文=平松 洋

図1:ディエゴ・ベラスケス『鏡を見るヴィーナス』1647~51年頃、キャンヴァスに油彩、ロンドン、ナショナル・ギャラリー

芸術作品には必ずタイトルがあるという偏見

 前回から、西洋美術におけるタイトルへの偏見を取り上げ、もともと西洋絵画には、画家がタイトルを付ける習慣はなく、「原題」など存在しなかった事情を説明してきた。さらに、そうした名無しの作品に、どうやってタイトルがつけられたのかをざっと見てきたが、ここで少しおさらいをしよう。

 そもそも、西洋絵画はもとより、芸術作品には必ず「タイトル」が存在すると思い込んでいること自体が、偏見なのである。前回も指摘したように、タイトルとはインデックス機能のためにつけられるもので、すぐに特定できたり、指し示したりできる芸術作品にあえてタイトルを付ける必要はない。たとえば、俳句のように、作品自体をまるごと、いつでもすぐに提示できる芸術にタイトルは不必要である。

 さらに言えば、芸術作品に限らず、物の名前ですら、特定さえできれば、「正式名称」で呼ぶ必要などない。たとえば、こんな経験はないだろうか。

「すまんが、あれを、持ってきてくれないか。」
「どの、『あれ』です?」
「だから、玄関先に置いておいた、あれだよ、あれ。」
「ああ、あれですね。」

 我々の年代になると、こうした会話も、珍しくない。悲しいかな、二人とも、物自体は頭に浮かんでいても、名前が出てこないのだ。しかし、玄関先といった場所さえ分かれば、「正式名称」など言わずとも、以心伝心で、その物を特定できてしまうから不思議である。

 ところで、ここで言っている「あれ」を、ブリーフケースやキャリーバッグではなく、美術作品に置き換えてみてはどうだろう。かつて西洋絵画を所有していた者たちが、わざわざ「正式名称」をつけなかった理由もみえてくるはずだ。つまり、教会や王侯貴族の屋敷など、作品が置かれている場所さえ特定できれば、「正式名称」で呼ぶ必要はなく、そもそも、画家ですら正規のタイトルを付ける習慣がなかった時代に、所有者がわざわざ「正式名称」を付けることもなかったのである。

 しかし、「あれだよ、あれ」だけでは、長年連れ添った夫婦のあいだでも、にわかには通じない。そこで、設置場所だけでなく、描かれた主題や内容、絵の印象などから作られた「通称」で呼び合うようになったのである。

 さらに、所有者が亡くなり、遺産相続などで、場所が移動されれば、設置場所による作品特定では、心もとない。あそこにあった「あれだよ、あれ」と言っているようでは、相続人の中で、わざと作品を取り違えて、価値の高い方の作品をせしめる悪い輩も出てきそうである。いわば、「おれだよ、おれ」のオレオレ詐欺ならぬ、「あれだよ、あれ」の「アレアレ詐欺」である。ご注意アレ。そこで、財産目録などに作品が特定できるよう、絵の内容などから、仮の名称をつけて記録したのだが、これにしても、とりあえずの「通称」に過ぎなかったことは、前回も、指摘した通りである。

 

ベラスケス作品の英語タイトルの不思議

 では、そうした確定的なタイトルがないなかで、じゃあ、お前は、どうやって日本語タイトルをつけているのだと疑問に思われる方も多いだろう。前回のお約束のとおり、ベラスケスの『鏡を見るヴィーナス』(図1)を例に、その方法をご紹介しよう。

 私の場合は、第1段階として、その作品が収蔵館や所蔵者の間でどう呼ばれているかを調べることから始めている。そう言うと、前回紹介した、私の書籍に、ありもしない「原題」を掲載しろといってきた批判者であれば、「そら見たことか、作家自身がタイトルをつけなくたって、世界が認めた共通のタイトルがあって、それを単に訳しているだけじゃないか」と早合点しそうである。確かに、世界的に共通する「原題」があるならば、所蔵館やそのカタログでは、必ず同じタイトルが使われているはずである。

 はたしてそうなのだろうか。『鏡を見るヴィーナス』の所蔵者は、ロンドン・ナショナル・ギャラリーなので、この美術館の学芸員が執筆し、その出版部が出した『ロンドン・ナショナル・ギャラリー 100人の偉大なる画家たち:ドゥッチョからピカソまで』(1981)という美術カタログを見てみよう。

 なんとそこでの作品タイトルは、『ロークビーのヴィーナス(‘The Rokeby Venus’)』となっていて、鏡が云々などとは、タイトルのどこにも書かれていない。所蔵館認定のカタログに採用されているタイトルが、「世界共通のタイトル」だとするのなら、日本でも、この作品は、『ロークビーのヴィーナス』と呼ばなければならないはずである。それにしても、ロークビーとは一体何なのだろう。

 実は、本作は、19世紀初頭に、スペイン王カルロス4世の寵臣で首相を務めたゴドイのコレクションとして、ゴヤの『裸のマハ』と『着衣のマハ』とともに飾られていたのだが、1808年にゴドイが失脚。その後、ジョン・モリットによって500ポンドで購入されたのだ。

 モリットは、イギリス人だから、当然、スペインから英国に持ち帰り、ヨークシャーのロークビー・パークにあった自分のカントリーハウスに飾ったのである。ウォルター・スコット卿のバラッド『ロークビー』の舞台としても知られるこの地にあったことから、英国では、「ロークビーのヴィーナス」と呼ばれてきたのだ。この作品が約1世紀を経て、1906年に国の芸術基金が購入し、ナショナル・ギャラリーの収蔵品となったわけだが、その時点で、「通称」だった「ロークビーのヴィーナス」がタイトル化してしまったのである。

 例の「玄関先」ではないが、この美術館が認めたタイトルは、場所の特定による「通称」に他ならなかったのだ。しかも、スペイン絵画がイギリスの地所の名で呼ばれるとは、全くもってドメスティックな「通称」である。「夫婦」ならぬ英国人だけが分かる典型的な「通称」なので、ガチガチの英語中心主義者でない限り、これを日本語タイトル化することは、当然、はばかられてきたのである。

 ところで、先のカタログのタイトルだが、実は、クォーテーションマークで囲むことで、タイトルが「通称」であることを暗示していたのだ。このカタログの6年後に、ナショナル・ギャラリーの出版部から出された『ナショナル・ギャラリー・コレクション』(1987)では、『ヴィーナスの化粧(「ロークビーのヴィーナス」)The Toilet of Venus(‘The Rokeby Venus’)』となっていて、現在のナショナル・ギャラリーが採用しているタイトルと同じものが掲載されている。しかし、それにしても、タイトルは、『鏡を見るヴィーナス』ではなく、『ヴィーナスの化粧』であり、ナショナル・ギャラリーの現在のホームページの解説映像につけられたタイトルは、未だに『ロークビーのヴィーナス』なのである。

 

一筋縄ではいかない日本語タイトルの妙

 要するに、所蔵館が採用しているタイトルは、参照すべきものだが、必ずしも踏襲すべきものではないのだ。そこで、次の段階へと進もう。西欧諸語においてこの作品が一般的にどう呼ばれているのかを調べるのである。ざっと挙げると、ベラスケスが活躍したスペインでは、『鏡のヴィーナス(La Venus del espejo)』、イタリアでは、『ヴィーナスとキューピッド(Venere e Cupido)』、フランスでは、『鏡といるヴィーナス(Vénus à son miroir)』、ドイツでは、『鏡の前のヴィーナス(Venus vor dem Spiegel)』といった具合である。これもほんの一例にすぎず、その国ごとに、他にも、さまざまな呼び名が存在していて、世界が認めた共通のタイトルなど、どこにもないことが分かるはずだ。

 さらに、第3段階として、念のため、この作品が過去にどう呼ばれてきたをチェックするのだが、例えば、その一つが例の財産目録に書かれた「通称」である。本作の所有者とされる画家のドミンゴ・ゲラ・コロネルは、1651年に亡くなるが、その遺産目録には、「大体のところ、高さ1.5ヤード、幅2.5ヤードの裸の女性を描いた絵」とあり、女神ではなく、「裸の女性」と記されていた。実は、この時代のスペインでは裸婦画に厳しく、現存するベラスケスの裸婦画は本作のみだとされている。額装を含めた大きさと、裸婦画に厳しかった時代の「裸婦」の表記は、作品特定が主眼の財産目録にとっては十分すぎるほど十分なのだが、タイトルとしては参考程度のものでしかないのだ。

 次に、第4段階として、国の内外の研究者がこの絵に対して、どういったタイトルをつけているかを参照する。これはかなり重要で、学説によっては、絵の捉え方が変わり、既存タイトルの修正が必要になるからだ。たとえば、スペインの美術史家フリアン・ガイエゴは、この絵のキューピッドが手にするリボンを美(ヴィーナス)が愛(キューピッド)を拘束するものだととらえ、『美によって征服された愛』というタイトルを提唱した。この説を全面的に受け入れるなら、タイトル変更もアリなのだ。

 そして、いよいよ最終段階であるが、それが、日本国内での書籍やカタログ、展覧会等で、この作品がどう呼ばれてきたかのチェックである。実は、これが一番大事なのだ。なぜなら、基本的に作品タイトルとはインデックス機能が最重要で、自分一人がいい気になって新しいタイトルをつけると、読者にとってインデックス機能が働かなくなってしまうからだ。

 だから、必ず、日本語での既存タイトルをチェックするのだが、この作品の場合は、日本では、昔から『鏡のヴィーナス』、あるいは、『鏡を見るヴィーナス』というタイトルで紹介されてきた。『鏡のヴィーナス』はスペイン美術の研究者がスペイン語から翻訳したものだと推測できるが、『鏡を見るヴィーナス』とは、英語はもちろん、西洋諸語からの翻訳ではなく、それらを参考に、絵の内容に準じて意訳したものだろう。

左・図2:ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 『鏡を見るヴィーナス』1555年頃、キャンヴァスに油彩、ワシントン、ナショナル・ギャラリー 右・図3:ピーテル・パウル・ルーベンス 『鏡を見るヴィーナス』1613~14年、板に油彩、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション

 結局のところ、私が採用したのは、『鏡を見るヴィーナス』だったのだが、その理由も、インデックス機能にあったのだ。実は、この同じ要素が描かれた作品として、ティツィアーノの『鏡を見るヴィーナス』(図2)やルーベンスの『鏡を見るヴィーナス』(図3)が知られている。なぜか、日本語タイトルでは、ティツィアーノもルーベンスの作品も、概ね『鏡を見るヴィーナス』と呼ばれているのに対して、ベラスケスのみ、『鏡のヴィーナス』とすることに整合性はない。これらの作品との関連性を重視し、インデックス機能を働かせるためには、同じタイトルで紹介すべきだと判断したのだ。そこで、ベラスケスの作品の見開きページに、同タイトルでティツィアーノの作品も掲載したのである。

 以上、私家版西洋絵画命名術はいかがだっただろう。私の場合、こうした段階をひとつひとつ踏むことで、日本語のタイトルを決定しているのである。例の批判者がいう「原題」記載がないことが、作品をきちんと調べようとする態度ではなく、お里が知れるといった批判に怒るわけが少しは分かっていただけただろう。こうした地道な作業をすることで、これまで日本語訳として流通しているタイトルの誤訳や間違いがいくつも明らかになっている。それは、後の機会に譲るとして、次回は、時代と共に変わるタイトルのあやうさを紹介したい。