境をなんとか工夫して、未来につなげていくためにさまざまな活動、展開を試みる工房や産地も多くみられます。

 ある意味、2020年はこの業界で一つのターニングポイントといえるのかもしれません。

 鹿児島県の工芸品である薩摩切子は、復刻を果たして今年で35年という節目をむかえています。伝統工芸と呼べないのは、一度途絶えている産業だから。幕末の薩摩藩主、島津斉彬が推進したさまざまな産業の一つであった薩摩切子は、その当時主に贈答品として各地へ運ばれました。

 35年前、島津家の末裔が営む会社が立ち上げた新会社で、江戸切子やその他のガラス工芸のプロに声をかけて復刻を果たしました。その復刻事業に携わったメンバーが独立して26年前に立ち上げたのが「薩摩びーどろ工芸」です。

 現在、吹きガラスから切子まで行う薩摩切子の会社はこの2社のみ、切子だけ行う工房は4社ほどあるそうです。この鹿児島で、地域の伝統的技術を未来に伝えるために新しい試みを目指している薩摩切子工房の取り組みを見ると地域産業活性への姿も、少し垣間見られるような気がします。

復刻を果たし、今年で35年目を迎える薩摩切子

薩摩が取り持つ不思議な縁

 薩摩切子を未来へ継承する会社の一つ薩摩びーどろ工芸が、薩摩切子復刻35年の節目の今年、8月7日に、彼らが見据える未来を表すような新ブランド「grad.(グラッド)」と新商品「grad.ice(グラッドアイス)」を発表しました。奇しくも8月は島津斉彬公の亡くなられた月(新暦)。薩摩の未来への発展のためにと生まれた薩摩切子という技術が、時代を超えて同じ思いを持つもの同士を繋いだかのような偶然です。

 さて、今回薩摩びーどろ工芸が挑んだ新たな試みは、今まで行っていた事とは全く方向性の違う取り組みとなりました。

 今まで行ってきた“新しいこと”はこれまでにない色作りや、技巧の表現、技巧の精巧さという点でしたが、今回は薩摩切子の持つ特徴を最大限に引き出し、シンプルに表現、日々寄り添うようなアイテム開発をするという試みとなったからです。

 そんな新たな挑戦ともいえるこのプロジェクトに彼らと共に歩んだのが、プロダクトデザイナー兼クリエイティブディレクターの辰野しずかさん。彼女は数々の伝統工芸とのプロダクト開発の経験があり、そのデザインはシンプルながらもそれぞれの工芸が持つ技術的な魅力や、素材の魅力をさりげなく引き出し、生活に寄り添うシンプルなデザインに定評があります。芯が一本、すうっと通ったような凛とした印象すら受けるデザインが魅力的です。この出会いは、昨年3月に遡ります。

キリッとした重厚感を持ちながら、馴染みやすさも持ち合わせたデザインは、薩摩切子の新たな可能性を感じさせる

「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT」が結んだ縁

 薩摩びーどろ工芸と辰野しずかさんとの出会いは、LEXUSが次世代の伝統工芸に挑む若き「匠」たちをサポートするプロシェクト、「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT」で、昨年11月に京都の平安神宮で行われた展示会、「TAKUMI CRAFT CONNECTION -KYOTO」での展示プロダクト作成のためのコラボレーション企画によるものでした。他にも様々な工芸の匠やデザイナーが参加されており、素晴らしい作品がたくさん展示されました。この展示では作品としてのアートピースの製作でも良かったのですが、辰野しずかさんは、限られた時間ではありながらも、あえてその後にも生産販売が続く「商品」を作ることを提案しました。

 それはプロダクトデザイナーの多くがそうであるように、工芸そのものが好きであることと、数多くの工芸との取り組みから産地が抱える問題点などを見聞きしていた、という事からの思いでした。産地が抱える問題点とは、前述した、生産及び資金背景、材料調達、作り手不足、後継者不足などなど。工芸だけでなく地方産業そのものの問題とも言えます。できることならこのプロダクトを継続的に生産し、利益を生み出す仕組み作りに協力することによって、産業が未来につながるお手伝いをし、まだ薩摩切子を知らない人の元へも届けられたらと強く思ったのだそうです。

 その出会いから11月の展示に向けてのサンプル作りが始まりました。商品化を目指すため、試作品は何度も作り試行錯誤を重ねました。展示会後、6月に販売開始の予定でしたが新型コロナウイルスの影響で8月に延期となり今月の発売へと至ります。

2019年11月、京都平安神宮で開催された「TAKUMI CRAFT CONNECTION -KYOTO」の展示風景

薩摩切子の魅力を引き出す

 さて、その試行錯誤を重ねた「grad.(グラッド)」はどのような苦労があったのかの説明をする前にまず薩摩切子とはどういったものか、また江戸切子や他のカットガラスとの違いや関係性のお話をしておかなければなりません。

 薩摩切子は前述したように幕末の頃、海外のガラス製造技術をもとに江戸のガラス職人を招くなどして、薩摩藩でつくられ、藩の集成館事業の一環として推進され発展しましたが、この事業に力を入れていた島津斉彬の死後、事業の縮小やイギリス艦艇による集成館砲撃などにより被害を受け、明治初頭には途絶えてしまいました。しかしその技術は江戸切子や大阪へ引き継がれていきます。

 1985年、島津家の島津興業のガラス工芸会社、島津薩摩切子を立ち上げ、そこで江戸切子や各地のガラス専門家や職人の協力のもと、復刻を果たし現在に至ります。

 薩摩切子の特徴ですが、クリスタルガラスという、鉛や鉱物を多く含有したガラスを使用し、淡く発色させたガラスを何層にも重ねる、色被せという技法により成形され、そこにカットを施して作られます。色被せの工程で、厚く被せそこにカットを施すことにより生まれる、ぼかしやグラデーションが江戸切子や他のカットガラスにはない薩摩切子の魅力となっています。

 辰野しずかさんが初めて薩摩びーどろ工芸を訪れた時、カット面のぼかしやグラデーションの美しさに魅了されたのだそうです。その時同時に、シンプルにこの魅力をもっと引き出した商品があっても良いのではないかと思い企画が進められていきます。また、どちらかというと切子は高級な酒器としての用途が多く見られる傾向にありますが、より広い用途とスタイルを目指したアイテム展開も必要なのではとの考えも加えられ、デザインの輪郭が浮かび上がってきました。

 しかしシンプルだからといって簡単ではありません、むしろ高い技術と熟練の技が、シンプルだからこそかなり求められ、薩摩びーどろ工芸と辰野しずかさんの試行錯誤は始まります。

光が射すとカット部の濃淡が際立ち、水を入れると美しく揺らぎ、奥行きのある幻想的な世界が広がります

高い技術が詰まったシンプルなグラス

 クリスタルガラスは通常のガラスと違い、鉛や鉱物の含有量を高めることで、屈折率と透明度が高まりクリスタルのような輝きを見せることからこの名前がつけられています。また含有量が多いことでカットしやすい柔らかさが生地に生まれ、様々な意匠を施すことが可能となります。

 「grad.(グラッド)」はグラデーションを美しく見せるため、シンプルなカットでありながらその深さと角度にこだわっています。しかし柔らかなクリスタルガラスはあまり力がかかりすぎると割れてしまう危険性が高まるのです。厚みを持たせれば耐えられるのですが、それでは花瓶のような厚いグラスになってしまい、実用性にかけてしまいます。また、生地は吹きガラスという技法で作るのですが、縦長のクリスタル生地を均一な厚みで作り上げるのも高い技術が必要になります。ここで不揃いになると、切子師が美しいカットを施せなくなるからです。

 

 一見シンプルなデザインの「grad.(グラッド)」には薩摩切子の匠達が持つ最高の技術が詰まっていると言えるのです。

 そしてもう一つ大切な、グラデーションを生み出す美しいカラーですが、彼らが今まで開発し使用してきたカラーのなかで、最も効果的に美しさを表現できる組み合わせを探り何度も試作を重ねました。東京と鹿児島、遠く離れた場所で薩摩びーどろ工芸と辰野しずかさんのやりとりは重ねられ、同時に絆を深め、美しく輝く「grad.(グラッド)」を生み出しました。

カット面のグラデーションがきれいに見えるよう丁寧に磨いていきます
吹きガラスという成形技法により、ひとつひとつ職人の手で作られています

あたらしい道を模索して見えたこと

 今までにない取り組みに挑んだ、薩摩びーどろ工芸の吹き師の野村誠さんと切子師の鮫島悦生さんにお話を伺うと、「とにかく初めての事ばかりで手探りしながらでとても大変でした」と、おっしゃいました。それでも諦めず進んだことは、薩摩びーどろ工芸が持つ、薩摩切子を広めたい、今までにない新しい薩摩切子でこの工芸を未来につなげたいと思う心からだと思います。復刻されて35年ということもあり、工房の平均年齢は35歳と若く、常に未来を見ているのかもしれません。

 また、新たなチャレンジのおかげで、吹き場とカット場のコミュニケーションが前より活性化し、会社自体の連帯感が高まったともおっしゃっていました。

 工芸の産地を数多く見てきた辰野しずかさんならではのアプローチは、薩摩びーどろ工芸の目指す未来とうまく重なり、新たな風を吹き込み、これから起こすべきアクションを具体化していくのかもしれません。実際、オンラインなどに全く不慣れだった彼らですが、緊急事態宣言ということもあり、今ではZOOM会議を難なくこなし、オンラインストアも開設し、新作「grad. ice(グラッドアイス)」をオンラインで発表という試みも行っています。

大切な方々をもてなすテーブルに欠かせない酒器や食器として幅広くご活用いただけます

未来につなげる薩摩切子

 35年前に島津薩摩切子で復刻を果たした薩摩切子、今年同じタイミングで島津薩摩切子も見事な新作を発表しています。従来の薩摩切子らしい商品です。同時に全く違うアプローチで、彼らの持つ技術を表現する商品の発表を行なった薩摩びーどろ工芸。

 復刻をベースに商品開発を進める島津薩摩切子と、復刻と技術を元に新しい未来を切り開く薩摩びーどろ工芸の2つの姿勢は地域で復刻された薩摩切子にとってたくさんの可能性を広げているような気がします。

 鹿児島の豊かな自然の中で真摯に製作を続ける薩摩びーどろ工芸の持ち続ける熱量は、中規模な工房で、フットワークが軽く、チームの連帯がしっかり取れていることから生まれてくるのだと思います。その力は今までもつ常識に囚われず、辰野しずかさんというクリエーターとの新しい試みもチャレンジできたのだと思います。

 この気持ちを一つにした地域の中小規模の取り組みと、それを支えるデザインやマーケットをうまくまとめることができるクリエイターとの出会いは、リモートワークが可能となった今、特に広がりを見せていくのかもしれません。

 幕末の頃、日本人がまだ見ぬ海外の新しい情報や、商品をいち早く取り入れ、この国の未来を見据えていた島津斉彬公もきっと喜んで見くださっているはずです。

オンラインストアでは「grad. ice(グラッドアイス)」以外の薩摩切子商品もご覧いただけます