文=細谷美香

80年代の香りを運ぶファッションとインテリア

 セルジュ・ゲンズブールを父に、ジェーン・バーキンを母に持ち、歌手、俳優として活躍を続けてきたシャルロット・ゲンズブール。ボーダーのバスクシャツとデニムのスタイルが鮮烈だった80年代の『なまいきシャルロット』から、50代となった今もフレンチアイコンとして存在感を示している。鬼才、ラース・フォン・トリアー監督作品の常連としても知られる彼女は、チャレンジングな作品に取り組み続ける果敢な役者でもある。

 そんなシャルロットが最新作の『午前4時にパリの夜は明ける』で演じるのは、夫に突然の別れを告げられたエリザベート。娘と息子の母親でもある彼女は、ひとりで子供たちを養うために深夜ラジオの仕事に就く。

 彼女に割り当てられたのは、リスナーからの電話を「夜の乗客」のパーソナリティ、ヴァンダに取り次ぐ仕事。ある夜、帰るところがないリスナーの家出少女、タルラと出会ったエリザベートは、彼女を家に招き入れて一緒に暮らすことになる。

 エリザベートはたくましいシングルマザーという印象からはほど遠く、ささやくような声で話し、すぐに泣いてしまう主人公だ。弱さを隠さないナイーブなヒロイン像は、脆さを抱えた人たちを肯定してくれるかのようでもある。シャルロットの控えめな声が、エリザベートのどこか儚く、けれども困っている人には手を差し伸べる強さのあるキャラクターを魅力的なものにしている。きっと彼女は辛い経験をしているからこそ、他者を思いやる優しさを持っている人なのだろう。

 もうひとつの職場である図書館で出会った人と恋をする場面では、彼女が乳がんの手術を受けていたことも描かれる。政治集会に参加する娘はやがて家を出て、詩を書くことが好きな息子も自分の夢を追いかけるようになっていく。

 監督は『サマーフィーリング』『アマンダと僕』で知られるミカエル・アース。喪失と再生の物語を詩的に紡いできた監督が、さまざまな日常の風景とともにエリザベートの喜びと悲しみを見つめ、寄り添うような視点で彼女が人生の新しい一歩を踏み出すまでの足取りを描き出している。

 舞台となっているのは、80年代。少し粗いタッチの映像やアーカイブ、当時の音楽や男も女もタバコをくゆらせるシーンが時代のムードを伝え、劇中にはエリック・ロメールの『満月の夜』、ジャック・リヴェットの『北の橋』も登場する。

 この映画は、その2本に出演して25歳で他界したパスカル・オジェにオマージュが捧げられた作品でもあり、タルラにもオジェの姿が重ねられているのではないだろうか。エリザベートのラフなタートルネックのセーターやラフなコートの着こなし、暖色系の温もりにあふれたインテリアも80年代の香りを運んでくれる。

 シャルロットとともにフランスを代表する俳優、エマニュエル・ベアールとの共演も映画ファンにはうれしいポイントだろう。マスキュリンなファッションでパーソナリティのヴァンダを演じるベアールの凛とした存在が、スパイスのように効いている。

 深夜ラジオという媒体だけが持つ親密感もまた、この映画の静かで温もりのあるトーンを生み出しているのかもしれない。ノスタルジックでありながら郷愁に溺れることのないこの映画には、今を生きようとする人への慎ましやかなエールがある。夜明けの風景にいつまでも浸っていたくなるような、詩情あふれる作品だ。