文=小松めぐみ 写真=三田村 優

出前は港区内を基本とし、渋谷区の一部エリアまで可能。出前メニューには「うな重」と「蒲焼き」があり、「蒲焼き」は銅鈷(保温できる金属製の器)で配達される

あえて出前をとりたい

 コロナ禍を受け、新しい生活様式が生まれつつある昨今。飲食業界では「三密」を避けた営業形態が考案され、テイクアウトやオンラインショップ事業が拡大している。

 しかし慣れないことは疲れるもので、ときどき昔を懐かしく思う気持ちが湧くことがある。そんな時は敢えてウーバーイーツではなく、出前をとりたい。出前は江戸時代から続く日本の文化。そもそもバブル期にHanakoが創刊して外食が習慣化する以前は、外食より出前の方が日常に浸透していたのだ。

 

昭和50年代の食卓風景

 そんな時代の家族を描いた「阿修羅のごとく」は、作家の向田邦子が脚本を手掛け、1979年と1980年に放送されたNHKのテレビドラマ。2003年に公開された映画版は森田芳光監督によるもので、向田邦子の食へのこだわりも魅力的に描かれている。たとえば父親の愛人問題に気をもむ四姉妹が集まるのは、町のそば店。天ぷらそばが美味しそうなせいか、重いはずの姉妹会議は傍から見ると楽しそうでもある。その後の長女の不倫の場面に登場するのは、出前のうな重。愛人(坂東三津五郎)を自宅にあげていた長女(大竹しのぶ)は、突然やってきた二女(黒木瞳)を出前の配達と勘違いして扉を開けてしまい、全員パニックになるものの、愛人が帰って姉妹でうな重を食べることになる。図らずとも姉の愛人のランチを横取りすることになった二女の気持ちは複雑だろうが、こんな時こそ味が大事だ。人間、美味しいものを食べれば小さなことは忘れられるものだから。

 

丁寧に蒸された柔らかな鰻

出前の「うな重」¥4,500(税込、以下同)は、店内メニューの「山吹」に相当し、うなぎ一尾分の蒲焼がのっている。

 さて、出前のうな重が美味しい店といえば、真っ先に思い浮かぶのは「野田岩 麻布本店」。創業200年を超すこの老舗の蒲焼きは、とろけるような柔らかさが身上だ。最近は東京でも関西のようにパリッと鰻を焼く料理人が増えているが、「野田岩」の蒲焼はふんわり柔らかな江戸前の味。5代目店主の金本兼次郎氏は、蒸す時は“豆腐より柔らかく”なるように心がけているのだという。

 蒲焼きの焼き加減にはそれぞれお好みがあると思うが、出前でうな重を取る時の焼き加減は、柔らかいほうがいい。なぜなら出前では配達される間にごはんと蒲焼きがなじむので、ごはんと蒲焼きの一体感を追求するなら、蒲焼きは柔らかいほうが合理的だからだ。その点、箸を入れるといささかも抵抗を受けずに切れる蒲焼きがのった「野田岩」のうな重は、出前で味わうのに最高なのである。

 「野田岩」の店舗は現在、下北沢、日本橋(高島屋内)、銀座にもあるが、輪島塗りの重箱で出前を行っているのは麻布本店のみ。出前とは容器が変わるものの、おみやげ(テイクアウト)も可能だ。ネット配信の映画とウーバーイーツの新しい生活様式もいいけれど、出前の「うな重」で懐かしい時代の空気を満喫するのも心が安らぐものである。

重箱は輪島塗。兜の蒔絵は4,500円の「うな重」、萩の蒔絵は3,800円以下の「うな重」に使われる。持ち帰り用の“おみやげ”(¥2,600〜)には、プラスチックの容器や折箱を使用

 ちなみに映画「阿修羅のごとく」は、昭和50年代の空気感やファッション、配役も魅力。主役の四姉妹は大竹しのぶ、黒木瞳、深津絵里、深田恭子、父母は八千草薫と仲代達也、脇役は坂東三津五郎、小林薫、中村獅堂という豪華キャストだ。大竹しのぶと坂東三津五郎が赤い長襦袢と浴衣で出前を待ち構えるシーンは、笑いを誘う名場面。艶っぽさはあるものの、元がホームドラマだけに、家族でうな重を食べながらでも安心して鑑賞できる。