「歳をとったらからと言って、枯れた作品は書きたくない」と常々言っていたという清張。時代の最先端にある、瑞々しい題材を求め続けました。『日本の黒い霧』で大きな転機をつくった後は、自ら転機をつくり出していったのです。

文=山口 謠司 取材協力=春燈社(小西眞由美) 

写真=アフロ

時代を読んで自ら転機をつくる

 1958年に発表された『点と線』は、前年に雑誌『旅』に連載されたものでした。

 巧妙な時刻表のトリックが使われ、ベストセラーになります。当時は敗戦から立ち直った日本人が、初めて全国を旅行し始める時代だったので、このトリックはとても斬新でした。

 しかし、1964年に新幹線ができると、在来線の列車のトリックで小説を書いていても、面白くなくなってしまいます。そこを切り開いたのが、前述した「黒い霧」です。

「黒い霧」以後、社会の闇や、実際の事件を題材にした作品のひとつが、1961年刊行の『黒い福音』です。これは、1959年3月に起こった、スチュワーデス殺人事件を題材にしたものです。

 有力容疑者のカトリック神父は警察当局の取り調べ段階で本国のベルギーに帰国してしまったことから、迷宮入りした事件です。

 清張はこれを、神父が所属する教会が砂糖の横流しをしていたことなどを絡め、女性信者を殺した犯人を神父とする小説に仕上げたのです。作中では欧米男性に翻弄される日本人女性とともに、欧米に媚びる日本も描かれ、安保闘争が盛んだった時代背景も取り込んでいたと考えられます。

 また、女性の社会進出が進むと、女性雑誌がたくさん創刊されます。すると清張は、女性を味方につける闇を描くようになります。

 1980年刊行の『黒革の手帖』は、銀行員の女性が7500万円を横領し、これを資本に銀座のママに転身。裕福な客を獲物にして、のし上がっていくという、女性読者の溜飲が下がるような展開の小説です。銀座のバーに行くことが、男性のステータスだった時代背景も、よく描かれています。

 そして、男に欺され続けて来た「女性」が、黒幕となって男の馬鹿さ加減を暴露していくのです。

『黒革の手帖』にはこんなふうに書かれています。

 

 四時五十分に元子は銀座のS堂に行った。二階の喫茶部は広くて、化粧品のように瀟洒ていて、舶来品のように高尚な雰囲気だった。窓ぎわの一列のテーブルには客がまばらにしかいなかった。

 元子は見まわして、寄ってきたボーイがその窓ぎわに案内しようとするのをとめて、壁ぎわの隅を指定した。そこだと目立たない。

 ハンドバッグを膝の横にひきつけるように置いて、煙草をくわえ、あたりを眺めた。いちばん近い席にいる男女客でも距離があって、先方の話の内容が聞えてこなかった。択んだテーブルの場所は最適だった。

 客は上品な人が多かった。若い同伴者もきちんとした身なりで、静かな話しぶりだった。向う側に中年の婦人四人が茶をのんでいる。富裕な家庭の奥さんといったところだ。瘠せた三十すぎの男が、きれいな若い女と話している。男は前にかがみこむようにして、なにやら説明していた。恋人どうしのように映るが、バアの経営者かマネージャーかがよその店のホステスを引き抜くために会っているところと見た。バアをはじめて一年余り経ってくると、元子にもそれくらいの見当はついてきた。

 くらべものにはならないけど、中岡市子がはじめようとする喫茶店のことが元子の頭に浮ぶ。

 一昨日、彼女といっしょにその候補地を見に行った。新宿駅から電車で西北へ一時間の土地で、農地が目立つ新開地だった。駅前の不動産屋の案内だと、いま美容院をしている店の譲渡が一件あるという。美容院だと、フロアのまま使えるし、水道の設備など便利で、喫茶店むきにすぐに改装できる。見に行くと、店の坪数も適当で、市子は気のりしていたが、家賃と敷金は相当なものだった。

 楢林産婦人科病院の婦長をやめた中岡市子は、いずれここで小さな喫茶店をはじめるだろう。院長から慰謝料を意味する一時金は当座うけとらなかった。当座というのは、あとで請求する権利を保留したのである。これも元子が助言した。そうでないとあまりにばかげている。二十年の青春を院長と病院のために埋めてきたのだ。腹を立てて、金銭を拒絶するのも悪くはないが、喫茶店の資金や生活費のために取れるだけのものは取ったほうがいい。院長にはそれができるのだと市子に云った。それまでの金の足りないぶんに、元子は百万円を無利息で市子に貸した。

松本清張『黒革の手帖』(新潮文庫)より

 

 こうした清張作品の多くは映画やテレビドラマになりました。清張自身もカメオとして出演しています。

 清張は、興味の対象が非常に広いのです。世の中で今、何が起きているか、いつもアンテナを張っていました。

 1964年7月6日号から1971年4月12日号まで『週刊文春』に連載されたノンフィクション『昭和史発掘』は、よくもここまで調べたと専門家も驚くほどの精密さでした。『昭和史発掘』は1967年の第1回吉川英治文学賞、1970年の第18回菊池寛賞を受賞しています。

 古代史の知識も歴史家にも負けないくらいありました。1980年以降は『清張通史』シリーズなどで、古代史論争を繰り広げます。古代は資料がほとんど残っていないので、なんとでも言えます。想像力が豊かな清張は、女王卑弥呼は殺害された、大化の改新はほんとうに行われたのか、などユニークな視点で歴史を読み解くのです。

 清張につられて専門家も、清張は何に基づいて言っているんだろうか、と議論をし始めました。今は否定されていることもありますが、古代の闇を探ることも「黒い霧」に共通するのではないでしょうか?