写真・文=沼田隆一

北米初のラグジュアリー・デパートメントストアと言われた「ロードアンドテイラー」があったビルは、ただいま改装中。さて、何になるのか?

デパートは夢を売る、夢のある場所

 昔フランク永井という甘いバリトンのムード歌謡で一世を風靡した歌手がいた。彼の代表曲の一つに『有楽町で逢いましょう』(1957年)がある。調べてみると有楽町にあったデパートのコマ-シャルソングだった。驚くことに、同タイトルのテレビ番組や雑誌の連載小説があり、そしてまた同タイトルの映画まで制作、公開されたそうだ。デパートは夢を売る、夢のある場所だったのだ。

 ニューヨークにあるデパートがロケ場所になった映画は多い。2001年公開の“Serendipity”(邦題『セレンディピティ』)では、「ブルーミングデールズ」と思われるクリスマスでにぎわう売り場で主人公の二人が出会い、おなじ売り場でフィナーレを迎えるシーンを記憶している人も多いだろう。懐かしいところでは、1947年制作の“Miracles on 34th Street”(邦題『三十四丁目の奇跡』)があり、ドキュメンタリフィルムでは2013年公開の”Scatter my Ashes at Bergdorf's"(邦題『ニューヨーク・バーグドルフ 魔法のデパート』)など、列挙したらきりがない。

閉店カウントダウンの「バーニーズ・ニューヨーク」の店内

ニューヨークのデパート事情

 私が住んでいるマンハッタンでは、この30年でデパートの存在感が陰り続けているように感じる。大手有名デパートが5社も姿を消した。

 記憶に新しいのは「バーニーズ・ニューヨーク」だ。チェルシー地区でショールームサンプルを販売するデイスカウントショップからスタートし、のちにジョルジオ アルマーニ、クリスチャン ルブタン、コムデギャルソンなど世界のブランドを扱い始めたことで、高級衣料品デパートの地位を確立した。もはや懐かしい言葉になってしまった、”パワーランチ”で名を馳せた「フレッズ・レストラン」もあるマディソンアベニューの旗艦店は、惜しまれつつ2月23日に閉店した。

 1826年に開業し、北米初のラグジュアリーデパートと言われた「ロードアンドテイラー」は、ルイジアナ生まれの帽子店出身者が立ち上げた。1931年にはアールデコのファサードを作って話題になり、1945年には業界初の女性社長を輩出したことでも知られていた。が、残念ながら2019年に姿を消した。

 シャネルの北米進出にかかわった「へンリ・ベンデル」もまた、2019年に閉店。五番街のおしゃれデパートとして有名だった。創業者は元帽子職人。そんなわけで帽子店を経営していたことがあるココ・シャネルに手を差し伸べたのだろうか。無名のアンディ・ウォーホルを専属のイラストレーターに起用するなど、先取の精神をもったデパートでもあった。同店の茶色と白のストライプのバッグ、ハットボックスを持つことはおしゃれの証だった。

 五番街にあった、1865年創業の「B.アルトマン・アンド・カンパニー」と1895年創業の「ボンウィット・テラー」は、いずれも1990年に入って姿を消した。前者は帽子店から頭角を現し、家具やビスポーク(注文)紳士服で輝いていた。最上階に行く木製のエスカレーターは懐かしい思い出である。

 メトロポリタン美術館には「B.アルトマン・アンド・カンパニー」創業者のベンジャミン・アルトマンが寄贈した、有名な絵画のコレクションが何点か展示されている。ミッドタウンにある高級デパート「ブルーミングデールズ」の創業者は、アルトマン経営の会社でセールススタッフとして働いていたという。

「B.アルトマン・アンド・カンパニー」があったビルは、大学と出版社などになっている。独特なファサードとデコラティブな軒先は当時のままである

 私自身、大型小売店舗のエキスパートではない。あくまでニューヨークに住む一人の客としての目線で、これを書いていることをお許しいただきたい。とはいえ学生時代は、東京のデパートでアルバイトに精を出していた”デパート・ラバー”である。

 ニューヨークから東京や大阪のデパートを訪れる。と、その清潔感、見やすいセンスのいい売り場、美しいラッピング、スタッフのきびきびとして丁寧な応対に、驚きと感動をおぼえる。また、日本のデパートでは免税で買い物ができることがありがたい。銀座にある横浜が発祥のデパートは、他店と違い免税の手続きの際の手数料がない。ダイハードなニューヨーカーには口コミでかなり人気がある。

 

ニューヨークのデパートの歴史

 ご存知の方も多いと思うが、今のところ生き残っているニューヨークのデパートの簡単な歴史を紹介する。

「サックスフィフスアヴェニュー」は1924年にホーラス・サックスとバーニー・ギンベルという、いとこ同士で創業。ウィンドウデイスプレイの先駆け。1階のメインフロアは約4900平方メートルもあり、ロックフェラーセンターやセント・パトリック教会に隣接している。まさにニューヨークの中央にある大型デパートである。

「ブルーミングデールズ」は1872年にローワーイーストサイドでオープン。フープ(輪)を用いて張り広げられたスカートの販売で、その名を知られるようになったファッション・デパートである。その後ヨーロッパのシックをニューヨークに紹介。現在は「メイシーズ」がホールディング・カンパニーで、その「メイシーズ」は、1858年にドライフードの店から始まった。ペンシルバニア駅の近くにあり、庶民に人気のデパートである。

庶民に人気の「メイシーズ」は、みなさまのデパートである

 「バーグドルフ・グッドマン」は1899年創業の高級デパート。ファッションショーを催したり、毛皮専用のサロンを設けたことで有名になった。庶民のニューヨーカーには敷居の高いデパートである。このビルには、パリのヴァンドーム広場に本店を構える高級ジュエラー、ヴァン クリーフ&アーペルがテナントとして入居している。

庶民には敷居の高い「バーググドルフ・グッドマン」。向かいにはメンズ館があり、こちらも高級

デパートとラッピング

 これほどの素晴らしい歴史をもつデパートであっても、たいていは1階で、過激な香水や化粧品のむせかえる匂いの洗礼を受ける。階上へ行くと、商品はハイブランドを含む女性服、靴が中心。店によってはリネンやジュエリーの売り場もある。しかし、日本のように地下に食料品やお惣菜のフロアはない。

 日本のような気が利いた包装紙も最近はあまり見ない。あったとしても、それで上品にラッピングができる販売員は少ないであろう。私が学生時代にずっとお世話になった新宿のデパートでは、アルバイトであっても”ラッピングの神様”のようなベテランから厳しく教え込まれた。

 今ではなんでも紙袋で済ませてしまう。おしゃれなデザインの包装紙やラッピングの神業が、デパートからなくなってしまうのは残念でならない。アメリカは、自分たちで気持ちを込めたラッピングをする文化があるので、店では簡易包装でいいのかもしれない。だから包装紙やカードだけを売る店が成立しているのだろうけれど。

 日本のデパートでは、お客の要望に応じた包装をしてくれる。“進物”という言葉のある日本では、やはりデパートと包装は切っても切り離せないような気がする。包装はデパートの格をあらわしている──たかが包装、されど包装。

春節に「ブルーミングデールズ」で配られたネズミ(子年)モチーフのトートバッグ

ブラックフライデー、サイバーテューズデー、クリスマス

 デパートが独自にデザインしたトートバッグは、なぜか日本の観光客に好評だ。ほかのものは買わなくてもそれだけはかなりの数を買う。お土産バラマキ文化ゆえのことなのか?

 日本のデパートもいろいろと”インバウンド”の取り込みに注力しているが、こちらでもその戦略が目につくようになった。春節には中国人観光客のためにフロアで獅子舞をしたり、期間限定のエコバッグを配ったりと集客に必死であった。

 ニューヨークでは旅行者の免税措置がないため、免税カウンターに長蛇の列はない。ちなみに、マディソンアヴェニューに君臨するハイファッションのブランド店も、クリスマスや春節には購買客へ何らかの気の利いたプレゼントが用意されていた。

「サックスフィフスアヴェニュー」は建物正面全体がクリスマスのイルミネーションで飾られ、ロックフェラーセンタ―のクリスマスツリーと一体になる

 ニューヨーカーがデパートに足を運ぶのは、感謝祭からクリスマスの期間が最も多いと思われる。が、ブラックフライデーやサイバーテューズデー、クリスマス後に始まるセールを待ってショッピングする人も少数派ではない。毎年、セールの時期が早まっているのも事実である。

 デパートにはウキウキする場所もある。それは気の利いたレストランやカフェだ。セントラルパークを見下ろせる「バーグドルフグッドマン」の7階にある「BGレストラン」、「メイシーズ」6階のイタリアン「ステラ34トラットリア」をはじめとする6つのレストラン、「ブルーミングデールズ」地階のハンバーガーがおいしい「フリップ」など3つのレストランがそうだ。前述の「フレッズ・レストラン」も「バーニーズ・ニューヨーク」がなくなったビルで現在も営業を続けている。週末の予約が取れないくらい元気なのである。

 老若男女が一堂に集い、ワンストップ・ショッピングと食事を楽しめるデパートを懐古するのは私だけであろうか。デパートがかつて女性の社会進出に貢献し、社会にメッセージを発信した時代はもう過ぎたのだろうか。デパートはどこへ行くのだろう──。

 

ニューヨーク州は3月7日に非常事態宣言を発表

私の住む三番街の午後。普段はクルマのクラクションが鳴りっぱなしだが、クルマも少なく人影もほとんどなく静まり返っている

 この原稿を擱筆したとたんに、ニューヨークにおける新型コロナウイルスの感染状況が一変した。ロックダウンで私の住むマンハッタンから人影が消えたのだ。

 デパートもそうであるが小売店、バー、映画館、美容・理容・ネイルサロンは閉じている。とにかく人が集まるところはすべて閉鎖である。営業しているところは食料品を扱うスーパーマーケットやドラッグストア、テイクアウトとピックアップ限定のファストフード店だけである。こうしたなか小売店の倒産、また、解雇される従業員が増えている。政府もその対策に全力を尽くしているが先の見えない不安な状況である。

 スーパーやドラッグストアも混雑を避けるために一度に入店できる人数を制限し、ソーシャルディスタンスングをやかましく言っている。公共交通はかなりの間引き運行だが、それでも医療関係者の移動のために動き続けている。医療関係者、警察官、消防士などに感染者が増えている。いつもなら春の憩いの場になるセントラルパークも医療用テントが設営され、ハドソン川には海軍の病院船が到着。ニューヨーク・オートショーで知られるジャヴィッツ・センターも臨時の入院施設に変貌した。

ドラッグストアのフロアにはこのようなインフォメーションとテープが貼ってあり、レジ前でも前後の人が接近しないよう警告している。スーパーでも同じことが徹底されている

 私も食料品店やドラッグストアでの買い物、軽い運動以外は自宅にいる。サイレンを鳴らして走り抜ける救急車などに、歩道やアパートの窓から敬意と感謝を示す拍手が自発的に起こるのを見ると、ニューヨークは大丈夫だ、とひと時だけでも勇気づけられる。神の指示に従って子どもを失わずにエジプトを脱出できたことを祝う、ユダヤ教最大の祭典である”Pass Over"(過ぎ越し祭)の光景を想像する。

 日本の現行法下ではロックダウンにはできないそうだが、ニューヨークのように感染を拡大させないためにも、一人ひとりが強い自律心を持たれることを祈るばかりである。