写真・文=沼田隆一

抗議のデモは三番街を市長公邸へ向かって行進

Black Lives Matter

 この二週間ほどニューヨーク市はかつてないほどの混乱を経験している。ミネソタ州・ミネアポリスで起きた警察官による黒人男性殺害事件に端を発した抗議デモがいたるところで起きており、警察官の暴力、そして黒人差別というこの国に深く根を張っている問題が、うねりとなって全米を揺り動かしている。

 何度も各地で繰り返される警察官による人種差別が原因の暴力事件。そのたびに報道されその都度なんらかの対策をすると宣言しているのに、いまだ止まない。そしてまたこの悲劇は起こってしまった。全米において人種偏見による事件は現在進行形なのである。

 その混乱に乗じて商店から略奪をする事件も多発している。「COVID-19」関連の各種制限が緩和され、やっと個人商店も息を吹き返す努力を始めた矢先に、略奪のターゲットになっていることは心が痛むし、このように明らかな犯罪行為はどんな理由であれ受け入れがたい。

 多くの人は平和的な抗議活動をしているのにもかかわらず、一部の暴徒がこの機に乗じて蛮行を働き、略奪や警察官へ攻撃をする。またデモ参加者への警官隊による過剰な反応は、その純粋な抗議の精神を冒涜するものである。

 戦場となってしまった街角の報道を見ると、筆者には1992年に起きたロサンゼルスの黒人ドライバーに対する取り締まりで、警察官の暴行に端を発した「ロドニー・キング事件」の映像がよみがえってくる。暴徒化した群衆に個人商店のオーナーたちが自衛のために発砲している映像だ。記憶にある人は多いのではないだろうか。

 

差別と偏見と貧困

 アメリカは合衆国という名のごとく様々な人種が共生をしている。そして、それぞれの文化を大切にしつつも共存しようとしている。ニューヨーク市がその代表的な都市の一つである。それ故、この国は様々な人種差別の悲劇を経験している。南北戦争、リンカーン大統領の奴隷解放、いまだ解決を見ない先住民族への偏見、アジア系移民を「黄禍」と呼んだ時代、日系アメリカ人の強制疎開、マーチン・ルーサー・キング牧師の暗殺、911直後に起きたアラブ系住民への差別、つい最近ではCOVID-19で起きた中国系・アジア系人種への偏見と差別、と列挙したらきりがない。

 その都度、なにがしかの法律が変わり、制度が変わり、人々の意識構造が変わってきていることは確かである。が、それは傷口にバンドエイドを貼るようなものだったのかもしれない、とこの現状を見て強く思う。まだまだ人種差別は存在し、そしてそれに並行してそれと強く関連する貧困層への有効な施策が見出されてはいない。

 人種差別はアメリカだけのものではない。今回の全米での抗議活動は世界各地に飛び火し、それが多くの国で存在する問題として浮き彫りになってきていることは明らかである。

 数字的には落ち着いてきたものの、COVID-19に関してニューヨークは東京のような状況にない。感染者の多くがいわゆる低所得者が多く住む地域で起こっていることは州知事や市長の毎日の会見でも明らかであり、その層への対策が制限緩和に大きく寄与するとしている。

ほとんどの商店は暴徒による略奪行為に対し板を打ち付け防備

 100日近くも「STAY HOME」で様々な制限を受け、多くの人が一時解雇や失業、そして家族や友人の死などに直面。大企業もいくつか倒産し、個人商店が街から姿を消していきつつある。過去最悪の失業率という報道、明日はどうなるかもわからない状況で見えないウィルスとの戦いに倦み、具体的に見える悪と闘い、抗議活動をすることは人間にとってごく自然な行動だと思う。

抗議デモの初日に近所の商店は襲撃を受けた

自由の国の根本問題

 日本に比べてこの国は民主主義というものを、ことのほか尊重する。それは初等教育から徹底している。だからこそ、憲法に保障された言論の自由を尊び、周りの目を気にすることなく声を上げる。

 しかしこの自由の国にいる我々は、いったい今まで何を学んできたのだろう。人種差別問題は遅々として解決を見ない。触れられたくないタブーとしてできるだけ避け、問題が起こると政治的に何らかのパッチワーク的な施策を発表するだけ。その歴史を振り返り、根本的な問題を直視し解決していくための包括的なロードマップを誰も示してこなかった気がする。

ヴァンクリーフ&アーペルやバーグドルフグッドマンではいち早く対策をとった

 人種の違いはしばしば人々の間に軋轢を起こす。人はともすれば同じところを見つけよとするよりも、違うところを見つけようとする習性があるのかもしれない。それが好奇心や相手を理解しようとする気持からであればいいが、そこに悪意が存在してはならない。

 

I have a dream.

 日本も“グローバル・シティ”を目指しているのであれば、この人種差別の問題は避けて通ることはできない。観光という分野を除いて、途上国から学びにあるいは働きに来る人達を我々はどう考えているのだろうか? その国の社会的価値観から文句も言わず働く人たちをどのように扱っているのだろうか? 中小の事業主が自社で働く外国人労働者を親身になって接し、育てようとしている例をいくつも聞き及んでいる。しかし、日本にいる外国人がすべてそのような恵まれた環境にいるのだろうか? アメリカで行われている抗議デモを対岸の火事と考えず、自分たちの問題として日本の永い歴史のなかで、我々の意識の深いところに根付いてしまっているなんらかの差別意識を自省し、意識改革をすることの緊急性を強く感じる。

 デモの参加者が個人商店を守ろうとしていたり、孤立した警官を守ろうとする光景を見ると、この国の民衆の正義の力に感動すら覚える。そして命令どおりの画一的な取り締まりをするのではなく、一人の人間としてデモンストレーションをする人たちの気持ちに寄り添う警察官も多くいること。それこそがアメリカの民力だと思う。

 被害者の幼子による“Daddy changed the world.”を、我々が今重く受け止め、彼女が大人になったときに心から“He did change the world.”と思える世界をつくること。それが我々に課せられた人としての責務だと強く思う。

 COVID-19のパンデミックで生きるということの意味を考えることとなったこの機に、我々の心の奥深くに巣くっている差別意識にも闘いを挑むべきではないだろうか。

 キング牧師の “I have a dream.”で始まるスピーチが心で響き続ける。