水の庭 写真提供/北川村「モネの庭」マルモッタン(以下同じ)

高知で見られる「モネの庭」

 新型コロナウイルスが超暴風雨といっても過言ではない状況を世界にもたらしている。筆者が生まれてこの方、こんな事態を眼にするのは初めてで、(日本において)近いものといえば、あの東日本大震災および福島第一原発事故ぐらいしか思いつかない。いま、われわれは間違いなく「歴史」の一片を目の当たりにしている。

 あらゆる活動の自粛が要請されているため、アート関係も多くの美術館が臨時休館となり、多くのイベントや企画が中止・延期となっている。新型コロナの感染力は当初考えられていたよりも強く、とくに「閉鎖された換気の悪い場所」でクラスターが発生している。となると、いまは「閉鎖されていない換気のよい場所」が望ましいということになる。うってつけのところがある。

 高知の片田舎に印象派の画家クロード・モネの愛した庭がある――というと驚くだろうか。モネは、フランス・ジヴェルニーの自宅の庭を終生愛したことで知られる。晩年のモネはもっぱら庭をモチーフにした絵を描き続け、ジヴェルニーの庭こそがモネ最大の作品だとする見方もあながち的外れではない。その庭を忠実に再現したのが、北川村「モネの庭」マルモッタンだ。

 再現は半端ではない。豊かな緑あふれる広い庭を歩いていくと、どこかで見たことのある風景が次々に目に飛び込んでくる。「どこかで見たことのある風景」とは、まさにモネが描いた絵の数々だ。そして、木々の生い茂る散策路の向こうに睡蓮の池が出現するとき、その印象はピークに達する。「モネが見ていた世界はこれだったのか!」と思わず感嘆が口をつく。

 徹底した再現ぶりを可能にしたのは、庭園整備にあたってジヴェルニーの庭の前管理責任者ジルベール・ヴァエ氏を招聘することができたからである。ヴァエ氏の指導は北川村の人たちの予想(あるいは期待)を上回るものだったという。計画が立ち上がって以来、幾度も北川村を訪れ、進捗に合わせて仕上がり具合を細かくチェック、妥協なく修正を求めた。そうした丹念な努力が「モネの庭」として結実している。

 庭を散策していると、実際、ほんとうにジヴェルニーにいるかのような錯覚を覚える。ただ同じような池があり、同じように歩道が通っているというだけではない。空気までそっくりなのだ。本家のフランスのほうへわざわざ行かなくてもいいくらいといっても言い過ぎにはなるまい。ちなみに、本家のほかに「モネの庭」の名を冠することが許されているのは世界でここだけである。

 

鑑賞者がモネになる

花の庭

 あるいは、モネにとってこの庭はどういう存在だったのか、という想像が働き出す。モネは生涯のじつに半分近くとなる約43年間をこの庭に費やしている。日々、花を植え、草木をいじり、庭に手を入れ続けた。異なる色の花をどこにどう組み合わせて配置するか、どういう見えの花がその場所にふさわしいのか、飽くことなく探究し続け、ついには新種のダリアづくりにまで成功したほどである。

 どんな色彩世界と光の戯れが感覚を悦ばせ、生きる歓びをもたらすのか、モネはこの庭で生涯追究した。庭こそがモネ最大の作品といえるゆえんである。絵は、もしかしたら、その副産物にすぎないのかもしれない。

「モネの庭」でモネの研究を追体験するのは、いわば、鑑賞者がモネになることである。客観的な視点からではなく作者の視点から、三人称視点ではなく一人称視点に立って作品と向き合うとき、作品の見え方は違ってくる。「モネの庭」でモネになるとき、モネの創造の核心が見えてくるに違いない。

 モネに歓びと希望をもたらした庭。それはコロナウイルス禍で痛めつけられている私たちにとっても、きっと大きな癒しとなってくれることだろう。鬱々とした気分を晴らしてくれることだろう。いま私たちは試されている。このどん詰まりの状況をどう乗り越えていくか。ヤケにならず、かといって負け犬にもならないメンタリティが求められている。それは案外、「モネの庭」のような場所に見出せるのかもしれない。

 ところで、ここは初めからジヴェルニーの庭を再現しようとしたのではなかった。当初は柚子のワイン工場が建設される予定だった。しかし、計画の縮小に伴い工場路線は捨て、一転、フラワーガーデンづくりへと大きく方針変更した。また、ヴァエ氏招聘にあたっては、はじめは会うことさえ叶わなかったという。村のスタッフのしぶとさが道を開き、今日へと至っている。大胆な発想転換、プロジェクト遂行の事例としても「すごい」ところなのである。